東京・秋葉原の電気街(2003年)'

おたくオタクヲタク)とは、1970年代[1]日本で誕生した呼称であり大衆文化愛好者を指す。元来は漫画アニメアイドルSF特撮女優パソコンコンピュータゲームクイズ模型鉄道格闘技などの、なかでも嗜好性の強い趣味玩具の愛好者の一部が二人称として「お宅」と呼び合っていたことを揶揄する意味から派生した術語で、バブル景気期に一般的に知られはじめた。その頃は「お宅族」、「オタッキー」、「オタッカー」と呼ばれた。明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括しており、その実態は一様ではない。

英語では「ギーク(geek)」「ナード(nerd)」という語があり、しばしばマスメディアなどでは安易に訳語として当てられたりしていることも見られるが、どちらも「おたく」とは著しく重ならない部分がある。そのためもあり、21世紀頃から、日本語発音をそのままラテン文字転写した「otaku」も広く通用しはじめるようになった。

何某かの分野に熱中・没頭している人物を指して、その分野を接頭詞として「○○おたく」と呼ぶ・自称する場合がある(後述)。

定義

「おたくとは何か」という定義は、未だに確立していない。その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではない[2]。俗には、萌え秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることがある。

辞書的には、ある趣味・事物には深い関心をもつが、他分野の知識や社会性に欠けている人物として説明される[3][4]。おたくという言葉はもともと二人称として使われる言葉であり、1980年代のアニメ・SFファンの一部の間でも使われていた[5]。おたくという語はしばしば漫画アニメーション、ゲームなどと強く結び付けられ理解される傾向にあるが、鉄道マニアやカメラマニア、SFファンや電子工作ファン、アイドルおたくやオーディオファン、あるいは勉強しか取り柄のない「ガリ勉」などまでイメージさせる語であった[6]

1983年中森明夫が、「漫画ブリッコ」のコラムで、「コミックマーケット」に集まる集団を「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」や「友達に『おたくら さぁ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」と評し、「彼らをおたくと命名する」と蔑称・名詞として用い、以後アニメ・SFファンはおたくを自認するようになった[7]。辞書の定義にあるような否定的な人物像は、アニメ・SFファンによって自嘲的な自己像として語られていたものである[8]。この言葉はアニメ・SFファンだけに限らず、普通とは見なされない趣味を持つ人、社交性や専攻する趣味以外の常識に欠ける人に対しても使われるようになった[9]。特に一般の流行から剥離した趣味であればある程、また一般社会人(特に女性)が理解が困難な趣味のおたくは、現在でも嘲笑や差別の対象になるケースが多い。

おたくは広い意味をもつ言葉となったため、おたくとその文化を再定義する試みはたびたび行われてきた。評論家岡田斗司夫はおたく文化を創作作品の職人芸を楽しむ文化としてとらえていた[10]精神科医斎藤環はセクシュアリティがおたくの本質であり、二次元コンプレックスを持つのがおたくだとした[11]哲学者東浩紀サブカルチャーとの結び付きを重視した[12]

1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件がセンセーショナルに取り上げられ、犯人がビデオの収集家だったことから、メディアに拡大解釈、歪曲されて拡散され、オタクは犯罪を起こす、危険人物である、というネガティブキャンペーンが大々的になされた。現在もオタクを否定的に捉える人々は、この事件にまつわる報道に影響を受けている場合が多い。また、フリーライターとして活動していた宅八郎が、「おたく評論家」と自称し、まるで精神異常者のような扱い(宅本人も、狂人を演じていた)でテレビ番組などに多数出演したことも、「オタクは趣味に没頭し過ぎて精神が破綻した狂人、異常者」というレッテルが貼られた大きな要因となっている。

岡田によれば、1990年代頃からは否定的な意味は薄れ、肯定的に用いられるようにもなったという[13][14]。なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われる。この意味では、こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」とに分類される[15]

類語・類型

古くは伊達者や酔狂者ともいい、「伊達や酔狂ではない」といった慣用句は、本来は生業と趣味の違いをさしたものである。いわゆる生業としての糧を得るために物事に没頭や陶酔するのと、趣味で没頭や陶酔することを分け隔てて考えていた。その他に好事家や物狂いなどがあり、現在では、愛好家とされるが、物狂いや酔狂からの転用で、「~狂」や「~きちがい」など乱暴な言い回しがある。

マニア・知識人・学者との違い

強い興味や関心を持つという点でおたくはマニア知識人学者とあまりかわらない[16]社会通念上、あるいは評価者が個人的に許容しにくい趣味、外見的な容貌や行動様式の場合、偏見をこめ否定的におたくと呼ばれ、好意的に表現する際にはマニアと呼ばれるという意見も見られる[16]。概して、作品などについて評論など行ないそれが社会に受容されていれば知識人・評論家と名乗ることも可能だが、おたくは消費のみにとどまる。

違いに関する意見

  • 評論家
    • 岡田斗司夫は、それが民族といえるかどうか、すなわち独自文化を作り上げるかどうか、がオタクとマニアの違いであるとしている。マニアはできないが、オタクは「オタクっぽい服や口調」のように独自の文化を作り上げることができる、とオタクをポジティブに評価している[17]
  • 社会学者
    • 宮台真司は、マニア・学者とオタクの違いとして、前者は(例えばマニアであれば切手収集、学者であれば恐竜の研究など)その趣味を好むこと自体には他者にとっても理解可能であるが、後者は(漫画・アニメの少女に欲情するなど)他者には理解不可能であるという違いを挙げている[18]。また別の説明として、マニアの没入対象には性の自意識が関係していないが、オタクの場合はそれが関係しているという点[注 1]を挙げることもできるという[20]。宮台の整理によると、1977年頃から若者の間で「オタク系とナンパ系の分岐」が発生しており、(魅力的ではなくなった現実を乗り切るために)現実を記号的に装飾し性愛に積極的にコミットするという方法(現実の虚構化)を選択したのが「ナンパ系」であり、逆に性愛から退却し虚構を駆使して現実から遠ざかる方法(虚構の現実化)を選択したのが「オタク系」となる[21]
    • 大澤真幸は、おたくと専門家・趣味人の区別として「意味の重さと情報の密度の不均衡」を挙げている。すなわち、通常であれば意味がある情報だからこそ集積されるという比例関係にあるのに対し、オタクの場合は意味の繋がりを持つことなく情報の集積それ自体が目的化しているのだという[22]
    • 「御宅」という呼びかけ

      用語としては私的な場面で用いられる二人称敬称(「お宅様」=あなたさま)であり、もともと山の手言葉としては一般的であった[注 2]。いわゆるオタク趣味者が互いを指して「二人称敬称として」使っている例は、1980年頃の彼らを描いた作品中に既に見られる[26]

      おたく族

      中森明夫が「漫画ブリッコ白夜書房)」誌上で1983年6月号から全3回にわたって連載したコラム『「おたく」の研究[27]』において、「中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に『おたくら さあ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づける」と、その人間類型をおたくと呼ぶことが提案された。この文章は当時の読者から猛反発を買うことになり、同誌の編集者であった大塚英志との間で論争が繰り広げられた。最終的に中森は大塚により、本誌から弾劾され永久追放されることになる。

      この件の背景については、ホーテンス・S・エンドウ(遠藤諭)の『近代プログラマの夕』単行本 p.52 によれば、『最近では、(略)求人広告にまで使われているこの言葉は、もとはといえば、私の仲間らで、かれこれ7年ほども前に使い始めたものなのだ(この間の事情は当時某誌に連載された「おたくの研究」に詳しい)』とあり(雑誌掲載が1989年10月号、単行本が1991年刊なので、文中の「7年ほども前」は1983年頃のことである)、中森や遠藤らによる『東京おとなクラブ』関係者の内輪の用語から発したものとの説をとる。1989年発行の別冊宝島104号『おたくの本』では中森が「僕が『おたく』の名付け親になった事情」というタイトルで寄稿しており、「おたくの名付け親」は中森による自称でもある。

      なお、長山靖生『戦後SF事件史 日本的想像力の70年』では、日本SFファンダムの父である柴野拓美が「年齢や立場の差を越えて、対等な関係を築ける、話し相手への呼びかけ語」として、「おたく」をポジティブな意味で使い始め、SFファンの間で流通したことが言及されている。

      なお、「おたく」がマスメディアに取り上げられ始めた頃には、「太陽族」や「竹の子族」に準じて、「おたく族」と呼称された(ラジオ番組「ヤングパラダイス」より『おたく族の実態』など)。また、初期のコミックマーケットが開催された大田区産業会館「PIO」が語源なのではないかという俗説があるが、駄洒落でしかない。

      「おたく」と「オタク」

      大塚英志は「おたく」と「オタク」の違いについて、著書で以下のように述べている。

      「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから文部科学省や経済産業省や、ナントカ財団の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代になった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術祭[注 3]という国がまんがやアニメを勝手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートしていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ村上隆宮崎アニメは今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同じなんだよ、と、その始まりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられたとはさっぱりぼくは思わない。だから「オタク」が「おたく」であった時代を「オタク」にも「おたく」にも双方にきっちりと不快であるべく本書を書いた。 — 「おたく」の精神史―一九八〇年代論(2004)、朝日文庫

      また、「おたく」に含まれ「オタク」には含まれないものについては、以下のように述べている。

      ぼくにとって『おたく』は、ひらがなです。宮崎勤を含むからね。岡田東大で「オタク」って言葉を使った時点で、「宮崎の問題は置いておいて」とされてしまった。いわば「おたく」が脱色されたものがカタカナの「オタク」であって、そこから先に一連のジャパニメーション論議が展開していく。それこそ、ひらがなとカタカナのあいだの引き算の中で消費されていったものの中に村上隆なんかはいるわけだから。 — 『リアルのゆくえ』(2008) p5 講談社[28]

      転用

      「おたく」の語はそのイメージがある種の曖昧性を含むこともあり、軍事兵器オタク(ミリオタ)・パソコンオタク・鉄オタ(鉄ヲタ)(鉄ちゃん、鉄子・鉄)、アイドルオタク(ハロー!プロジェクトヲタ、AKB48ヲタ、ジャニーズ(ジャニ)ヲタ)その他○○オタク・○○オタという風に、特定の対象・分野の愛好者、ファンを指す語として使われる。また、「気持ち悪いオタク」の略で「キモオタ」と称されることもある。

      秋葉原とおたくの関係

      消費者層としてのおたく

      野村総合研究所の調べでは、マニア消費者層(いわゆる「オタク層」)の2004年の市場規模は主要12分野で延べ172万人、金額にして約4,110億円に上り、オタクに共通する行動特性を抽出したところ「共感欲求」「収集欲求」「顕示欲求」「自律欲求」「創作欲求」「帰属欲求」の6つの欲求にまとめられるという[29]

      近年では「萌えおこし」など、地域振興に役立てる例も各地で見られる。またそれに便乗した異業種からの参入も見受けられる。それらには消費者層としてのおたくの購買意欲を刺激するものから、安易な便乗商法まで玉石混淆である。

      おたくの変遷

      時代的遷移

      オタクは「時代」に合わせて変遷してきた[30]

      前史

      オタクという語が成立する以前にも趣味に生活より多くの時間と金銭をつぎ込むものはおり、古くは趣味人や数奇者(和歌や茶道に熱心な者)と呼ばれた[30]。たとえば戦国時代の武将古田織部などは「オタクの大先輩」と言われることもある[30]。また近世では海外の文物を受容する傾向はマニアフリーク、あるいはディレッタント[注 4]と呼称されることが多かった。海外文化の受容については表面的な模倣を重視する層をスノッブキッチュと蔑視し、あるいはその軽薄で表層的な受容態度を逆に珍重してみずからをそう呼称することもあった。コレクターは古くからおり、ウルトラマンバービー人形ドールハウスなどの玩具コレクターは大人の趣味として一定の評価があり、隠然として存在した。映画スターや歌手を熱狂的に応援するアイドル嗜好はマスメディアの発展と軌を一にし、原点は江戸時代の歌舞伎絵にまで遡れるかもしれない。
      また、
      この頃のアニメーション作品の中には、従来の児童向けに混じって、中高生などの青少年層を対象とした、比較的ドラマ性の高い物が増えたことも、アニメーションブームを加速させた要因に挙げられる。この現象において『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『ルパン三世』といった、一連のテレビ放送・劇場公開作品の大ヒットが、アニメ産業の急速な成長を促した。この頃は、侮蔑や否定的な意味合いが比較的少ないアニメファンと言う言葉で呼ばれていた。やや遅れて、当初は子供向けとして企画された『機動戦士ガンダム』が登場。中高生のアニメファンに人気を博し、「ガンダムシリーズ」と呼ばれる一連の作品群と固有ファン層を派生させた。
      そのような流れの中で、1978年(昭和53年)の
      哲学的な問いを視聴者に対して想起させる『新世紀エヴァンゲリオン』の登場は、学歴偏重社会の崩壊や景気鈍化傾向にあって漠然とした不安を抱える青少年層に強い影響を与え、関連事象(セカイ系)は社会現象とまで言われた。一方、テレビゲームパソコンゲームの高度化と普及に伴い、ゲーム市場が広がったことは、ゲーム関連企業にとっては大きな福音となり、多数のゲーム制作会社が勃興を繰り返した。1995年(平成7年)に、Microsoft Windows 95が発売され、家庭へのパソコン普及が進んだことで恋愛ゲームおたくエロゲおたくなどが一般化した。またときめきメモリアルシリーズなどがキラーコンテンツとなり家庭用ゲーム機の世代交代が進んだ。
      エヴァ放映直後の1996年(平成8年)5月に、
      数多くの作品が登場する一方、DVDの普及により、かつての「ビデオテープ・ソフト一本1万円弱」などという傾向がなくなり、3千円〜5千円で安価に販売される映像ソフトの販売が一般化した。コンビニエンスストア店頭でも数多くの映画・ドラマ・アニメのDVDが販売されるようになると、「ビデオソフトを買って見る」という、かつてはコアなマニアやおたくに限定されたことを一般の消費者がするようになり、一般の社会でも普通に売られ普通に買われていくようになる。このためヤンキー文化、渋谷系などの、かつてはおたくと縁遠いと見られていた要素とおたく文化の結合も観察されるようになっている(痛車の要素を取り入れたVIPカー、渋谷系を取り込んだアニメソング「アキシブ系」など)
      またパソコンやゲーム機の普及は、かつての専門家やマニア主導ではなく、娯楽家電の一種として家電製品並に普及したこともあり、裾野の広い市場を形成している。その一方でおたく向け商品の市場も拡大し、電気街として知られた秋葉原の様相を、漫画・アニメ・ゲームの街として激変させるに至っている。
      2005年(平成17年)には、株式会社ビブロスにより第一回全国統一オタク検定試験が実施され、またこれがTV、雑誌、ネット、日本以外の国の通信社からも大々的に取り上げられるという事象も発生した(その後、ビブロスが2006年に倒産したため2回目が実施された時点で消滅、終了。この結果は発表されていない)。
      同2005年にドラマ、映画などでおたくを肯定的に描いた『電車男』が映画、ドラマ共にヒットした。
      こうした状況は経済界も注目している。たとえば、野村総合研究所の調査ではオタク市場(自作パソコン、アニメ、ゲーム、アイドル、コミック市場の合計)の市場規模は2900億円である。また、経済産業省は、日本のコンテンツ産業の国際展開の促進という観点から注目している。
      しかしコアなおたく向け商品が一般市場から見て特殊な商品群(
      1990年代後半から2000年代半ばにかけて、オタク文化の中心的存在の一つだったアダルトゲーム(エロゲー)がソフトの高価格やコンテンツの多様化などの様々な理由で、衰退傾向に歯止めがかからなくなっている。一方、AndroidiOSなどによるスマートフォンの急速な普及により、美少女キャラを起用したブラウザゲームソーシャルゲームなどがおたく界で主要な位置を占めるようになった。
      中国語圏(台湾香港中華人民共和国)では日本のアニメや声優、漫画、ライトノベル、ソーシャルゲームなどがすっかり浸透し、逆に日本に輸入される中国・台湾産コンテンツも増えはじめている。
      1990年代後半から徐々に進んできた、おたくの低年齢化、カジュアル化の傾向がより一層進んでいる。おたく文化にカジュアルに親しんできた世代(おたく第三世代)が社会の中核を担う年代にさしかかりはじめ、おたく文化はかつての「

      時代的変異についてであるが、ここではオタク文化についての世代について述べる。 時代の変化に合わせておたくも変化してきた。1960年代生まれを第1世代とし、1970年代生まれを第2世代、1980年代生まれを第3世代とする、東浩紀の行った分類が現在の議論で広く用いられている[31][32]。ここでは個人の違いは捨象し、世代ごとの傾向を概観する。

      プレおたく世代(1950年代生まれ)[33]
      基本的にSFファンで、劇画の登場により漫画は大人も読むものとして認められつつあったが、「アニメは子どものもの」という風潮の中で育った。「しらけ世代」と言われた世代にあって、成人後も趣味的に漫画を描いたり、漫画・アニメ・SFを特に好み玄人はだしの評論を行う一群が現れ、彼らはマニアと呼ばれた。彼らが開催したSF大会日本漫画大会などは、その後の同人誌即売会に繋がる文化の先駆けとなった。
      オタク第一世代(昭和三十年代/1960年代生まれ)[30]
      宇宙戦艦ヤマト』に始まるアニメブームを起こし、コミックマーケットなど現在に至るイベントの基礎を築いた。「新人類」と言われた世代であり、幼少期には『ウルトラマン』『仮面ライダー』『マジンガーZ』といった怪獣・変身ブームの洗礼を受け、しばしば特撮への嗜好を持つ。
      少年期にSFが世界的なブームを迎え、その作品は日本のおたく文化にも大きな示唆を与えた。彼らが好んだ漫画やアニメ、SFは、学生運動を主導した焼け跡世代団塊世代の抱いていた社会変革思想の対抗物として意識されていたため、彼らのオタク趣味全般に韜晦や理論化・体系化への指向が強い場合が多く、オタクコミュニティ内のジャーゴンとしてキーワード化を行っていた。
      オタク第二世代(昭和四十年代/1970年代生まれ)[30]
      幼少期に『機動戦士ガンダム』に代表されるアニメブームの洗礼を受け、広くアニメなどが趣味の範疇に受け入れられた。これらの作品がSFを基底として、架空の技術体系を構築する手法をとったため、提供される側はその架空の技術体系を網羅したがる方向性も見られる。「ガノタ」(ガンダムオタク。ガン―オタが綴りから“ガノタ”と変形)に代表されるシリーズ作品内の知識体系のみに耽溺し、現実の知識体系とのすり合せを行わない傾向も派生させた。
      末期新人類(バブル世代)と団塊ジュニア1970年代後半生まれ(つながり世代)に相当し、 1980年代のテレビゲーム・パソコン趣味の担い手となり(ファミコン世代)、『少年ジャンプ』に代表される日本の漫画の隆盛期を担った。またこの時期にはライトノベルが成立し、この世代以降、日本のおたく文化の影響を受けた海外コンテンツの"逆輸入"が盛んになる2010年代までは海外作品とおたく文化の繋がりは希薄になる。ロボットアニメ最盛期に育った世代でもあり、プラモデルもこれらの作品に関連した製品が登場して一大市場を築き、その受け手(消費者)となった。
      なおこの世代の親(1940年前後生まれ)は、『仮面ライダー』の石ノ森章太郎や『機動戦士ガンダム』の富野由悠季、『風の谷のナウシカ』の宮崎駿など、アニメ、特撮の大作家が多い世代である。
      オタク第三世代(昭和五十年代/1980年代生まれ)[30]
      1990年代後半に『新世紀エヴァンゲリオン』の洗礼を受け、セカイ系と言われるムーブメントの担い手となった[30]。この時期にはアニメやコンピュータゲームが趣味の一つとして市民権を得るようになり、メインカルチャーとサブカルチャーの差が薄れた時代に育った。そのため、オタク趣味に後めたさや韜晦意識を持たず、単に多様な趣味の一つとして、アニメやゲームを楽しむ者も増えた。
      1980年代後半に生まれた世代(ネット娯楽世代)は、高校時代までにインターネットが普及し始めた世代であり、インターネットをテレビや雑誌などと同質の情報媒体として利用していることが窺える。これは、1970年代後半に生まれた世代(つながり世代)が、インターネットを独立した一つのメディアとして捉えたのとは対照的である。
      第三世代以降の世代ではオタク趣味が一般的なものとなり、おたくコミュニティの拡散化と嗜好の分裂化・多様化がかなり進んでいる。
      オタク第四世代(1990年代生まれ)[30]
      インターネット利用が一般的な環境の中に育ち、従来の世代が遊び場や友達・仲間を広場や公園・路地裏に求めたのと同質の感覚で、コンピュータネットワーク上のネットコミュニティにも求めていった世代である[30]。インターネットなどを通じて知った海外のアニメ・コミック作品に傾倒したり、復刻ブームから1960年代1970年代のアニメや漫画や玩具が容易に手に入るようになったことから、親(オタク第一世代)の少年時代に流行した作品に熱中するおたくも相当数生まれている。
      第三世代と第四世代は世代文化に大きな違いがなく、嗜好や文化のかなりの部分が重なる。第三世代以降のおたくは、おたくであることに誇りを持ち、おたく趣味を楽しむことに対する恥や韜晦の意識がほとんどないことが、従来の内輪で楽しんでいた第二世代以前のおたくからは違和感を持たれることが多い。