デンマーク
Danmark
デンマークの国旗 デンマークの国章
国旗 国章
国の標語:なし
王のモットー: Guds hjælp, Folkets kærlighed, Danmarks styrke
(デンマーク語: 神の救い、国民の愛情、デンマークの力)
国歌Der er et yndigt land(デンマーク語)
麗しき国
王室歌Kong Christian stod ved højen Mast(デンマーク語)
クリスチャン王は高き帆柱の傍に立ちて
デンマークの位置
公用語 デンマーク語[1]
首都 コペンハーゲン
最大の都市 コペンハーゲン
政府
女王 マルグレーテ2世
首相 ラース・ロッケ・ラスムセン
面積
総計 43,094km2130位
水面積率 1.6%
人口
総計(2016年 5,707,251人(112位
人口密度 126人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1兆7,397億[2]デンマーク・クローネ
GDP (MER)
合計(2008年 3,429億[2]ドル(27位
GDP (PPP)
合計(2008年2,040億[2]ドル(48位
1人あたり 37,265[2]ドル
独立8世紀頃(建国)、1815年デンマーク=ノルウェーより)
通貨 デンマーク・クローネ (DKK)
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 DK / DNK
ccTLD .dk
国際電話番号 45
  1. ^ グリーンランドでは、グリーンランド語イヌイット語)が公用語。
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]

この表中の各数値は、グリーンランドフェロー諸島を含んでいない。

デンマークデンマーク語: Danmark, 発音 [ˈdænmɑɡ̊] ( 音声ファイル))は、北ヨーロッパバルト海北海に挟まれたユトランド半島とその周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家北欧諸国の1つであり、北では海を挟んでスカンディナヴィア諸国、南では陸上でドイツと国境を接する。首都コペンハーゲンシェラン島に位置している。大陸部分を領有しながら首都が島嶼に存在する数少ない国家の一つである(他には赤道ギニアイギリス[1]のみ)。

自治権を有するグリーンランドフェロー諸島と共にデンマーク王国構成している。

ノルディックモデルの高福祉高負担国家であり、市民の生活満足度は高く、2014年の国連世界幸福度報告では第1位であった。

国名

デンマーク語による正式名称は、Danmark [ˈdanmɑʀg] (発音をカタカナ書きにすると「ダンマハク」が近い)。

日本語の表記は、デンマーク(英語読み)。古くは、デンマルクと表記された。漢字による当て字は、丁抹で、と略される[2]

英語の表記は "Denmark"(省略形はDa)、形容詞は"Danish"(発音をカタカナ書きにすると「デイニッシュ」が近い)。国民はDane。

国名は、古ノルド語で「デーン人の土地」を意味する「ダンメルク(Danmörk)」からで、北欧神話にもこの名で登場する。

歴史

デンマークには有史以前から人が住んでいたとされている。氷河期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年頃から人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年頃始まったようだ。

ノルマン人の一派のデーン人ゲルマン民族移動の時代に到来し住みついた。その後、彼らは8世紀から11世紀にかけてのヴァイキングの時代にヨーロッパ諸国を侵略、また貿易を行った。彼らはユトランド半島を基盤にして、シェラン島スウェーデン南部に影響力を持っていた。11世紀初頭の30年間にはカヌート大王がデンマークとイングランドを支配した(北海帝国)。

14世紀後半にはマルグレーテ1世の手により、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを支配下にしたカルマル同盟を築き大国として存在した。

1520年ストックホルムの血浴を契機に、1523年スウェーデンがカルマル同盟を脱し独立、スウェーデンとの300年にわたる抗争が始まった。伯爵戦争1534年1536年)でクリスチャン3世が勝利したことにより、宗教改革が行われデンマークはルーテル派の国となった。クリスチャン4世1626年ドイツ三十年戦争に介入、敗退したことからデンマークの衰退が始まる。そして、トルステンソン戦争1643年1645年)においてスウェーデンとの戦いで、完全にデンマークは小国へと転落した。17世紀初頭のスウェーデン・ロシア帝国間の大北方戦争においても、スウェーデンに敗れ、敗戦国扱いをされた。大北方戦争に敗れたスウェーデンと共に、デンマークも同様に北欧の没落を体験した。

近代に至りナポレオン戦争においても、フランスと同盟を結んでいたため、敗北、1814年キール条約によって、長年支配してきたノルウェーをスウェーデンに奪われた(ただノルウェー領であったアイスランドグリーンランドなどはデンマーク領として残された)。417年間続いたカルマル同盟はここに解消を告げたのである。その後、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題からプロイセン王国との2度に渡るシュレースヴィヒ戦争になり南部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州などを失い、デンマークの経済は危機的状況に瀕した。植林などの産業振興によってこの危機を乗り越えた歴史は、日本では内村鑑三の『デンマルク国の話』で紹介され、広く親しまれた。苦難の時代ではあったが、デンマーク王室の王女たちがヨーロッパ諸国に嫁いだり、ギリシャ王国や独立時のノルウェー王国にデンマーク王家の分家が王として迎えられるなど、デンマーク王家は当時のヨーロッパ君主国の「ヨーロッパの義父」となった。

第一次世界大戦では中立を維持したが、第二次世界大戦では1940年ナチス・ドイツによって突然宣戦された。国王クリスチャン10世は亡命せずに一日で降伏を選び、デンマークはドイツの占領下に置かれることになった。初期はモデル被占領国と呼ばれたが、国内では自治を許され、反ナチ運動家を保護したりした。その後、ドイツ軍への抵抗運動なども起こった。一方で駐米大使ヘンリク・カウフマン英語版連合国に接近し、グリーンランドを連合軍の便宜に任せた。またフェロー諸島とアイスランドも連合国によって占領され、うちアイスランドは1944年に独立している。カウフマンの活動もあって、デンマークは本国政府の活動にも関わらず連合国として扱われることになった。5月には駐デンマークのドイツ軍が降伏し、デンマークは解放された。

戦後、北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、1973年にはヨーロッパ共同体にも加盟した。しかし後に対NATO関連でNATOと対立(デンマーク化)。とは言え、ノルディックバランスを守り抜き、冷戦期を乗り切った。国内経済、教育水準共に世界トップクラスの先進国の1つであり、EUの一員、国連非常任理事国も担当している(2010年時点で4期8年)。

自由党による中道右派政権が2001年より政権を掌握していたが、経済政策の低迷によって支持率は低下した。その結果、2011年の総選挙で社会民主党を中心とする野党の中道左派連合が僅差で勝利し、同年10月3日にヘレ・トーニング=シュミット内閣が発足。環境政策や教育改革に重点を置く一方、移民受け入れ制限の緩和など前政権の反移民・反イスラム政策の軌道修正を図っている。近年右派の伸張が際立つ北欧においては珍しいケースとなった[3]

2015年6月18日の総選挙で社会民主党は議席を上積みしたが、他の連立政党が議席を大幅に減らしたため与党中道左派連合は敗北。ヘレ・トーニング=シュミット首相は辞任した。また、長い間中道右派連合の中核を担ってきた自由党 も振るわず結党以来最低の議席数となったが、連立相手の政党である右派のデンマーク国民党や中道右派の 自由同盟が議席を増やしたため僅差で中道左派連合を上回り、4年ぶりに政権に返り咲くこととなった。

政治

国会や最高裁判所が置かれているクリスチャンスボー城

政体

政体立憲君主制であり、国王は国家元首である。

行政

行政府の長は首相であり、首相は国王によって任命される。

立法

立法府一院制フォルケティングである。

憲法

デンマーク王国憲法1849年6月5日に制定され、最後の改正は1953年に行なわれた。この改正では上院が廃止され、女性も王位を継承できるようになった。この改正で現女王マルグレーテ2世が王位継承者となり、1972年に即位した。ただし、女性が王位を継げるのは他に男子が居なかった場合にのみ許されるということで、2009年6月7日の国民投票により、ようやく無条件で女子が王位を継承できることとなった。

上院を廃止したため、下院のみが存続を許された。現在のデンマーク貴族は法により免税特権がある。

成文憲法を長期間改正していない国としては日本(最後の改正は1946年)に次いで2番目(最後の改正は1953年)である。

軍事

訓練中のデンマーク兵

18歳から32歳までの男子を対象にした徴兵制が敷かれている。現在の兵役期間は4か月となっている[4]。ただし、4か月経過後に希望者は期間延長が可能。なお、良心的兵役拒否が認められており、代替役務が制度化されている。

国防軍はデンマーク陸軍デンマーク海軍デンマーク空軍およびデンマーク郷土防衛隊の4軍体制である。兵員数は2万5000人。それに加えて、予備役1万2000人と郷土防衛軍5万1000人がいるので、有事の際には合計8万8000人ほどまで兵力を準備できることになっている。

平和維持活動にも積極的に参加しており、KFOR(コソボ治安維持軍)に380人、アフガニスタンISAF(国際治安支援部隊)に700人、海軍の最新鋭艦アブサロンソマリア沖の海賊退治のためにジブチを拠点に展開している。イラク戦争にも参戦し、最大500人の兵士が終戦後の復興支援活動にも従事したが、2007年に撤退している。総兵力は少ないのにもかかわらず、国際平和維持活動や対テロ戦争に多くの人員・物資を供給し、また兵士の質の高さから、国際社会からは高い評価を受けている。

国際関係

日本との関係

日本に訪れた最初のデンマーク人は幕末にフランス海軍へ出向していたエドゥアルド・スエンソンである。彼は1866年から1867年の間、フランス公使レオン・ロッシュに付き従い、ロッシュと徳川慶喜の会見にも陪席した。スエンソンはこのときの様子を『江戸幕末滞在記』に著しており、「外国から見た幕末維新の歴史」を知る貴重な資料になっている。

1867年に日本とデンマークの間で「修好通商航海条約」が締結されたのが両国の国交樹立とされている[5]

1871年大北電信会社が日本に初めて海底ケーブルを陸揚げする。このときスエンソンは大北電信会社創業者のカール・フレデリック・ティットゲンに経験を見込まれて日本に派遣されている。

1873年(明治6年)4月に岩倉使節団がデンマークを訪問しており、当時のコペンハーゲンの様子が、『米欧回覧実記』に一部イラスト入りで、詳細に記されている[6]

1957年フレゼリクスハウン出身のヨハネス・クヌッセン和歌山県沖での海難救助活動中に殉難した。日本の船員を救おうとして殉難したクヌッセンの行動は、当時の日本で大きな話題となり[7]、その勇敢な行動は顕彰され、日本とデンマークの友好と交流の象徴として語られる。

デンマーク在住の日本人は2014年10月現在、1,509名。日本在住のデンマーク人は2014年6月現在、485名となっている[8]

日本皇室とデンマーク王室の交流