メキシコ合衆国
Estados Unidos Mexicanos
メキシコ合衆国の国旗 メキシコ合衆国の国章
国旗 (国章)
国の標語:なし
国歌Himno Nacional Mexicano(スペイン語)
メキシコ国歌
メキシコ合衆国の位置
公用語 スペイン語(事実上)
68の先住民諸言語英語版[1]
首都 メキシコシティ
最大の都市 メキシコシティ
政府
大統領 エンリケ・ペーニャ・ニエト
首相 なし
面積
総計 1,972,550km213位
水面積率 2.5%
人口
総計(2016年 128,632,000人(10位
人口密度 65人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年 16兆1,044億[2]メキシコ・ペソ (ヌエボ・ペソ)
GDP (MER)
合計(2013年 1兆2,609億[2]ドル(15位
GDP (PPP)
合計(2013年2兆589億[2]ドル(11位
1人あたり 17,390[2]ドル
独立
 - 宣言
 - 承認
スペインより
1810年9月16日
1821年9月27日
通貨 メキシコ・ペソ (ヌエボ・ペソ) (MXN)
時間帯 UTC -5 から -8(DST:-5 から -7)
ISO 3166-1 MX / MEX
ccTLD .mx
国際電話番号 52

メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく、スペイン語: Estados Unidos Mexicanos)、通称メキシコは、北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。北にアメリカ合衆国と南東にグアテマラベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾カリブ海に面する。首都はメキシコシティ。メキシコの総人口は約1億3千万人(2016年時点)で、スペイン語圏においては最も人口の多い国で、GDPは中南米2位である[3]。しかし、人口の40%が貧困層である[4]

国名

正式名称は、Estados Unidos MexicanosEs-mx-Estados Unidos Mexicanos.ogg 発音、エスタドス・ウニドス・メヒカーノス)、略称は、México[ˈmexiko] ( 音声ファイル)、メヒコ)。

公式の英語表記は、The United Mexican States(ザ・ユナイテッド・メキシカン・ステイツ)、略称は、Mexico[ˈmɛksɨˌkoʊ]、メクシーコゥ)。

日本語訳はメキシコ合衆国で、通称はメキシコである。当て字は日本語・中国語共に墨西哥で、と略される。「合衆国」という表記の由来や意味については、同項目を参照のこと。

国名のメキシコは独立戦争の最中の1821年に決定したものであり、アステカの一言語であるナワトル語で「メシトリの地」を意味する「Mēxihco[meːˈʃiʔko] ( 音声ファイル))」に由来する。メシトリ(メヒクトリとも)は、アステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神であるウィツィロポチトリの別名で、「神に選ばれし者」の意味がある。アステカで最も信仰されたこの神の名に、場所を表す接尾辞「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めた。

なお「合衆国」という政体を示す名称について、同じものを名乗るアメリカ合衆国が強大に過ぎ、「合衆国(the United States)」だけでもアメリカを指すため、自国が弟分のように見られてしまうとの不満が国民の一部には存在し、国名を「メキシコ」に変更する動きがある。この意識は、19世紀末の米墨戦争の敗戦直後から特に見られるようになり、長年議論が繰り返されているが、変更には至っていない。[5]

歴史

先コロンブス期

パレンケマヤ時代のピラミッド。
アステカのジャガーの戦士。

この地域は、紀元前2万年頃の人間が居住した形跡があるといわれ、先古典期中期の紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興った。オルメカ文明は、彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られる。

先古典期の終わりごろ、メキシコ中央高原テスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコスペイン語版英語版、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれた。その後も後期マヤおよびアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。

アステカ帝国

14世紀後半、テスココ湖の西岸にあったテパネカ族英語版の国家アスカポツァルコ英語版テソソモクという英傑があらわれ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモク没後、15世紀前半、テスココトラコパン英語版とともにアステカ三国同盟英語版を築き、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握って周辺諸国を征服し、アステカの湖上の都テノチティトランを中心にアステカ帝国を形成した。アステカの守護神にして太陽と戦いの神ウィツィロポチトリと雨の神トラロックを祀る高さ45メートルの大神殿「テンプロ・マヨール」がメキシコ市の歴史地区ソカロ広場スペイン語版英語版(憲法広場)に立っている。[6]アステカ帝国は比類なき軍事国家であり、現コスタ・リカにまで隆盛を轟かせていた。

スペイン植民地時代

モクテスマ2世(中央)とエルナン・コルテス(右)の会見の様子。コルテスの隣の女性は通訳のマリンチェ

1492年クリストファー・コロンブスアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人エルナン・コルテスがメキシコに上陸した。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して執拗な大虐殺を繰り返し行った末に、テノチティトランを破壊し、1521年に皇帝クアウテモックを惨殺してアステカ帝国を滅ぼした。そののちスペイン人達は、この地にヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)副王領を創設。ペルー副王領と並ぶインディアス植民地の中心として、破壊されたテノチティトランの上にメキシコシティが築かれた。

メキシコ独立革命

独立の父 ミゲル・イダルゴ。イダルゴは破れたが、志はホセ・マリア・モレーロスに引き継がれた。

スペインによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争フランス革命ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョたちの間に独立の気運が高まった。

1808年、ナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフスペイン王ホセ1世として即位させた。それに反発するスペイン民衆の蜂起を契機としてスペイン独立戦争が始まると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否。1809年から1810年にかけて、キトラパスサンティアゴカラカスボゴタブエノスアイレスとインディアス各地でクリオーリョ達の蜂起が始まる中、メキシコでも 1810年9月15日ミゲル・イダルゴ神父らにより、スペイン打倒を叫ぶメキシコ独立革命が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。

メキシコのクリオーリョはペルーのクリオーリョと同様に先住民大衆の反乱を恐れたため、独立運動には消極的であり、イダルゴも、反乱を継いだメスティーソのホセ・マリア・モレーロス神父もアグスティン・デ・イトゥルビデ率いる王党派軍に敗れたが、モレーロスの乱が鎮圧された後の1820年頃には南部のシモン・ボリーバルホセ・デ・サン=マルティンらに率いられた解放軍が各地を解放し、インディアスに残る植民地は島嶼部とブラジルを除けばペルー、中米、メキシコのみとなっていた。

スペイン本国で自由派が政権を握ると(リエゴ革命)、1821年9月15日に保守派クリオーリョを代表した独立の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデがメキシコシティに入城し、反自由主義の立場から独立を宣言した。しかし、イトゥルビデがメキシコ王に推戴したかった反動派の元スペイン王フェルナンド7世はメキシコ入国を断ったため、イトゥルビデ自身が皇帝に即位する形で第一次メキシコ帝国が建国され、中央アメリカを併合した。

相次ぐ対外戦争

メキシコ・アメリカ戦争により、メキシコは国土の半分近いカリフォルニアをアメリカ合衆国に奪われた。

独立後は混乱が続き、1823年には帝政が崩壊して連邦共和国のメキシコ合衆国 (19世紀)となり、この時に中米連邦が独立した。独立後は内戦による農業生産力の低下、鉱山の生産力低下、カウディーリョの群雄割拠、流通の混乱など問題が多発し、政治的には不安定な時代が続き、1835年10月23日から1846年8月22日まで中央集権国家であるメキシコ共和国となっていた。

また、コアウイラ・イ・テハス州アメリカ合衆国人の入植を認めると、1835年にはアングロサクソン系入植者が反乱を起こし、1836年にメキシコ領テハステキサス共和国として独立した。その後、アメリカ合衆国が1845年にテキサスを併合すると、1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国米墨戦争を争ったものの、メキシコシティを占領されて1848年に敗北すると、テキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・ブラーボ川以北の領土(いわゆるメキシコ割譲地)を喪失した。

領土喪失の経緯からアメリカとの対立は深まっていたが、1861年にアメリカの南北戦争勃発とともにフランス第二帝国ナポレオン3世メキシコ出兵を開始。1863年にはメキシコシティが失陥、フランスの傀儡政権である第二次メキシコ帝国が建国される状況となった。

インディオ出身のベニート・フアレス大統領はアメリカの支援を得て、フランス軍に対して対抗し1866年に主権を取り戻すものの、このことは後々までアメリカ合衆国の影響力が高まるきっかけとなった。フアレスは自由主義者としてレフォルマ(改革)を推進するも、1872年に心臓発作で死去した。フアレスの後を継いだテハーダ英語版大統領は自由主義政策を進めたが、この時代になると指導力が揺らぐことになった。

ディアスの独裁とメキシコ革命

農地改革の先導者であり、サパティスタの由来ともなっているエミリアーノ・サパタ。クエルナバカ市にて (1911年4月)。

この隙を突いて1876年に、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスがクーデター(Revolución de Tuxtepec)を起こし、大統領に就任した。ディアスは30年以上に亘る強権的な独裁体制を敷き、外資が導入されて経済は拡大したものの、非民主的な政体は国内各地に不満を引き起こした。

1907年恐慌の影響がメキシコに及び始め労働争議が頻発する中で1910年の大統領選が行なわれ、ポルフィリオ・ディアスが対立候補フランシスコ・マデロを逮捕監禁したことがきっかけになって、メキシコ革命が始まった。パンチョ・ビリャエミリアーノ・サパタベヌスティアーノ・カランサアルバロ・オブレゴンらの率いた革命軍は、路線の違いもありながらも最終的に政府軍を敗北させ、1917年革命憲法スペイン語版英語版が発布されたことで革命は終息した。革命は終わったものの指導者間の路線の対立からしばらく政情不安定な状態が続いた。

PRIの一党独裁

ラサロ・カルデナス大統領。メキシコ革命の精神を尊重し、農地改革や石油国有化を推進したが、彼の辞任後の制度的革命党は自ら革命の理念を裏切る腐敗政党と化していった。

1929年には国内の様々な革命勢力を一つにまとめ国民革命党(PNR)が結成され、71年間の事実上の一党独裁体制が樹立。1934年に成立したラサロ・カルデナス政権は油田国有化事業や土地改革を行い、国内の経済構造は安定した。その後与党の制度的革命党(PRI)が第二次世界大戦を挟み、一党独裁の下に国家の開発を進めた。PRIは国内では一党独裁を進め、アメリカ合衆国や西側の資本により経済を拡大したが、その一方で外交面ではキューバなどのラテンアメリカ内の左翼政権との結びつきも強く、政策が矛盾した体制ながらも冷戦が終結した20世紀の終わりまで与党として政治を支配した。

また、20世紀の前半から中盤にかけては石油の産出とその輸出が大きな富をもたらしたものの、それと同時に進んだ近代工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、20世紀中盤に工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中、さらには資源価格の暴落による経済危機など、現代に至るまで国民を苦しめる結果となった。

EZLN

サパティスタ国民解放軍(EZLN)のマルコス副司令官(中央)。NAFTA発効の日に最貧州のチアパス州から蜂起し、マヤインディオの生活するための空間を求めて反資本主義を掲げ、自治運動を行っている。

なお、最南部グアテマラ国境地帯のチアパス州は、北米自由貿易協定(NAFTA)が発効された1994年1月1日に武装蜂起したサパティスタ国民解放軍による統治が続いている。 1994年に発効したNAFTAはアメリカ合衆国、カナダとの貿易を拡大する一方で貧富の格差を一時的に拡大し、伝統的な共同体に住むインディオの共有地を解体し、さらにはアメリカ産のトウモロコシに競争で敗北する農民の権利を侵害するものであったため、同年1月1日マルコス副司令官らの率いるサパティスタ国民解放軍(EZLN)が最貧州のチアパス州から蜂起した。サパティスタは戦闘を挟んだ後、チアパス州の支配を確立して、現在も政府軍とのにらみ合いが続いている。その後2000年にPRIは蔓延する汚職や停滞する経済失策の責任、サパティスタ民族解放軍の蜂起などの責任を問われて総選挙で敗退し、国民行動党の勝利によって71年の独裁に終止符が打たれた。しかし現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたる。

メキシコ麻薬戦争

1980年代以降は麻薬カルテルの抗争により治安が悪化する。前政権のカルデロン政権は、麻薬カルテルと癒着した警察幹部や州知事すらも逮捕するという強硬姿勢で臨み、を導入して麻薬犯罪組織を取り締まっている。これに伴い、カルテルの暴力による死者が激増、2010年には毎年1万5千人以上の死者を出す事態になっている(メキシコ麻薬戦争)。

一方、原油価格の高騰やNAFTA締結後の輸出量の増加、さらに内需拡大傾向を受けて中流層が増加し、「ネクスト11」の一国に挙げられている。経済政策では原油価格高騰に伴いガソリン価格を連続して値上げして、国民から不満の声が上がっている。

2009年に入ってからはカナダやアメリカ合衆国とともに、新型インフルエンザH1N1)の発祥地とされている。

2010年7月4日、全国32州のうち14州で地方選挙が実施された。2000年まで政権党だった野党の制度的革命党(PRI)が前進(知事選が実施された12州のうち10州でほぼ当選)した。

PRI政権

2012年7月、大統領選挙が実施され、当日投開票された。保守系制度的革命党 (PRI)のエンリケ・ペーニャ・ニエト(任期:2012年12月1日 - 2018年11月30日)が選出され、同年12月から大統領に就任した。

政治

三権の長

大統領を国家元首とする連邦共和制国家であり、大統領は行政府の長である。国民の直接選挙によって選出され、任期は6年、再選は禁止されている。大統領の権限は絶大で、憲法は三権分立を規定するが、事実上、立法府も司法府も大統領の統制下にあり、イギリスエコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットからは「欠陥のある民主主義」とされている(民主主義指数の項目を参照)。また、軍部も大統領の下でのシビリアンコントロールが制度的に確立している。

大統領は、行政各省の大臣を指名する。ただし、司法相のみは、上院の承認が必要である。各大臣は大統領直属の地位にあり、大統領に対し責任を負うのみで、議会や国民に対して責任は負わない。副大統領や首相という役職はなく、大統領が死亡などで欠ける場合は、議会が暫定大統領を選出する。

連邦議会は、両院制(二院制)。上院(元老院)は、全128議席で、そのうち4分の3にあたる96議席が連邦区と州の代表(各3議席)、残りが全国区の代表である。それぞれ比例代表制で選出され、任期は6年。下院(代議院)は、全500議席で、300議席は小選挙区制、200議席は比例代表制。任期は3年。両院とも連続再選は禁止されている。

主要政党には、中道右派国民行動党 (PAN)、長らく支配政党だった制度的革命党 (PRI)、左派民主革命党 (PRD) の3つが挙げられる。他にも、サパティスタ民族解放戦線や、労働党メキシコ緑の環境党などの小政党が存在する。

法律

世界最多の憲法改正国で、建国以来2007年までに175回改正している。

2003年に、隣国・アメリカにおいて著作権の保護期間を死後70年・公表後95年に延長した法律最高裁判所において合憲となったことを受けて、それまで「死後または公表後75年」であった規定を「100年」に延長した。この規定は、コートジボワールの99年を抜いて世界で最も長い保護期間である。

行政

現在、メキシコ連邦政府には15の省が設けられ、各種行政を担っている。

治安

特に米国との北部国境地帯の治安悪化はマフィアなどの抗争も相まって顕著だが、首都として人の集まるメキシコシティや、それ以外の地域においても失業者の増加と社会的・経済的不安定要因が治安情勢の一層の悪化を招いており、強盗、窃盗、誘拐、レイプ、薬物などの犯罪は昼夜を問わず発生している。メキシコでは拳銃の携帯は国防省の許可が必要だが、許可を得ずに拳銃を所持している国民が多く、同国の犯罪のほとんどには拳銃が使用されている。[7]

観光客が注意するべき事項として、交通機関においては、夜間のバス利用、地下鉄やメトロブスにおける窃盗やスリ、大都市における流しのタクシー(無認可タクシー)利用がある。さらに、両替所やATMにおける強盗被害も報告されており、メキシコシティ市内の国際空港「メキシコ・シティ国際空港(ベニート・フアレス国際空港)」においてはその被害が多発している。また、反政府ゲリラやその名を冠した集団が存在している地域には観光ツアーを利用せずに、行くことは危険である[7]

メキシコでは麻薬絡みの暴力事件が後を絶たない。麻薬組織の抗争などにより毎月約1000人が死亡しており、2007年から2013年10月現在までに約8万人が命を落としているという。[8]麻薬組織は見せしめのために頭部や手足の切断など残虐手段で殺害を行うことも多い。[9][10]

女性をレイプしたあとに四肢切断、被害者の頭部切断という事件や、カルト教団において生贄を捧げるため少年らを殺害するという事件も発生した。[11]

軍事

メキシコ軍の装甲兵員輸送車 (VCR-TT)

成人男子には一年間の選抜徴兵制が採用されている。現在、メキシコには大きな対外脅威はなく、主な敵は国内の麻薬カルテル(メキシコ麻薬戦争)、次いでサパティスタ民族解放軍である。

国際関係

多元外交

19世紀においては隣国のアメリカ合衆国によってテキサス、カリフォルニアを奪われる戦争を行ったものの、その後は同盟関係を結んだアメリカの強い影響下にありながら、歴史と文化を生かした多元外交を行っている。その一例として、第二次世界大戦後の冷戦当時から、隣国のアメリカとの深い関係を保ちつつも、ソビエト連邦キューバなどの東側諸国との関係を維持してきた。特に隣国であるキューバとは、1959年キューバ革命以降汎米主義に基づいて近隣のラテンアメリカ・カリブ海諸国がキューバとの関係を断絶した中、国交を継続していた。

スペインとの関係

スペインからの独立以降も元の宗主国であるスペインとの関係は、文化や経済面を中心に非常に強い。しかし、1975年9月にカレロ・ブランコ前首相の暗殺に関わったとされる活動家5人がフランシスコ・フランコ政権によって処刑された際に、抗議して一時国交を断絶したことがある。

日本との関係

江戸時代の初めの1609年慶長14年)、フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がマニラからの帰途に、大暴風の為房総御宿海岸に座礁難破した。地元の漁民達に助けられ、時の大多喜藩本多忠朝がこれら一行を歓待し、徳川家康が用意した帆船でメキシコへ送還したことから、日本とメキシコとの交流が始まった。

そして1613年(慶長18年)に仙台藩伊達政宗の命を受けた支倉常長は、ローマ教皇に謁見すべくメキシコ、スペインを経由しイタリアローマに向かった。支倉常長ら慶長遣欧使節団の乗ったサン・フアン・バウティスタ号は太平洋を横断しアカプルコへ、その後陸路メキシコシティを経由し大西洋岸のベラクルスからスペインへ至った。メキシコでは大変手厚いもてなしを受け、現在、記念碑や教会フレスコ画などに当時を偲ぶことができる。

また、日本が開国して諸外国と通商条約を結んだ中で、1888年明治21年)メキシコと締結した日墨修好通商条約は日本にとって事実上初めての平等条約であり[† 1]、諸外国の駐日大使館のうちでメキシコ大使館のみ東京都千代田区永田町にある。

19世紀末には榎本移民団によるメキシコへの移住が始まり、第二次世界大戦後まで続いた。移民者の数は総計10,000人余りに達し、その子孫が現在でも日系メキシコ人としてメキシコの各地に住んでいる。

現在

メキシコ市への進出は減っているが、日系企業が増えているのはアグアスカリエンテスを中心としたメキシコ中央高原都市である。日系の自動車3社(日産第二工場、本田マツダ)が進出を決めた他、200社以上が自動車部品工場や大規模倉庫などを建設中である。日本からの投資の90%近くがこの地域に集中してきており一大進出ラッシュとなっている。 とりわけアグアスカリエンテスは、1982年から日産の工場が進出した事もあり、大規模な新工場が出来つつある。アメリカの平均よりも犯罪発生件数が少なく、真夜中にも多くの飲食店が開いており、日本人の家庭には人気の移動先になってきた。 安い賃金や、未開発な部分の多い魅力的なフロンティアであること、複雑な外交関係に無いことなども親日国であるメキシコへの日系企業進出の遠因にもなっている。とりわけメキシコは犯罪の多いところであるが、地方都市や州では独自の軍隊、警察組織を駆使しているところもあり、進出には州単位、町単位での安全チェックが必須となる。

メキシコと日産自動車の関係

特に、日本企業としては最初期の1966年7月にメキシコ現地工場での自動車生産を開始した日産自動車は、同国日系自動車生産工場としても初でメキシコとの関わりも深くサッカー中継番組でもスポンサーになるほどの深さでもある。日産AD(現地名ツバメ)を生産していた時代は、日本への輸出(いわば逆輸入)も行っていた。ルノー傘下に入った後の2009年時点で販売台数ベースで同国市場最大手である。[12]同社は現在アメリカとの国境地帯とメキシコシティとの中間点に位置するアグアスカリエンテスやメキシコシティ郊外のクエルナバカに工場を構えているが、NAFTA発効後はメキシコのみならずアメリカおよびカナダ向け車種の主要な生産拠点となっており、近隣のチリアルゼンチン、さらにヨーロッパなどにも輸出が行われている。主な生産車種は「ティーダ(北米ではヴァーサ)」、「ツル」、「セントラ」、「NP300フロンティア」で日産自動車メキシコシティ事業所(日産メキシカーナS.A de C.V.)が取り扱う車種でもこのほかに「マキシマ」、「アルティマ」、「370Z(フェアレディZ)」、「エクストレイル」、「パスファインダー」、「アーバン(キャラバン)」、「キャブスター(アトラス)」と新たに「リーフ」も販売を開始した。また、ニューヨークのイエローキャブ向け仕様NV200もこの国で生産されている。以前は「サクラ(シルビア)」、「サムライ(スタンザ)」、「280C(後のセドリック)」も販売していた。さらには、メキシコ連邦警察専用向けとしてY30セドリックセダン(グレード的にはブロアム)をベースとしたセドリックパトロールも納めた程である。

フィエスタ・メヒカナ
メキシコの

MIKTA(ミクタ)は、メキシコ (Mexico)、インドネシア (Indonesia)、大韓民国 (Korea, Republic of)、トルコ (Turkey)、オーストラリア (Australia) の5ヶ国によるパートナーシップである。詳細は該当ページへ。

地方行政区分

メキシコの第一級行政区画は32のに分かれる。首都メキシコシティの全域は、どの州にも属さない連邦区 (Distrito Federal) とされていたが、2016年に憲法が改正されて32番目の州になった。

各州には、知事と一院制の議会があり、それぞれ住民の直接選挙によって選出される。任期は6年。

メキシコの地図

主要都市

メキシコシティはビジネス、文化、政治などを総合評価した世界都市格付けで35位の都市と評価された。[13]
グアダラハラ市内
ヌエボ・レオン州
プエブラ
ティフアナ