マラウイ共和国
Dziko la Malaŵi (チェワ語)
Republic of Malawi (英語)
マラウイの国旗 Coat of arms of Malawi.svg
国旗 (国章)

国の標語:Unity and Freedom
(英語: 統一と自由)
国歌おお、神よ、マラウイに祝福を

マラウイの位置

公用語 英語
首都 リロングウェ
最大の都市 ブランタイヤ
政府

大統領 ピーター・ムタリカ
首相 なし

面積

総計 118,480km298位
水面積率 20.6%

人口

総計(2012年 15,910,000人(???位
人口密度 100人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年 5,997億[1]マラウイ・クワチャ
GDP (MER)

合計(2008年 42億[1]ドル(148位
GDP (PPP)

合計(2008年113億[1]ドル(143位
1人あたり 834[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1964年7月6日
通貨 マラウイ・クワチャ (MWK)
時間帯 UTC +2(DST:なし)
ISO 3166-1 MW / MWI
ccTLD .mw
国際電話番号 265

マラウイ共和国(マラウイきょうわこく)、通称マラウイは、アフリカ大陸南東部に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。旧称はイギリス保護領ニヤサランド(Nyasaland、ニアサは「湖」の意)。首都はリロングウェ、最大の都市はブランタイヤである。アフリカ大地溝帯に位置する内陸国である。マラウイ湖の西岸にあり、東西の幅は90-161km、南北の長さは900kmと南北に細長い形をした国。国土はほとんど高原上にあり、マラウイ湖が大きな面積を占める。北・北西はタンザニアと、東・南・南西はモザンビークと、西はザンビア国境を接している。チェワ族が主流。

独立以降、アフリカでは珍しく対外戦争や内戦を経験しておらず“The Warm Heart of Africa”(アフリカの温かい心)という別称を持つ[2]

国名

正式名称は、チェワ語で、Dziko la Malaŵi

英語ではRepublic of Malawi(リパブリック・オブ・マラウィ)。通称はMalawi

日本語の表記は、マラウイ共和国。マラウイはチェワ語で「光」「炎」などを意味する。

歴史

かつてこの地にはサン人が居住していたが、15世紀にチェワ族を中心とするバントゥー系の複数の部族が連合してマラヴィ(Maravi)と呼ばれるようになり、マラビ帝国(マラヴィ帝国、マラウィ帝国とも)が建国された。マラビ帝国はモザンビーク方面から到来したポルトガル人スワヒリ都市のアラブ人との交易を行いながら、19世紀末までこの地を統治した。

スコットランドからの強力なキリスト教宣教活動による結果、1891年にイギリスの保護領となり、1893年イギリス中央アフリカ保護領1893年 - 1907年)と改称されたのち1907年ニヤサランド1907年 - 1953年)となった。

第二次世界大戦後、1953年に北ローデシア(現ザンビア)、南ローデシア(現ジンバブエ)、ニヤサランド(現マラウイ)をあわせたローデシア・ニヤサランド連邦(イギリス領中央アフリカ連邦、CAF、1953年 - 1963年)が成立した。これは、地下資源の豊富な北ローデシア、製造業が盛んな南ローデシアと、黒人労働力の供給先であるニヤサランドを結びつけて経済発展を図った白人入植者(アングロアフリカン)の策であった。しかし、1958年11月23日全アフリカ人民会議英語版(AAPC)に出席したバンダをはじめとした急進派の独立運動がアフリカ各地で高揚した。ニヤサランドでは1959年にローデシア・ニヤサランド連邦への反対運動を続けたバンダがグウェル(現ジンバブエ領内)に投獄されたが、いわゆる1960年の「アフリカの年」を迎える中で連邦分離の動きは止まらず、連邦の維持は困難になっていた。1962年には連邦内の自治権を獲得。1963年には連邦離脱の権利を認めさせ、ローデシア・ニヤサランド連邦は解体した。

独立

1964年にニヤサランドはイギリス連邦内の英連邦王国の形式で独立、国際連合にも加盟した。1966年にはマラウイ会議党 (MCP) による一党制国家になっている。初代大統領はヘイスティングズ・カムズ・バンダ。バンダは民主化がなされた1994年まで大統領職にあった。経済発展の必要性から、マラウイ国民の主要な出稼ぎ先であったアパルトヘイト時代の南アフリカ共和国とも外交関係を維持し、アフリカにおける植民地帝国を維持しようとしていたポルトガルとも連携してモザンビーク経由で沿岸部との繋がりを持とうとするなど、アフリカ南部の白人政権への接近がみられた。そのため、首都改造や鉄道網整備に際して、南アフリカ共和国から経済支援を受けた。また、この時代には反共の観点から台湾中華民国)との友好関係が保たれた。

複数政党制が認められた1994年の選挙では統一民主戦線バキリ・ムルジが大統領に当選した。

2004年の選挙では同じ統一民主戦線のビング・ワ・ムタリカが大統領に当選。ムタリカは、2005年民主進歩党(DPP)を旗揚げし、2009年に再選されたが、2012年4月5日に急死した。4月7日に副大統領で民主進歩党から除名されて人民党を立ち上げていたジョイス・バンダが憲法の規定により大統領に昇格し、マラウイ初の女性大統領となった。しかし、2014年5月20日に実施された2014年の選挙で、ビング・ワ・ムタリカ元大統領の実弟で、民主進歩党のピーター・ムタリカが当選して第5代大統領に就任した。

政治

第4代大統領ジョイス・バンダ

共和制大統領制を採る立憲国家である。現行憲法1995年5月18日に公布されたもの。

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年。3選は禁止。閣僚は大統領により任命される。首相職は1966年以降廃止されたままである。

立法府一院制で、正式名称は国民議会国民議会の定数は193議席で、議員は国民の直接選挙により選出される。議員の任期は5年である。

1994年からマラウイは複数政党制が認められており、旧一党支配政党でありチェワ族主体のマラウイ会議党(MCP)のほか、ピーター・ムタリカ大統領が率いる民主進歩党(DPP)、ヤオ族主体でムタリカ大統領が2005年にDPPを設立するまで所属していた統一民主戦線(UDF)、ジョイス・バンダ前大統領が率いる人民党共和党(RP)を中心とする政党連合ムグウイリザノ連合(MC)などが活動している。

軍事

マラウイ軍は陸軍、海軍、空軍の三軍から構成され、総人員は約5,300人である。兵制は志願制を採用している。2000年度の軍事予算は950万ドルでGDPの0.76%である。

国際関係

マラウイは独立後、南アフリカ共和国との経済関係を重視する立場から、ブラックアフリカでは例外的に南アフリカのアパルトヘイト政権と友好関係を築き、白人国家ローデシアや1975年までアフリカ植民地から撤退しなかったポルトガルとも同様に友好関係を結んでいた。

また、親西側政策から1966年から台湾中華民国)と外交関係を有していたが、2007年末に断交し、中華人民共和国と国交を樹立した。

日本との関係

日本はマラウイを独立と同時に承認し、現在では相互に大使館を開設している。