ゴルカ朝
Gorkha dynasty
マッラ朝
ゴルカ王国
1559年 - 2008年 ネパール
ゴルカ朝の国旗 ゴルカ朝の国章
(国旗) (国章)
ゴルカ朝の位置
公用語 ネパール語
首都 ゴルカ
カトマンズ
元首等
1559年 - 1570年 ドラヴィヤ・シャハ
1743年 - 1775年プリトビ・ナラヤン・シャハ
2001年 - 2008年ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ
面積
2008年140,800km²
人口
2008年29,331,000人
変遷
ネパール統一 1768年12月21日
王制廃止、共和制へ2008年5月28日
通貨ネパール・ルピー
時間帯UTC +5:45
ccTLD.np
国際電話番号977

ゴルカ朝ネパール語:गोर्खा、英語:Gorkha dynasty)は、1559年から2008年5月28日まで続いたゴルカ王国及びネパール王国の王朝。ネパール最後の王朝でもある。王家の姓を取ってシャハ朝ネパール語: शाह वंश śaāha vaṃśa: Shah dynasty)とも呼ばれる。英語読みではグルカ朝(Gurkha dynasty)と発音される。

王はヒンドゥー教徒で、ヴィシュヌ神の化身とされてきた。出身カーストはチェトリ(インドのクシャトリヤに相当)。

歴史

前史

1484年ラーヤ・マッラバクタプル王国から、ラトナ・マッラカトマンズ王国が独立。1619年シッディナラシンハ・マッラパタン王国が独立し、マッラ朝は三王国時代に入る。

ゴルカ王国

16世紀、ヤショー・ブラフマ・シャハ(Yasho Brahma Shah)がカスキ王国(現カスキ郡)を征服した。

1559年、ヤショー・ブラフマの子、ドラヴィヤ・シャハ(Dravya Shah)がゴルカ王国を確立。当時、ネパールは多くの独立した小国に分かれており、ゴルカは二四諸国にも数えられないほどの小国であった[1]

統一絶対王政期(1768年 - 1951年)

1743年プリトビ・ナラヤン・シャハがゴルカ王(第10代)を継承、ネパール統一に乗り出す。1767年キルティプルの戦い1768年カトマンズの戦い英語版で、ネワール族のマッラ朝にゴルカ軍が勝利。同年9月、彼はネパール王に即位する[2]

1814年ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャハの治世にグルカ戦争がネパールとイギリス東インド会社との間で勃発する。この戦いに敗れたネパールは、1816年、国土の1/3を失う[3]

1846年ラジェンドラ・ビクラム・シャハの治世、ゴルカ朝は宰相のラナ家に実権を奪われ、名ばかりの王家となる[4]

立憲王政期(1951年 - 2008年)

ゴルカ朝がその実権を取り戻したのは1951年トリブバン国王のときのことである[5]亡命先から帰国したのち、初めて立憲君主制を採用した[6]

1959年マヘンドラ国王は憲法を公布してネパール初の総選挙を実施。選挙の結果ネパール会議派が大勝し、ビシュエシュワル・プラサード・コイララ内閣が誕生する[7]。しかし、改革を進めようとする内閣と、権力を維持したい国王は次第に対立を深め、1960年、マヘンドラ国王は憲法を停止して内閣・議会を解散、コイララ首相ら政党指導者を逮捕した(国王のクーデター)[8]

1962年、マヘンドラ国王は政党の禁止などを定めた新憲法を公布。パンチャーヤト制と呼ばれる国王にきわめて有利な間接民主制が行われた。また、首相の任免は国王が行った[9]

マヘンドラ国王は、1972年1月31日に死去した[10]。同日、マヘンドラ国王の長男のビレンドラが跡を継ぎ、国王に即位する。

1990年民主化運動であるジャナ・アンドランの高まりに押されて、ビレンドラ国王は民主的憲法を制定し、直接選挙による国会、国会から選ばれる内閣を復活する[11]。この事により、ビレンドラは開明的君主として、国民の厚い信頼を得た。

2001年6月1日ネパール王族殺害事件により、ビレンドラ国王はじめ多くのシャハ王家の構成員が死亡した。昏睡状態のディペンドラ皇太子が数日間王位についたが死亡し、叔父のギャネンドラが即位(重祚)した[12]

2005年2月、ギャネンドラ国王は議会を解散し、政府の実権を掌握する。ギャネンドラ国王の親政ロクタントラ・アンドランによって2006年4月に終わり、ネパールの君主制と、ゴルカ朝はネパール制憲議会に委ねられることが決まった。2007年12月24日、王制は制憲議会開会とともに廃止されると発表された。

2008年5月28日、制憲議会の第一回の会議で「連邦共和制」が宣言され、ゴルカ朝は滅亡した。

歴代君主

ゴルカ王

  1. ドラヴィヤ・シャハ(在位:1559年 - 1570年)
  2. プールナ・シャハ(在位:1570年 - 1605年)
  3. チャトラ・シャハ(在位:1605年 - 1609年)
  4. ラーム・シャハ(在位:1609年 - 1633年)
  5. ダンバル・シャハ(在位:1633年 - 1645年)
  6. クリシュナ・シャハ(在位:1645年 - 1661年)
  7. ルドラ・シャハ(在位:1661年 - 1673年)
  8. プリトビパティ・シャハ(在位:1673年 - 1716年)
  9. ナラ・ブーパール・シャハ(在位:1716年 - 1743年)
    1. プリトビ・ナラヤン・シャハ(在位:1768年 - 1775年)
    2. プラタープ・シンハ・シャハ(在位:1775年 - 1777年)
    3. ラナ・バハドゥル・シャハ(在位:1777年 - 1799年)
    4. ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャハ(1799年 - 1816年)
    5. ラジェンドラ・ビクラム・シャハ(在位:1816年 - 1847年)
    6. スレンドラ・ビクラム・シャハ(在位:1847年 - 1881年)
    7. プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ(在位:1881年 - 1911年)
    8. トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ(在位:1911年 - 1950年、1951年 - 1955年) 1951年復位、王政復古
    9. マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(在位:1955年 - 1972年)
    10. ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(在位:1972年 - 2001年6月1日)
    11. ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(在位:2001年6月1日 - 6月4日)
      1. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.487
      2. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.496
      3. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.515
      4. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.543
      5. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.611
      6. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.543
      7. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.646
      8. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.648
      9. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.650
      10. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.654
      11. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.611
      12. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.678

      参考文献