ケベック州
: Le Québec
: Québec
ケベック州の旗 ケベック州の州章
州旗 州章
モットー: "Je me souviens"
ジュ・ム・スヴィアン (私は忘れない)
ケベック州の位置
基本データ
州花 イリス・ベルシコロル
Blue Flag Iris
州木 イエローバーチ
Yellow Birch
州鳥 シロフクロウ
州都 ケベック・シティー
最大の都市 モントリオール
州の公用語 フランス語ケベック・フランス語
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域(割合)
最高標高
(国内第2位)
1,542,056 km²
1,183,128 km²
176,928 km² (11.5%)
1,652 m
人口2011年
 - 総計
 - 人口密度
(国内第2位)
7,903,001
5.79 人/km²
GDP2013年
 - 州合計
 - 1人当たり
(国内第2位)
3628億4600万[1]カナダドル
4万4,499カナダドル
連邦政府加入
 - 順番
 - 加入年月日

1番目
1867年7月1日
時間帯 【西経63度以西】(大部分)
東部標準時(EST、UTC-5
東部夏時間(EDT、UTC-4

【西経63度以東】
大西洋標準時(AST、UTC-4
夏時間は採用していない。

郵便コード
郵便番号
ISO 3166-2:CA
QC
G H J
CA-QC
公式サイト www.gouv.qc.ca
行政
副総督 J・ミシェル・ドヨン英語版
州首相 フィリップ・クイヤール英語版(PLQ)
カナダ議会
 -下院議席数
 -上院議席数

78
24

ケベック州: Le Québec [kebɛk] ( 音声ファイル) ケベク: Quebec [kwɨˈbɛk] ( 音声ファイル)[kɨˈbɛk] クェベック、ケベック)は、カナダ東部のの1つである。公式の綴りはフランス語公用語)、英語ともにアキュート・アクセントの付いたQuébecである。略語QC、Que.またはPQProvince du Québecの略)。カナダ国内では唯一、フランス語のみを公用語に定めている。

総面積1,542,056平方キロ[2]、人口829万4656人(2016年推計)[3]スペインポルトガルフランス本土オーストリアイタリアを足し合わせた面積に相当し、インドの約半分、日本列島北海道本州四国九州および周辺の島々)の約4倍である。人口はポルトガル東京23区よりやや少なく、ニューヨーク市大ロンドンオーストリアの総人口に相当する。カナダの州・準州の中では、面積はヌナブト準州に次いで第2位、人口はオンタリオ州に次いで第2位である。州都はケベック市だが、州最大の都市はモントリオール。モントリオール市はフランス語圏の都市としてはパリキンシャサに次ぐ規模の都市であり、北米大陸でも重要な地位を占めている。また、ケベック州の人口の約半分がモントリオール大都市圏に集中している。

母語話者(ケベック州) 2011
フランス語
  
78.1%
英語
  
7.7%
アラビア語
  
2.1%
スペイン語
  
1.8%
イタリア語
  
1.6%
人種構成(ケベック州) 2006
白人
  
89.7%
黒人
  
2.5%
アラブ系
  
1.5%
先住民
  
1.5%
ラテンアメリカ系
  
1.2%
中国系
  
1.1%
南アジア系
  
1.0%
その他の有色人種
  
1.6%

歴史

先コロンブス期

クリストフ・コロン(クリストファー・コロンブス)がアメリカ大陸に到達するまでは、この地域にはアルゴンキン族、(クリー族(Cree)、ミックマック族(Micmacs)含む)、及びイロコワ族、(モホーク族(Mohawks)含む)などの狩猟インディヘナが居住していた。また北部にはイヌイット族も居住していた。

フランス人の入植

1492年スペインカトリック両王の命を受けたジェノヴァ人の航海者コロンブスイスパニョーラ島へ到達し、アメリカ大陸を「発見」すると、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化が進み、ケベックにも1534年フランス王フランソワ1世の命を受けた探険家、ジャック・カルティエが到達した。カルティエはセントローレンス湾周辺を探検し、この地を「ヌーヴェル・フランス」(ニュー・フランス)と名付け、フランス王による領有を宣言した。

ラ・ヌーヴェル・フランス

1604年サミュエル・ド・シャンプランにより最初の定住植民地が開拓され、1608年にはヴィル・ド・ケベック(現在のケベック・シティー)が建設された。ケベック植民地が創設されたことによりフランス人による開拓が進み、1642年にはヴィル・マリー(後のモントリオール)市が建設された。「ヌーヴェル・フランス」(北米フランス植民地)はミシシッピ川流域にまで及んだ。その後、イギリスとフランスの間での北米の覇権争いが続いた。

イギリスの支配

1774年のケベック

18世紀七年戦争(特に北米での戦争を「フレンチ・インディアン戦争」と呼ぶ)により、ケベックが英軍に占領されると、講和条約でイギリス領となった。当時のフランス系住民は約6万であった。しかし、英国議会が制定したケベック法により、フランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められ、フランス色が残った。

このため、カナダは英語フランス語を国の公用語としているが、ケベック州では今日までフランス語のみが公用語となっている。

連邦への加盟

1776年イギリスから独立したアメリカは、ケベックの反英感情の強さをテコに連邦参加を呼びかけていたが、当時のケベックの住民はアメリカよりはイギリスに付いていた方が得策と考えていた。ケベックは、1791年植民地統治法英語版 (Constitutional Act) によって、アッパー・カナダ(後のオンタリオ州)とロウアー・カナダ(後のケベック州)に分割された。1867年のカナダ自治領(Dominion of Canada)の成立により、ロウアー・カナダ植民地はケベック州となった。もともとかなり貧しい州で、社会的にも遅れていたため、近代化がなかなか進まなかった。経済の重要部門は少数派のイギリス系住民が運営し、州予算は当時から連邦政府に大きく頼っていた。フランス系の大半は農業に従事し、教育や社会福祉は教会が主に携わった。1898年にカナダ議会によりルパート・ランド-ノースウエスト準州に属していたジェームズ湾沿いの北部ケベックに領土を拡大した。そして、1912年に、イヌイットが居住する極北のウンガバ半島を加えた。1920年代以降の、電力と非鉄金属などの重工業化はイギリス系とアメリカ資本を中心に行われた。1927年に、当時はカナダと同格の事実上の独立国だったニューファンドランド(現在のニューファンドランド・ラブラドール州)との境界が、英国枢密院司法委員会によって確立されたが、ケベック側は、公式にはこの境界線を認めていない[4][5][6]。産業化の過程で、商業に従事するイギリス系の人々との経済的格差が広がり、フランス系住民は「二級市民」として劣等意識を持つようになった。1944年にはアルミニウムのような産業を拡張するのを助けるためにイドロ・ケベックが設立された。

静かなる革命

しかし、1960年代の州政府による一連の社会改革(公的部門を基にした経済自立戦略)は、英語系住民によるケベック経済の支配構造を変え始め、教会による教育・社会福祉への関与も州政府の役割に取り替えた。これは自由党ジャン・ルサージュ州首相がはじめた「静かなる革命」と呼ばれるもので、民族主義ケベック・ナショナリズム)と社会民主主義に動機付けられた。 1965年に、州民の年金と公共保険を扱うためのケベック州投資信託銀行が設立されたが、同社は債券や株式への投資などを行っており、その後の州の経済発展に寄与している。1976年まで職場において、ボスの言語は英語、労働者はフランス語とされ、企業内は英語に限られていた。

現代のケベック

様々な面でアメリカ合衆国と緊密なカナダからの分離主義的傾向が永年にわたってくすぶり、1970年には過激派ケベック解放戦線」 (FLQ) のテロで州副首相が誘拐、殺害される惨事(オクトーバー・クライシス)も起こった。政治レベルでの連邦政府への反感も根強いが、独立を巡って1980年1995年に行われた住民投票では、2回とも否決された。1980年の住民投票では独立反対の割合が約60%。1995年の投票ではモントリオール市民、先住民ならびにメティ(先住民との混血者)たちの反対票が勝敗を決したものの、反対票の割合は約50.6%と賛成と反対の差が縮まっている。カナダ最高裁は単なる過半数の賛成では条件に満たないとした。この背景には、社会的経済的主導権をフランス系住民が完全に握るべきだという主張と、フランス系住民の出生率低下・移民の増加による民族構成変化への不満がある。単純に見ると、独立運動は労働組合と地方の住民に根強い人気があり、不況になると勢いづき、景気が回復すると下火になる。

また、旧英領北アメリカ法(British North America法)を踏襲した1982年憲法をケベック州のみが批准しておらず、これも火種のひとつとなっている。 なお、1967年にはモントリオール万国博覧会(EXPO'67)が開催されている。また、1976年モントリオールオリンピックも開催されている。

政治

州議会では、事実上、独立派のケベック党(左派)と自由党(中道左派)との二大政党制が成立しており、民主行動党(保守)の支持は弱く、カナダでは最も欧州的な社会民主主義思想が支持されている。しかし、連邦議会選挙になると、自由党の票は新民主党(社民主義)に食われ、その結果独立派のケベック連合が議席数で漁夫の利を得ていた。なぜなら新民主党は、ケベック州議会選には参加せず、連邦選挙のみ候補者を立てているからである。

1970年代前半までは自由党とユニオン・ナショナルケベック保守党)の二大政党制だった。

ケベック自由党は1955年に連邦レベルの自由党から独立した。ケベック州の独立については、緑の党も含めて他のどの連邦政党からも支持されていない。ただし新民主党はケベックの自決権を認めている。1995年に行われた住民投票において、連邦議会の政治指導者層は、イヌイット居住地域の「ヌナビク分離カード」を使って独立運動を牽制した[7]。ケベック州議事堂にはカナダの国旗はなく、ケベック州の旗のみが掲げられている。

地方行政区分

地理

ケベック・シティー郊外のモンモレンシー滝

南から西にかけてオンタリオ州と接し、西北部はハドソン湾に面する。北部は北極海に面し、ラブラドール半島の東北部はニューファンドランド・ラブラドール州ラブラドール地方となっている。東部は大西洋に繋がるセントローレンス湾に面し、ノバスコシア州アメリカ合衆国東北部に接する。最高峰はディバーヴィル山(1,622m)。南部には平野広がり、アメリカ合衆国との国境を形成しているオンタリオ湖からセントローレンス川を伝ってセントローレンス湾に水が流れ、大西洋に至る。州人口の大部分は州南部のセントローレンス川流域に居住している。北部はラブラドール半島に属し、タイガツンドラ、湖、川が広がる。人口は極僅かで、小さな集落が見られる程度となっている。

また、セントローレンス湾にアンティコスティ島や、マドレーヌ諸島を領有している。

主要都市

州最大都市モントリオール中心部の風景。