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バイエルンでのロッべン(2014年)
名前
愛称 フライング・ダッチマン
ラテン文字 Arjen ROBBEN
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1984-01-23) 1984年1月23日(34歳)
出身地 ベドゥム
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
ポジション FW (WG, CF) / MF (SH)
背番号 10
利き足 左足
ユース
1989-1996 オランダの旗 VVベドゥム
1996-2000 オランダの旗 フローニンゲン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 オランダの旗 フローニンゲン 46 (8)
2002-2004 オランダの旗 PSV 56 (17)
2004-2007 イングランドの旗 チェルシー 67 (15)
2007-2009 スペインの旗 レアル・マドリード 49 (11)
2009- ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 189 (95)
代表歴2
1999  オランダ U-15 1 (0)
1999-2000  オランダ U-16 11 (4)
2000  オランダ U-17 3 (1)
2001-2002  オランダ U-19 8 (2)
2001-2003  オランダ U-21 8 (1)
2003-2017 オランダの旗 オランダ 96 (37)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月31日現在。
2. 2017年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アリエン・ロッベンArjen Robben (オランダ語発音: [ˈɑrjən ˈrɔbə(n)] ( 音声ファイル)), 1984年1月23日 - )は、オランダフローニンゲン州ベドゥム出身のサッカー選手ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘン所属。元オランダ代表。ポジションはフォワードミッドフィールダー

日本では"ベ"と"ペ"の発音および表記が似ているため、ロッンと誤記されることがある。ファーストネームのカナ表記はやや困難だが、音節分けはAr/jenなため、本来の発音はアルイェン、アルジェンに近い。

経歴

クラブ

オランダ時代

地元のクラブ、VVベドゥムでサッカーを始める[1]FCフローニンゲン在籍時の2000年、16歳でプロデビュー[2]。レギュラーとしてプレーした後、2002年PSVへ移籍[3]。ここでも1年目から12得点を挙げ、2002-03年度のヨハン・クライフ賞を受賞した[4]

チェルシー

2004年3月、移籍金1800万ユーロで[5]チェルシーFCに入団した。また同じ頃、精巣腫瘍を患ったが手術により回復した[6][7]

同年6月から7月のEURO2004の後、プレシーズンマッチで怪我を負い、その影響でプレミアリーグのデビューは11月となった[8]。だが、デビュー早々チームの主力選手として活躍し、同月のプレミアリーグ月間最優秀選手賞にも輝いている[8]。その後も怪我に悩まされながらも、チェルシーのプレミアリーグ2連覇(2004-05シーズン、2005-06シーズン)に貢献するなど、中心選手として活躍した[8]。本職は4-3-3の左WGながら、2006-07シーズンにはアンドリー・シェフチェンコの加入によりクラブは4-4-2へとシステムを変更。

レアル・マドリード

レアル・マドリード時代

2007年8月22日スペインレアル・マドリードへの移籍が、5年契約・移籍金3600万ユーロで決まる[9]。膝の故障でシーズンは出遅れたが9月18日チャンピオンズリーグヴェルダー・ブレーメン戦でデビュー。すぐに左サイドMFのポジションでスターティングメンバーを獲得した。また、EURO2008にも招集された。しかし後述のようにレアル・マドリードでプレーした2シーズンでは負傷が多く、負傷回数は10度に達したとされ[10]、2009年にクラブはクリスティアーノ・ロナウドらを大量補強したため、ロッベン本人は残留を望んでいたものの、その金銭補填のために放出されることになったと後に明かしている[11][12]

バイエルン・ミュンヘン

2009年8月28日バイエルン・ミュンヘンへの移籍で合意し移籍することとなった。移籍金は2500万ユーロ(約34億円)の4年契約とされ[13]、ロッベンは背番号10を背負うこととなった。フランク・リベリーと共に両サイドから攻撃に参加、デビュー戦となったVfLヴォルフスブルク戦で2得点を挙げた。

2010年3月9日UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグACFフィオレンティーナ戦ではミドルシュートを決め、また4月7日の準々決勝2ndレグのマンチェスター・ユナイテッドFC戦でもコーナーキックからボレーシュートを決めた。4月17日ハノーファー96戦で自身初のハットトリックを達成した(試合は7-0で勝利)。4月21日オリンピック・リヨンとのチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでも決勝点となるミドルシュートを決め決勝進出に貢献した。同大会ではインテル・ミラノとの決勝戦を戦った末準優勝の成績を収めたが、ブンデスリーガではチームトップ・リーグ5位タイの16得点を挙げ、バイエルンの2冠に貢献。シーズン終了後にはドイツ年間最優秀選手に選出された。

2010-11シーズン、2010 FIFAワールドカップでの負傷の影響でチームへの復帰は翌年1月まで遅れたが、リーグ14試合で12得点8アシストを記録した。

2011-12シーズンは2度目のUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出を果たすが古巣のチェルシーに敗れ、またも準優勝に終わった。

2012-13シーズン、ブンデスリーガを当時史上最速で優勝すると、2年連続でUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出、同じドイツの最大のライバルであるボルシア・ドルトムントを破って優勝を果たした。 DFBポカールも優勝し、ドイツ史上初の3冠達成に貢献した。同年にはUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップでも優勝、この年5冠を達成した。

2013-14シーズン、12月のDFBポカールで負傷し、FIFAクラブワールドカップに参加出来ず[14]。2014年3月のシャルケ戦でハットトリックを達成した[15]。 DFBポカール決勝のボルシア・ドルトムント戦では先制点を決め勝利に貢献した[16]

2014-15シーズン、12月16日のSCフライブルク戦でバイエルンでの100ゴールを達成した[17]。怪我で約2か月離脱したが[18]、17ゴールを記録、リーグ優勝に貢献した。

2017年1月バイエルンとの契約を1年延長した[19]

代表

オランダ代表でプレーするロッベン(EURO 2012デンマーク戦)

サッカーオランダ代表としては2003年4月30日に行われたポルトガル代表との国際親善試合でデビュー[20]2006 FIFAワールドカップでは初戦のセルビア戦で18分に得点を挙げた。これが決勝点となり、その試合のマン・オブ・ザ・マッチとなった。大会では、6試合に出場して2得点を挙げた。

EURO2008にも招集された。 初戦のイタリア戦では怪我で欠場したものの、第2戦のフランス戦で復帰すると1ゴールを決めフランス相手に4発快勝に大きく貢献した。 チームはそのままグループリーグを3戦全勝で首位通過するも決勝トーナメント準々決勝でロシアに延長戦の末敗れベスト8に終わった。

2010 FIFAワールドカップのオランダ代表にも名を連ねたが、大会前のハンガリーとの親善試合でフェイントに失敗しハムストリングを負傷したが、グループリーグ第3戦のカメルーン戦から復帰。決勝トーナメント一回戦のスロバキア戦ではミドルシュートで先制点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出される。準決勝のウルグアイ戦ではヘディングで3点目を挙げた。しかし大会後、クラブで行ったメディカルチェックにて太ももの筋断裂が発覚し、これに対しバイエルンのカール・ハインツ・ルンメニゲ会長はワールドカップで強行出場を続けさせたとしてオランダ代表を批判した[21]。この怪我への補償として、2012年5月にアリアンツ・アレーナでバイエルンとオランダ代表の親善試合が行われている[22]

EURO2012にも招集された。 本戦では優勝候補と目されたが、ドイツポルトガルデンマークと全チームが優勝経験のある死の組に入り、1勝もあげられず3連敗を喫しグループリーグで敗退した。なお、自身も3試合無得点で終わった。

2014 FIFAワールドカップでもオランダ代表に選出された。本大会では3得点を挙げオランダの2大会連続での準決勝進出に大きく貢献した。一方で、メキシコ戦では同点ゴールとなったPKを得る際にダイブをしたとの疑惑を受けてメキシコ人ファンから激しく批判された[23][24][25]

2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選最終節のスウェーデン戦で自身の2ゴールで2-0と勝利するも得失点差で予選敗退が決定し代表からの引退を表明[26]

プレースタイル

爆発的なスプリント力ゆえに筋肉系のけがが多く、シーズンを通じて稼働できない事もあるが世界屈指のカットイン、ミドルシューターとしての実力もある[27][28][29]。「オランダ代表の試合がロッベンのワンプレーで決まると言っても過言ではない」という意見もある[30]

評価