ノルウェー王国
Kongeriket Norge(ブークモール)
Kongeriket Noreg(ニーノシュク)
ノルウェーの国旗 ノルウェーの国章
国旗 国章
国の標語:不明
国歌Ja, vi elsker dette landet(ノルウェー語)
そう, 我らはこの地を愛す
ノルウェーの地図
ノルウェーの位置
公用語 ノルウェー語ブークモールニーノシュク)、サーミ語[1]
首都 オスロ
最大の都市 オスロ
政府
国王 ハーラル5世
首相 エルナ・ソルベルグ
面積
総計 385,199km266位
水面積率 6.0%
人口
総計(2014年 5,109,056人(116位[2]
人口密度 17人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 2兆5,378億[3]ノルウェー・クローネ
GDP (MER)
合計(2008年 4,562億[3]ドル(23位
GDP (PPP)
合計(2008年2,565億[3]ドル(39位
1人あたり 53,450[3]ドル
独立

 - 宣言
 - 承認
スウェーデン=ノルウェー連合王国より
1905年 6月7日
1905年10月26日
通貨 ノルウェー・クローネ (NOK)
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 NO / NOR
ccTLD .no
国際電話番号 47
註1 : 6地区では、さらにサーメ語公用語

ノルウェー王国(ノルウェーおうこく、ノルウェー語: Kongeriket Norge/Noreg)、通称ノルウェーは、北ヨーロッパスカンディナビア半島西岸に位置する立憲君主制国家である。首都は半島南端部に存在するオスロフィヨルドの奥に形成された港湾都市のオスロで、東にスウェーデンロシアフィンランドと国境を接している。

国土は南北に細長く、海岸線は北大西洋の複数の海域、すなわちスカゲラック海峡北海ノルウェー海およびバレンツ海に面している。海岸線には、多くのフィヨルドが発達する。この他、ノルウェー本土から約1,000キロメートル (km) 離れた北大西洋上のヤン・マイエン島は固有の領土の一部として領有され、スヴァールバル条約によりバレンツ海スヴァールバル諸島を領有している。南大西洋ブーベ島を属領として持つ。

ノルディックモデルによる高負担高福祉の福祉国家として知られ[4]、OECDの人生満足度(Life Satisfaction)ではスイスに次いで第2位となった(2014年)[5]

国名

正式名称はノルウェー語ブークモール (bokmål) では Kongeriket No-Norge.oga Norgeニーノシュク (nynorsk) では Kongeriket No-Noreg.oga Noreg、サーミ語ではNorga / Norgga gonagasriika。英語による表記は Kingdom of Norway。通称 Norway。形容詞はNorwegian。日本語による表記はノルウェー王国。通称はノルウェーノルウェイとも。古くはノールウヱーと表記された[6]漢字による表記諾威で、と略される。

地理

ガルフピッゲン山
ノルウェーの地図。

スカンディナヴィア半島の西岸に位置し、北極海およびノルウェー海に面し、海岸にはフィヨルドが発達している。国土は北緯57度以上という高緯度地帯に位置しているが、北大西洋海流の分枝である暖流ノルウェー海流の影響により、不凍港であるほど温暖である。この為、バルト海沿岸よりもノルウェー北部は穏やかな気候となっている。また、陸地のほとんどをスカンディナヴィア山脈が占める為、平地は無いに等しい。最高地点はヨーツンハイム山地英語版にあるガルフピッゲンであり、標高は2469メートル (m) 。

面積はスヴァールバル諸島などを含めて約38.5万平方キロメートル (km2)で、日本よりわずかに広い。ただし、資料によってはスヴァールバル諸島を自治領とみなし、国土面積に含めないことがあり、その場合は日本より狭い値となる[7]

南極大陸クイーン・モード・ランドおよび南太平洋ペーター1世島の領有を主張しているが、両地は南極条約により領有権が凍結されている。ノルウェーとロシアの間でバレンツ海における領海の境界線の合意が得られていないことにより、当面の間両国によって共管される「グローソネン」(グレーゾーン)と呼ばれる海域があったが、2010年9月15日に両国は境界画定条約に調印した。

酸性雨が降り注ぎ、国連環境計画(UNEP)の1986年調査では、666万ヘクタールのうち26%に当たる171.2万ヘクタールが被害面積であった[8]

国民

民族構成(ノルウェー)
ノルウェー人
  
82%
その他
  
18%
人口ピラミッド
粥を持ち、ヤギにまたがったニッセサンタクロースの原型と言われる。ユールにお粥を炊いて、ニッセに供える習慣がある)。

2011年の統計[9]によるとゲルマン系のノルウェー人がほとんどで82.0%を占める。その他、スウェーデン系1.6%、デンマーク系1.0%、他に少数民族のサーミ人約2万人がいる。残りは移民であり、2010年には移民人口は552,000人と全人口の11.4%を占めている[10]。その内訳はポーランド(60,610人)、スウェーデン(34,108人)パキスタン(31,884人)、イラク(27,827人)、ソマリア(27,523人)、ドイツ(24,394人)、ベトナム(20,452人)、デンマーク(19,522人)、イラン(16,957人)、トルコ(16,430人)の順となっている。

公用語

公用語ノルウェー語である。ノルウェー語には、オスロ周辺の方言をもととしてデンマーク語の強い影響を受けたブークモール(書物の言葉)、および、デンマーク色を排しノルウェー各地域の方言をもとに言語の「純化」を行い人工的に作られたニーノシュク(新しいノルウェー語)の2種類がある。どちらも公用語として制定されているが、実際に広く話され理解されている言語の9割近くがブークモールである。また、公式にはニーノシュクの使用人口が1割以上居ることになっているが、実際には彼らは各地のランスモール(土着の言葉)の話者であり、彼らを総称して「ニーノシュク話者」とされているというのが実態に近い。人工言語としてのニーノシュクを用いる話者は少なく、伝統的な共通語・権威語であるブークモールや外国語を使わずに地域をまたがるコミュニケーションを行うのは困難であると言われる。

他にサーミ人がサーメ語を使っている。サーミ語人口は2万人程度である。カラショーク (Kárášjohka-Karasjok) 、カウトケイノ (Guovdageaidnu-Kautokeino) 、ネッセビィ (Unjárga-Nesseby) 、ポルサンゲル (Porsanger) 、ターナ (Deatnu-Tana) 、コーフョルド (Gáivuotna-Kåfjord) といったサーミ人が多く居住する地区では、サーメ語も公用語である。

また、イギリスに地理的にも歴史的にも深い関わりのあるノルウェーでは英語のテレビ番組が放送されていることもあり、(特に大都市圏では)多くの国民が英語に明るい。

宗教

キリスト教プロテスタントルーテル教会が多数派であり、ノルウェー国教会の所属が78.0%を占めている(2010年現在)。1537年に創設されたノルウェー国教会は長らく国教の地位にあったが、2012年にその座を降りた。その他のプロテスタントやローマ・カトリック等の団体所属は5.4%、キリスト教以外の宗教は2.7%(このうち80.1%がイスラム教)、人生哲学団体に所属する人の割合は1.7%である[11]

社会

OECD各国税収のタイプ別GDP比(%)。
水色は国家間、青は連邦・中央政府、紫は州、橙は地方、緑は社会保障基金[4]
OECD諸国における付加価値税(VAT)標準税率(2014年)[4]

1人当たりのGDPや平均寿命、就学率、成人識字率ともに世界的に高く[12]、「人間開発指数(HDI)」で、世界トップクラスに位置している(2006年度1位)[13]

また世界で最も男女平等が浸透している国としても知られている。男女の就労率の差はわずか0.6%で[12]、男女間の機会均等社会参加、利益などでも男女の差がなく、社会的要素の利益が男女の垣根なくいかに自由で平等に行き渡っているかを数値化したGDI、男女間の機会均等と社会参加の程度をあらわすGEMどちらも世界一である[13]。かつて、徴兵は男性だけの義務となっていたが、2014年に女性も対象とする法案が可決したことから、2015年から女性の徴兵を開始した。

なおGDPに占める税収比は40.5%と上位国のひとつであり(2013年)[4]付加価値税(VAT)も25.0%と上位国のひとつである(2011年)[14]

保健

平均寿命は80.8歳(2013年)[12]。主に一般税収を原資としたユニバーサルヘルスケアが達成されている[15]。国民1人当たりの保健支出は、OECD各国において米国に次いで高い[16]

なおアルコールは国営企業Vinmonopoletによる専売制となっている。

婚姻

ノルウェーでは、婚姻の際には、同姓婚姻と夫婦別姓、複合性のいずれかを選択できる[17]。また、2008年より、同性同士の婚姻(同性結婚)が可能となっている。

移民制度

2013年には移民人口は全人口の14%を占めている[10]ノルウェー労働党連立左派政権は移民受け入れは安易過ぎるとして2011年にウトヤ島にてノルウェー連続テロ事件で青年部を狙われた。2013年9月9日に行われた総選挙では青年部の生存者を「ウトヤの声」と名付けて候補者として多数擁立した。しかし、進歩党 (ノルウェー)という安易な移民受け入れを批判する政党と保守党を中心とした中道右派連合に敗北して下野した[18][19]。以後はノルウェーでは未だに寛容な受け入れ対策するスウェーデンを「失敗例」だとして言い続けてきた。進歩党のシルヴィ・リストハウグ移民・統合大臣は福祉国家の豊かなノルウェーを目当てに国内にやって来る移民への審査を厳しくしたため、移民制度自体がより厳格なデンマークよりも申請者数が激減した。大臣は「効果的な話し方と政治、厳しい境界線には効果がある。昨年(2016年)、申請者の数が最も激減したのはノルウェー!今後、受け入れた人々の社会統合をより成功させるためにも重要なこと。これからも低い数字を維持するためにも、出来る限りのことをしていかなければならない!」とするなどデンマーク、フィンランドと同様に昨今では安易な移民受け入れに反対する政党が政権へ影響力を持っている[20]

歴史

考古学上の発見が示すところによると、ノルウェーには約12,000年前には人が住んでいた。彼らはおそらくもっと南の地域、ドイツ北部からやって来て、海岸線に沿ってさらに北上したと考えられている。

9世紀から11世紀までのヴァイキング時代が国家形成の統一運動及び拡大の元となった。1130年から1240年までは王位継承権をめぐる内戦が起こった(ノルウェー内戦)。黒死病などによりノルウェー王家1387年に途絶えデンマーク配下となり、1450年より条約により従属化され、1536年には正式に独立を失った(デンマーク=ノルウェー)。デンマークがナポレオン1世側に付いた後の1814年スウェーデンに引き渡された。ノルウェー人はこの時、独立をはかったが、列強の反対により実現できず、スウェーデン王国との同君連合スウェーデン=ノルウェー)が形成された。スウェーデン王カール13世がノルウェー王に即位した。1818年にカール13世が死去すると、スウェーデン=ノルウェーはベルナドッテ王朝の支配下となった。

1750年頃から第一次世界大戦ロシア革命が起こった1920年まではノルウェー北部とロシアのアルハンゲリスクの間でポモール貿易英語版と呼ばれる海上貿易が盛んに行われた。ノルウェーで捕れる魚とロシアの穀物を取引し、どちらの社会においても重要度が高かった。

20世紀初頭、スウェーデン=ノルウェーの連合を解消しようという運動が高まり、1905年にノルウェー側からデンマークのカール王子に打診があった。その後、国民投票により君主国家を設立、議会は満場一致でカール王子をノルウェー王として選出した。彼は独立したノルウェーでホーコン7世として即位した。スウェーデン政府はこの決定に反発し、一時騒然となったが、オスカル2世と社民党政府の国民への説得により、ノルウェーの独立が認められた。

ノルウェーは第一次世界大戦では中立国だったが、第二次世界大戦ではドイツによる侵略を受け、非同盟政策に疑問を抱くようになり、集団安全保障国家となった。また、1945年7月6日には対日宣戦布告するが、ついに戦火を交える事はなかった。ノルウェーは国際連合設立メンバーであり、また北大西洋条約機構 (NATO)原加盟国として、1949年北大西洋条約に調印した。ノルウェーでは1972年1994年の2度欧州連合への加盟に関する投票が行われたが二度とも否決され、現在も欧州自由貿易連合 (EFTA) のメンバーに留まっている。

政治

ハーラル5世国王
ソルベルグ首相
ストーティング(ノルウェー議会議事堂)。

政体

ノルウェーの政体議会制度を持つ立憲君主制である。国王の役割は、主に儀式や式典などに限られるが、国の象徴として国民意識の統一に重要な役割を果たしている。

行政

スウェーデン=ノルウェー連合王国時代の1814年の法律で、「国王は、議会または首相を含む内閣を任命する」という重要な執行権が与えられたが、ほとんどの場合は議会が国王の名の下行使している。1884年には議院内閣制が成立し、内閣の発足には議会の承認が必要となった。これにより、国王による任命は事実上形式だけのものとなった。

立法

ノルウェー議会(ストーティング)は一院制で169名の議員から成る。2007年の憲法改正以前には、単一の選挙で選出された議員たちがウーデルスティング(下院127名)とラーグティング(上院42名)に分かれ、憲法改正等を除いては二院制として機能する変則的な体制であった。解散はなく、総選挙は4年に1度行われる。19の県を単位とする比例代表制選挙で150議席が選ばれたのち、19議席が得票率と獲得議席との乖離を調整するために配分される。選挙権はその年に満18歳以上となる者に与えられている。

なお、ノーベル平和賞の受賞者を決定するノルウェー・ノーベル委員会の委員はノルウェー議会によって選出される。

憲法

5月17日憲法記念日のパレードで、ノルウェーの国旗を持って行進するボーイスカウトたち。

1814年5月17日英語版アイツヴォル英語版会議にて調印されたノルウェー憲法は、ノルウェーを絶対君主制から民主的な立憲君主制へと変化させた。アイツヴォル憲法英語版言論の自由(100条)、法治主義(96、97、99条)などを定めた。主要な憲法改正には次のようなものがある: