ベルトラン・ドラノエ
Bertrand Delanoë
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生年月日 (1950-05-30) 1950年5月30日(68歳)
出生地 チュニジアの旗 チュニジア チュニス
前職 パリ市長
所属政党 社会党
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パリゲイ・パレードの先頭を歩くベルトラン・ドゥラノエ市長 (2005年6月25日

ベルトラン・ドラノエ(Bertrand Delanoë, 1950年5月30日 - )は、チュニジアチュニス出身のフランス政治家である。社会党所属。元パリ市長

来歴

1950年、測量士の父と看護婦でカトリック教徒の母との間に生まれる[1]。彼の父方の曾祖父母はサン・マロ出身でサンピエール・ミクロンへ移住した。父方の祖父オギュストはサンピエール・ミクロンで生まれて幼少期を過ごしている[2]。一家はサン・マロに戻って定住したが、オギュストはラ・グーレット港の船長になるためチュニジアへ移った。彼はそこでイタリア人のアニタと結婚した[1]。ドラノエの母は父方がペリゴール出身、母方がイギリス人であった[1]。ドラノエの父オギュストと母イヴォンヌ・ドロールはどちらもカルタゴで生まれた[3]。ベルトラン・ドラノエはビゼルトで育った[4]。11歳の時にはビゼルト危機を経験している[5]

13歳の時、ビゼルト基地の閉鎖で仕事を失った家族は破綻した。母イヴォンヌは息子を連れてロデーズに移住した。彼はトゥールーズ第1大学カピトルで法学を学んだ[5]

1995年元老院議員となる。1998年11月22日夕方にフランス全土で放映されたM6局の報道番組立ち入り禁止地帯」(:Zone Interdite)において、自身がゲイであることを明らかにした。同性愛者であることをフランスで初めて公表した国会議員として、全国的に名が知られるようになる。

2001年3月の地方選挙において、当時のパリ市長であった保守系のジャン・チベリを破り、パリ市長に就任する[6]2002年にはセーヌ川河畔に砂浜を作り、以降、毎夏4週間限定の新たなバカンス・スポットとした。

彼が掲げる施策のひとつに、自動車交通削減と代替公共交通機関充実がある。市内の自動車交通量は最初の1年で3%減少した。

2002年10月5日白夜祭で賑うパリ市内で暴漢に刺されて重傷を負うも、一命を取り留め、翌11月には公務に復帰した[7] [8]。 逮捕された人物は警察の取り調べに対して「政治家、とくに同性愛者が嫌いだった」と動機を語った[9]

2008年3月パリ市長として再選。またドラノエ市長は、2008年末の社会党第1書記選挙、さらには次期大統領候補を目指すと注目されていた。

3期目は目指さないことを2011年に発表し、2014年3月の選挙には出馬せずパリ市長を退任した。

毎年6月の最終土曜日にパリ市内で開催されるゲイ・パレードに欠かさず参加し、先頭を歩いている。

著書