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中華民国
中華民國
台湾の国旗 中華民国の国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌中華民國國歌(三民主義歌)
国旗歌:中華民國國旗歌
台湾の位置
公用語 中華民国国語(台湾国語)[1]
首都 台北市[2][3][4]
最大の都市 新北市
政府
総統 蔡英文
行政院長 頼清徳
副総統陳建仁
副行政院長林錫耀中国語版
立法院長蘇嘉全
副立法院長蔡其昌中国語版
最高法院院長鄭玉山
面積
総計 36,189.505km2134位
水面積率 10.3%
人口
総計(2018年 23,571,990人(56位
人口密度 650.95人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2018年 18兆9354億新台湾ドル (NT$)
GDP (MER)
合計(2018年 6132,95億ドル(22位
GDP (PPP)
合計(2018年1兆2348億ドル(22位
1人あたり 52,304ドル
建国
辛亥革命勃発1911年10月10日
建国宣言1912年1月1日
北伐完了1928年12月29日
台湾光復1945年10月25日
台北遷都1949年12月7日
通貨 新台湾ドル (NT$) (TWD)
時間帯 UTC +8(DST:なし)
ISO 3166-1 TW / TWN
ccTLD .tw
国際電話番号 886

注:このリストは中華民国政府が実効支配している地域(台湾地区)のみのデータである。中華民国の名目的な全領域については、中華民国#地理の欄を参照のこと。
中華民国
繁体字 中華民國
簡体字 中华民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家である。

アジアで2番目の共和国[5]として1912年中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(台湾地区、あるいは自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。台湾地区は、日本フィリピン中華人民共和国などと領海を接する。

議会制民主主義資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。

概要

蒋介石(左)と孫文(右)(1923年)

1912年1月1日に、革命家孫文臨時大総統(臨時大統領)として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として「中華民国臨時政府」が成立した。

同年2月12日には、清朝皇帝である愛新覚羅溥儀が退位することによって、その後袁世凱が大総統(大統領)に就任した。その後、袁世凱と対立した孫文1919年中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州に樹立したものの、1925年に死去した。

1924年には中国共産党との間で第一次国共合作を行ったが、1927年南京事件が起こったことで同年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった蒋介石の指揮下で上海武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。その後国民政府は蒋介石の南京国民政府と、これに反対する汪兆銘らの「武漢国民政府」に分裂するが、間もなく両者は合流、北方軍閥の張作霖日本軍によって爆殺された後、張作霖の息子の張学良が蒋介石の傘下に入る。

その後、満洲事変を契機に大日本帝国(日本)の後援により、愛新覚羅溥儀を執政として東北部満洲国が設立され、さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った(なお宣戦布告はどちらからも為されていない)。これに対抗して日本軍は、国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府(汪兆銘政権)を樹立する。その後、1941年12月に日本とイギリスアメリカ合衆国などとの間で戦争が始まり、英米と友好関係にある中華民国は連合国の主要国として枢軸国と対峙した。

1945年9月2日降伏文書調印により、中華民国は第二次世界大戦での勝利が決定した。そして、主要戦勝国の1国として国際連合の設立メンバーとなり、GHQからの委託に基づき、1945年10月15日台湾に進駐した。1945年10月25日に台北で日本側の安藤利吉台湾総督・第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は光復式典を行って台湾の実効支配を開始した。日本が台湾などを中華民国へ割譲することは1943年12月1日カイロ宣言に謳われているが(ただし、この宣言に有効性はないとする説もある)、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾島地域は依然として日本の領土であった。台湾光復後の1947年2月28日二・二八事件が発生した。

しかしアメリカ合衆国政府が支援する中国国民党と、ソビエト連邦政府が支援する中国共産党との間の内戦において、ヨーロッパにおけるソビエト連邦との間の冷戦朝鮮半島での緊張に気を取られたアメリカ政府による支援が減ったことなどにより、1949年初めには中華民国の実効支配地域が縮小し、1949年10月1日には中国共産党が中華人民共和国を樹立した。

この1949年の12月7日蒋介石総統率いる中国国民党政府が、首都を中国共産党に実効支配された南京から、臨時首都として台湾島の台北に移転したことにより、台湾島地域および金馬地区などのみを実効支配する国家として、1950年までに再編成された(台湾国民政府)。同時に動員戡乱時期臨時条款が制定され戒厳体制が発布された(党国体制)。

日本は、1951年サンフランシスコ講和条約および1952年日華平和条約において、台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は「未確定である」という見方(台湾地位未定論)がある。

冷戦下の1971年に、中ソ対立の文脈の中で、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国代表権」が、国際連合総会決議2758によって中華人民共和国に移され、中華民国は国連とその関連機関から脱退した。さらに、1972年にアメリカのリチャード・ニクソン大統領北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調し、日本はモンゴル人民共和国・中華人民共和国を承認し中華民国と断交。その後1979年にアメリカが最終的に中華人民共和国を「中国の代表権を有する正統政府」として承認した。

美麗島事件をきっかけに、1987年に蒋介石の息子で総統職を世襲した蒋経国が戒厳を解除。続いて李登輝政権下の1996年に、国民党一党独裁党国体制)による寡頭共和制は終わり、複数政党制大統領制を主体とした民主共和制に変わった(総統民選期の中華民国)。その経済貿易規模も大きいことなどから、日本やアメリカ、イギリスフランスなどをはじめとする主要国とは国交こそないものの、形式上非政府組織の窓口機関を通じて外交業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。世界貿易機関 (WTO) のように、主権国家ではなく、領域を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。

21世紀初頭では、大統領制の議会制民主主義を主体とした民主共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島(台湾省・台湾地区)および福建省沿岸の金門島馬祖島(金馬地区)、南シナ海東沙諸島および南沙諸島太平島を実効支配している。

アメリカは、第二次世界大戦勃発以来、中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が軍事的脅威にさらされた(台湾海峡危機)場合は、台湾関係法に基づき、適切な行動を取ることとなっている。実際に、1996年に行われた総統選挙に伴い、中華人民共和国の人民解放軍(中国共産党軍)が、選挙への恫喝として軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為「第三次台湾海峡危機」が起きた際には、アメリカ軍はこれに対して台湾海峡に空母打撃群を派遣し、同国のウォーレン・クリストファー国務長官は「アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく」と中華人民共和国に対して警告した。

2008年3月に行われた総統選挙の際も、台湾近海に空母2隻を派遣した。その総統選挙で当選した馬英九は、2010年に大陸との間で両岸経済協力枠組協議という自由貿易協定を締結、事実上の経済同盟を発足させるなど、2010年代からは中台関係は回復する方向に進んでいる。2014年3月18日から4月10日にかけて、中華人民共和国とのサービス貿易協定の署名を阻むために、学生と市民の一部は、日本の国会に当たる立法院を占拠した。この時点は「ヒマワリ運動(太陽花運動)」という、中華民国の社会運動への端緒にも当たる。

国名

中国語北京語正体字表記)での正式名称は、中華民國拼音: Zhōnghuá Mínguóウェード式:Chung-hua Min-kuo、注音符号:ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊㄍㄨㄛˊ)であり、国内では中華民國のことを中華と表記することもある。公式の英語表記は、英語: Republic of China(リパブリック・オブ・チャイナ)で、略称は R.O.C. である。

中華」は、世界の中心にある、もっとも華やかな文明という意味であり、元々は黄河文明発祥の地とされる河南省のあたりを指した言葉であった。ちなみに中華の華はもともと世界の中心の(古代の王朝)という意味の中夏だった[6]

国名表記をめぐる諸問題

中華民国という国名は、中華民国政府が「一つの中国China)を代表する主権国家」であるという認識に基づいている。そのために、1971年国際連合アルバニア決議で、中華人民共和国が「全中国を代表する主権国家」として承認されてからは、国際連合機関では「中華民国」 (Republic of China) と称するケースがなくなり、オリンピック1984年冬季大会以後)などのスポーツ大会や国際機関においては、Chinese Taipeiチャイニーズタイペイ、中華台北)という名称が使用されている。これは、国際連合ならびに同加盟国の多くが、中華民国政府を「全中国を代表する主権国家」として承認しない一方で、台湾地域を実効支配する中華民国政府との非公式関係を維持していることによる。なお世界貿易機関 (WTO) に関しては、Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域、略称:台澎金馬TPKM)という名称で加盟しており、Chinese Taipei と伴に、中華民国を指す名称として使用されている。

一方、中華民国という国名や Chinese Taipei という名称について、20世紀末以降は台湾地域を中心として反発が生じるようになり、李登輝元総統(任期:1988年 - 2000年)をはじめとする泛緑派の人たちが、中華民国という国号を「台灣」(臺灣)という名称に変更しようという台湾正名運動を興している。これに対し「中国の政党」を自任する中国国民党を始めとした泛藍派の人たちは国号変更に反対しており、この件に関する国論は二分されている。それと同時に、中華民国の民衆の国に対する意識も1990年代から変化し始めていると喧伝される。

このような背景もあり、中華民国政府は2003年9月以後、中華民国旅券に、中華民国の正式名称とともに TAIWAN を付記して発行するようになった。2004年9月7日外交部 (中華民国)スポークスマンは「国交のない国に対しては「台湾」を強調することを最優先課題にし、将来的には国交を持つ国との間でも条約文書などで Taiwan を使用し、中華人民共和国との混同を避けるようにしたい」と話し、「9月7日の時点で行政院は、自国の略称として第一に R.O.C. 、第二に Taiwan 、第三に Taiwan, R.O.C. 、第四に R.O.C. (Taiwan) 、第五に TPKM(台湾 Taiwan, 澎湖 Penghu, 金門 Kinmen, 馬祖 Matsu)を使用しているが、陳水扁総統の指示があれば使用順位を入れ替えて Taiwan を第一とする」とも話した。

日本における国名表記

日本語表記は中華民国マスメディアでは「中華民国」ではなく「台湾」という表記・呼称を使用し、他の国家と併せて数える際は「地域」として中華民国(台湾)を国家に数えないこととしている[7][8][9]

中華民国を「」、「台湾」を「」と略称する例もある。スポーツ関連では上記の通り「チャイニーズタイペイ」を使用することもある。これは主催する団体がチーム名としてこの表記を採用しているためである。旅行業界など経済・文化一般の呼称は大抵「台湾」表記を使用する。

日本国政府は、1972年以降中華民国を国家として承認していないが、サンフランシスコ講和条約において、台湾島一帯の領有権放棄後の帰属については言明していない。日中共同声明でも、日本国政府は中華人民共和国の立場を「十分に理解し尊重する」と表明したが、中華民国および台湾島一帯の地位については明確にしていない。

国旗

掲揚される青天白日満地紅旗。

国旗は青天白日満地紅旗と呼ばれ、平等を表す白、自由を表す青、そして革命に献身した人々の血と友愛を象徴する深紅があしらわれている。

ただし、中華民国を国家承認している国が少ないため、台湾域外の公的な場で掲揚される機会は少ない。オリンピック等の国際的なスポーツ大会へ「チャイニーズ・タイペイ」として出場する際には、梅花旗と呼ばれる旗を国旗の代わりとして使用している。また、台湾独立派外省人国家の中華民国体制を解体し台湾本省人国家の建国を目指す人々)には青天白日満地紅旗を外来政権の旗と捉えて国旗と認めていない人もいる。

歴史

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