ロシア帝国
Российская империя
Rossiyskaya Imperiya
ロシア・ツァーリ国 1721年 - 1917年 ロシア臨時政府
ルムチェロド
ウクライナ人民共和国
ロシアの国旗 ロシアの国章
国旗国章
国の標語: Съ нами Богъ!
(ロシア語 : 神は我らと共に!
国歌: 神よツァーリを護り給え
ロシアの位置
1866年のロシア帝国の最大版図
  領土
  勢力圏
公用語 ロシア語
首都 サンクトペテルブルク
(1713年 - 1728年)
モスクワ
(1728年 - 1730年)
サンクトペテルブルク
(1730年 - 1914年)
ペトログラード
(1914年 - 1917年)
皇帝インペラートル
1688年 - 1725年 ピョートル1世
1894年 - 1917年ニコライ2世
大臣会議議長
1905年 - 1906年セルゲイ・ヴィッテ
1917年 - 1917年ニコライ・ゴリツィン
面積
1914年22,800,000km²
人口
1914年165,700,000人
変遷
成立 1547年
革命により滅亡1917年9月14日
通貨ロシア・ルーブル
ロシアの歴史
Greater coat of arms of the Russian empire.png
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ヴォルガ・ブルガール (7c–13c)
ハザール (7c–10c)
キエフ大公国 (9c–12c)
ウラジーミル・スーズダリ大公国 (12c–14c)
ノヴゴロド公国 (12c–15c)
タタールの軛 (13c–15c)
モスクワ大公国 (1340–1547)
ロシア・ツァーリ国 (1547–1721)
ロシア帝国 (1721–1917)
ロシア臨時政府/ロシア共和国 (1917)
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国/ソビエト社会主義共和国連邦 (1917–1991)
ロシア連邦 (1992-現在)

ロシア ポータル
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ロシア帝国(ロシアていこく、ロシア語Российская империя ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランドリボニアリトアニアベラルーシウクライナポーランドカフカーズ中央アジアシベリア外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。

概要と呼称

君主がツァーリを名乗ったそれ以前のロシア・ツァーリ国においても「ロシア帝国」と翻訳されることがある[n 1][n 2]が、ロシア語では「ツァーリ」[1](本来は東ローマ皇帝を指したが、やがて一部の国のハーンなどを指す語となった)と「インペラートル」(西欧に倣った皇帝を指す語)[2][3]は異なる称号であるため、留意を要する[3]

帝政は1721年にツァーリ・ピョートル1世皇帝インペラートル)を宣言したことに始まり、第一次世界大戦中の1917年に起こった二月革命でのニコライ2世の退位によって終焉する。

領土は、19世紀末の時点において、のちのソヴィエト連邦の領域にフィンランドポーランドの一部を加えたものとほぼ一致する面積2000万km2超の広域に及び、1億を越える人口を支配した。首都は、1712年まで伝統的にモスクワ国家の首府であったモスクワからサンクトペテルブルクに移され、以降帝国の終末まで帝都となった[n 3]

政治体制は皇帝による専制政治であったが、帝政末期には国家基本法(憲法)が公布され、国家評議会ドゥーマからなる二院制議会が設けられて立憲君主制に移行した。20世紀はじめの時点で陸軍の規模は平時110万人、戦時450万人でありヨーロッパ最大であった[4][5]海軍力は長い間、世界第3位であったが、日露戦争で大損失を出して以降は世界第6位となっている[6]

宗教はキリスト教正教会ロシア正教会)が国教ではあるが、領土の拡大に伴い大規模なムスリム社会を内包するようになった。そのほかフィンランドやバルト地方のルター派、旧ポーランド・リトアニアカトリックそしてユダヤ人コミュニティも存在した。

ロシア帝国の臣民は貴族聖職者名誉市民商人・町人・職人カザークそして農民といった身分に分けられていた。貴族領地の農民は人格的な隷属を強いられる農奴であり、ロシアの農奴制は1861年まで維持された。シベリア先住民中央アジアのムスリムそしてユダヤ人は異族人に区分されていた。

ロシア帝国ではロシア暦(ユリウス暦)が使用されており、文中の日付はこれに従う。ロシア暦をグレゴリオ暦(新暦)に変換するには17世紀は10日、18世紀は11日、19世紀は12日そして20世紀では13日を加えるとよい[7]

国土

  1866年のロシア帝国領域
  1800年から1917年までに保護領、租借地、占領地などとした地域
  勢力圏

20世紀はじめ時点のロシア帝国の規模は世界の陸地の1/6にあたる約 22,800,000km2 (8,800,000 sq mi)に及び[8]イギリス帝国の規模に匹敵した。しかしながら、この当時は人口の大半がヨーロッパロシアに居住していた。100以上の異なる民族がおり、ロシア人は人口の約43%を占めている[n 4]

現代のロシア連邦のほぼ全領土に加えて、1917年以前のロシア帝国はウクライナの大部分(ドニプロ・ウクライナクリミア)、ベラルーシモルドバベッサラビア)、フィンランドフィンランド大公国)、アルメニアアゼルバイジャングルジアミングレリア英語版の大部分を含む)、中央アジア諸国のカザフスタンキルギスタンタジキスタントルクメニスタンウズベキスタントルキスタン総督府)、リトアニアエストニアラトビア(バルト諸州)の大部分だけでなく、ポーランドポーランド王国)とアルダハンアルトヴィンウードゥルカルスの相当の部分、そしてオスマン帝国から併合したエルズルムの北東部を含んでいた。

1860年から1905年にかけて、ロシア帝国はトゥヴァ(1944年に併合)、カリーニングラード州第二次世界大戦後にドイツより併合)そしてクリル列島(第二次世界大戦後に実効支配)を除く現在のロシア連邦の全領土を支配した。サハリン州南部(南樺太、第二次世界大戦後に実効支配[n 5])は1905年のポーツマス条約により日本に割譲されている。

植民地