シリア内戦
2011年4月18日、ホムスにおけるデモ
内戦の状況
  シリア政府(アサド政権)の制御下
  クルド人勢力の制御下
  ISILの制御下
  紛争地帯(各勢力における戦闘の最前線)
  その他の反政府勢力の制御下

※より詳細な戦況マップについては、こちら(英語)も参照

目的 バッシャール・アル=アサド大統領の退陣など
発生現場 シリアの旗 シリア
期間 2011年3月15日 – 現在進行中 開始から7年
行動 テロ活動デモ活動ストライキ暴動市民的不服従市民的抵抗英語版略奪
死者 約46万5000人(シリア人権監視団推計)[1]
(国連は推計を中止)[2]
シリア内戦
Syrian Civil War
Montage of the Syrian Civil War.png
2011年 - 現在
場所シリア全土
結果 現在継続中
衝突した勢力

シリアの旗 シリア
イランの旗 イラン
ロシアの旗 ロシア
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
InfoboxHez.PNG ヒズボラ


パレスチナの旗PLFP-GC
Flag of the Ba'ath Party.svgバース旅団英語版
イラクの旗アル=アッバス旅団英語版

Flag of Syria (1932-1958; 1961-1963).svg自由シリア軍
Flag of Syria (1932-1958; 1961-1963).svgイスラム戦線
Flag of Syria (1932-1958; 1961-1963).svgシリア革命指導評議会
トルコの旗 トルコ


Flag of Hayat Tahrir al-Sham.svgタハリール・アル=シャーム


Islamic state of iraq.jpgISIL
Flag of Syrian Kurdistan.svgシリア民主軍
Flag of Syrian Kurdistan.svgクルド人民防衛隊
Flag of Syrian Kurdistan.svgクルド民主統一党
クルディスタン地域の旗クルディスタン民主党
クルディスタン地域の旗クルディスタン愛国同盟
Flag of Kurdistan Workers' Party.svgクルディスタン労働者党
指揮官
シリアの旗バッシャール・アル=アサド
シリアの旗マーヘル・アル=アサド
シリアの旗ファハド・ジャシム・アル=フレイジ英語版
シリアの旗アリー・アブドラ・アイユーブ英語版
シリアの旗アースィフ・シャウカト
シリアの旗スハイル・アル=ハッサン
シリアの旗イサーム・ザフルッディーン
InfoboxHez.PNG ハサン・ナスルッラーフ
イランの旗ガーセム・ソレイマーニー
ロシアの旗ウラジミール・プーチン

Flag of Syria (1932-1958; 1961-1963).svgアブド・アル・イラー・バシル
Flag of Syria (1932-1958; 1961-1963).svgヤード・アル=アサド
トルコの旗ゼカイ・アクスカリ


Flag of Hayat Tahrir al-Sham.svgアブー・ムハンマド・アル=ジャウラニ


Islamic state of iraq.jpgアブー・バクル・アル=バグダーディー
Flag of Syrian Kurdistan.svgサリー・ムスリム・ムハンマド
戦力
シリア軍
178,000人–250,000人
シリア国民防衛軍英語版
80,000人
イラン
3000-5000人
イラク
7000人
ロシア
4000人
親政権派民兵
27,000人

自由シリア軍
40,000人-50,000人
反体制派民兵
100,000人
トルコ
4,000人-8,000人


タハリール アル・シャーム
18,000人



ISIL
31,500人-100,000人
連合党民兵
65,000人
アル-アクラド旅団
7,000人

シリア内戦(シリアないせん)は、シリア2011年3月15日に起きた一連の騒乱から続く、シリア政府軍とシリアの反体制派及びそれらの同盟組織などによる内戦である。

概要

混乱により破壊されたホムス市内

シリアにおける内戦は、2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つであり、シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている[3][4]。チュニジアのジャスミン革命とエジプト民主化革命のように、初期はデモ行進ハンガーストライキを含むさまざまなタイプの抗議の形態をとった市民抵抗の持続的運動とも言われた[5]。初期の戦闘はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、サラフィー・ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も生じている[6]。現在は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に乗じ過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線、またクルド民主統一党(PYD/Partiya Yekitiya Demokrat)をはじめとしたシリア北部のクルド人勢力ロジャヴァが参戦したほか、アサド政権の打倒およびISIL掃討のためにアメリカフランスをはじめとした多国籍軍、ロシアイランもシリア領内に空爆を行っており、内戦は泥沼化している。また、トルコサウジアラビアカタールもアサド政権打倒のために反政府武装勢力への資金援助、武器付与等の軍事支援を行い内戦に介入している。

反体制派からの情報を収集する[7]英国拠点の反体制派組織[8]シリア人権監視団は2013年8月末の時点で死者が11万人を超えたと発表している。国際連合により、2012年5月下旬の時点でもはや死者数の推計は不可能と判断されている[2]国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推計によると、2017年までに元の居住地を離れて約630万人が国内で避難生活を送り、500万人以上が国外に逃れた。こうした難民の主な行き先としてはトルコ(320万人)、レバノン(100万人)、ヨルダン(65万人)、イラク(24万人)、エジプト(12万人)で、トルコなどを経由してヨーロッパなどに渡った人々も多い[9]日本には2014年6月20日時点で52人が難民申請しているが、日本政府は一人も認めていない[10]

反政府武装組織の一つ自由シリア軍により教会が破壊されたとされる事例[11]をはじめ、反政府主義者によるキリスト教徒(その大半は正教非カルケドン派東方典礼カトリック教会といった東方教会の信者)への排撃が問題となる局面も出てきている[12][13]

2014年に入り、ISILと、シリア反政府勢力との間で戦闘が激化した。当初、ISILは、シリア反政府勢力から歓迎されていたが、ISILが他の反体制派組織を支配下に置こうとして内紛が起きた。さらには、ISILが一般市民も巻き込んで暴力をふるうようになり、関係は悪化している。反体制派の主要組織である「国民連合」は、ISILとの戦闘を全面的に支持している[14]。急速に勢力を拡大させたISILに対し、反体制派が依然として内紛を繰り返す状況で、シリア国内では唯一ISILに対抗できる存在であるアサド政権の国際的価値が高まり、欧州各国や国連、シリア国内の反体制派ですら、当初の要求であったアサド大統領の退陣を要求しなくなっている[15]。しかしアサド政権が4月4日に行ったカーン・シェイクン化学兵器攻撃を受けてアメリカ軍はアサド政権のシャイラト空軍基地攻撃を行った[16]。また、実態として西側諸国が穏健派とする反政府武装勢力やアルカイダ系組織・ISILの間に明確な線引きをするのは難しく、各勢力が強固な組織を基盤としているわけではない。さらに、いずれも反アサド政権・反世俗主義・反シーア派・反少数派イスラム教(アラウィー派ドゥルーズ派等)、反キリスト教スンニ派イスラム主義組織であるという共通点があることから、資金力の増減や戦況の良し悪しによって戦闘員の寝返りや武器交換も相互に行われている。そのためあくまでもISILも反政府武装勢力のうちの一つととらえた方が実態に近く、イスラム国の残虐性だけが突出しているわけではない。さらに、シリア政府側に立つ組織もシリア軍の他にシーア派民兵やヒズボラやイランのイスラム革命防衛隊なども参戦しており、これもまた統率が取れているわけではない。実際に、アルカイダは自由シリア軍などの反政府勢力と協力している。さらに、アルカイダ系武装集団は、2013年9月に協力体制にあったはずの自由シリア軍に攻撃を仕掛けるなど、アサド政権・反政府勢力の双方と敵対し、シリア国内は三つ巴の戦いになりつつある[17]。更にアルカーイダと協力関係にあった武装集団ISIL(イラク・レバントのイスラム国)が、2013年5月に出されたアルカイダの指導者アイマン・ザワーヒリーの解散命令を無視してシリアでの活動を続けているなど、アルカーイダやアル=ヌスラ戦線との不和も表面化している[18]。他にも、クルド人などのシリア国内の少数民族も武装化して、政府軍やアルカーイダ系の武装集団を襲撃して事実上の自治を行っており[19]、さらにイラククルド人自治区のような正式な自治区を作ろうとしている[20]

シリアで内戦が激化している理由として、主に4つがあげられる。まずは、アラブイスラム世界の中で敵対関係にあるイスラエルなどと国境を接するという地政学的事情。次にシリアバース党政権が一貫した親露、親イランである一方、親欧米・親NATO諸国であるサウジアラビアを中心としたスンニ派の湾岸諸国とは激しく対立している点。3つ目としては、トルコ政府と対立するクルド人の問題。さらに4つ目はアサド大統領がシーア派の分派でありキリスト教の影響も強いアラウィー派で、イスラム色の薄いスンニ派も含めた世俗派主体に支持者が多いのに対し、反政府勢力はスンニ派イスラム主義勢力が多く、世俗主義とイスラム主義の対立や宗派対立の様相も呈していることにある[21]

レバノンの3月14日勢力en:March 14 alliance)は、反政府抗議者たちに財政支援をしたとして非難されているが[22]、自らはこれを否定しており[23]非難の応酬となっている[24]。シリアによるレバノンへの武器輸送を阻むためとして、イスラエルがシリア国内の軍事基地を何度も空爆している[25]。レバノンに敵対しているイスラエルは、これを自衛のためとしている[26]。また、戦闘による流れ弾がトルコの街に着弾し、トルコ軍が反撃を行うなど、隣国との戦闘も発生している[27]

性質

国際的なシリア国内の状況の認識としては、2011年12月にUNHCRが事実上の内戦(Civil war)状態であるとしたほか[28][29]、2012年6月12日にはエルベ・ラドゥース国連事務次長が高官としてはじめてシリアが内戦状態にあるとの見解を示している[30][31]。同年7月15日には赤十字国際委員会が事実上の内戦状態であるとしている[32]。一方でシリア政府側は騒乱開始以来、これはあくまで対テロ戦争であり、内戦ではないとの認識を示している。2012年6月になって大統領アサドが公の場で「真の戦争状態にある」と発言している[33]。アサド大統領は、2013年9月には「現在シリアで起きているのは、内戦ではなく戦争であり、新しい種類の戦争だ」としており、シリアは「テロの犠牲者」と語っている。また、反体制派の8割から9割はアルカイダとも主張している[34]

外国勢力を巻き込んだ複雑な対立と利害関係

シリア内戦は各国・各勢力の思惑が露骨に衝突した戦争となっており、それがこの紛争の解決をより一層難しくしている。アラブの春に影響を受けた、当初の目的である平和的な反政府デモを発端とするものの、その後は反体制派が周辺国からも入り乱れて過激派にとって代わられることで双方の対立が激化。その反体制派からはISILまで生んだ。

つまり、欧米諸国とその同盟国が描く巨悪・アサド政権に対する自由を求める民衆の蜂起という構図は、その後のシリア内戦で変質した。多国籍の軍隊がそれぞれ別の思惑でシリアを舞台にして、自らの権益を拡大・死守する代理戦争と化し、欧米が支援する反体制派では、民主化とは正反対であるイスラム原理主義の過激派勢力が台頭した。同時にこの対立構造ではSNSを駆使した情報戦が行われており、アサド政権とその支援を行うロシアイラン、さらに反体制派を支援するサウジアラビア・トルコ・カタールのアルジャジーラ、さらにBBCCNN等の西側メディアも含めて悲惨な難民の姿や女性、子供の被害者・犠牲者をメディアを通じてセンセーショナルに報道する場面が目立ち、プロパガンダの応酬となっている。特に欧米諸国が資金援助を行っているホワイト・ヘルメットの扱い[35][36]や、化学兵器の使用に関する報道で顕著となっている。

シリア紛争に関しては双方の利害の主張が著しく、中立的な視点を持つ報道が過小または中立的な視点を持つジャーナリズムは主流メディアから殆ど追いやられているといってよい。そこには、かつての各地で起こった民族間や旧宗主国とその権益から来る利害関係から起きた内戦とは大きく異なっており、より複雑でグローバル戦争ともいえる。人道主義を掲げて樽爆弾や無差別爆撃、化学兵器の使用等からアサド政権の残虐性を厳しく指摘する欧米諸国も反体制武装勢力によるキリスト教徒への迫害を批判したバチカン市国ローマ教皇庁等の一部を除き、反体制派の残虐性やサウジアラビアが関与するイエメンの惨状(2015年イエメン内戦)には余り言及されていない。

主要勢力

シリア軍・アサド政権支持勢力