座標: 北緯37度29分 東経126度38分 / 北緯37.483度 東経126.633度 / 37.483; 126.633

仁川広域市
略称: Incheon;인천;インチョン
Incheon montage 2015.PNG
時計回りに上から:仁川大橋と市街地の空撮、仁川アジアド主競技場、仁川中華街から望む自由公園仁川港月尾島松島新都市仁川国際空港
位置
仁川広域市の位置
地図
仁川広域市の地図
各種表記
ハングル: 인천광역시
漢字: 仁川廣域市
日本語読み仮名: じんせんこういきし
片仮名転写: インチョン=グァンヨクシ
ローマ字転写 (RR): Incheon-Gwangyeoksi
統計(2015年
面積: 1051.49 km2
総人口: 2,890,451[1]
男子人口: 1,455,017 人
女子人口: 1,435,434 人
人口密度: 2,805 人/km2
世帯数: 1,066,297 世帯
行政
国: 大韓民国の旗 大韓民国
下位行政区画: 8区2郡
ISO 3166-2: KR-28
行政区域分類コード: 23
仁川広域市の木: ユリノキ
仁川広域市の花: バラ
仁川広域市の鳥: タンチョウヅル
自治体公式サイト: 仁川広域市
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仁川広域市庁

仁川広域市(インチョンこういきし、韓国語表記:인천광역시、英語:Incheon)は、大韓民国西北部の都市黄海に面した韓国を代表する港湾都市の一つである。仁川国際空港がある。

人口は約300万人で、ソウル釜山に次いで韓国で3番目である。仁川の繁華街の中では富平、九月洞、月尾島などが有名で、松島国際都市、青羅国際都市など大韓民国1位の経済自由区域である仁川経済自由区域が開発されている。

概要

首都ソウルから40キロ圏に位置する港湾都市であり、内陸にあるソウルの外港として発展した。また郊外地域は首都圏のベッドタウンに組み込まれている。さらに中華街を擁する。

1883年に港が開かれたときには人口はわずか4700人余りであった。しかし漢江の河口に開かれた港はその利便性の高さから発展した。その当時は済物浦(チェムルポ・さいもっぽ)と呼ばれていた。

現在、ソウルとは首都圏電鉄の各路線で結ばれており、共通の運賃で利用することが出来る。このため、仁川からソウルへの通勤客も多く、その近さゆえに1つの経済圏を形成している。

人口は約300万人で、ソウル、釜山に次いで韓国で3番目であるが、ソウルのベッドタウンとしての性格が強いため、実質的には「第3の都市」と認識されてはいない。

1979年に人口100万人、1992年に200万人、1999年に250万人を突破した。

現在は広域市に位置づけられ、には属さないが、1981年6月までは京畿道に属していた。

2001年仁川国際空港が開港したことで韓国の空の玄関口となり、日本でいう成田市の役割も持つこととなった。仁川国際空港が属する中区と成田市は1998年友好都市の提携をしている。

2002年日韓共催ワールドカップに合わせ建設が進められた仁川国際空港は自由貿易地域に指定されており、もう一つの自由貿易地域である釜山鎮海自由貿易地域とともに金融・経済のハブとなるべく外資誘致を積極的に行っている。新空港近くの松島(ソンド)地区には韓国版シリコンバレーと呼ばれる情報産業団地(松島情報化新都市)も造成中である。

しかし、市内に建設する予定だった仁川タワーは、151階建て、高さ587メートルとして計画され、完成すれば韓国で最も高い超高層ビルになるはずだったが、2008年の着工直後に、世界金融危機をきっかけとした不動産景気悪化の影響で事実上の建設凍結となった。4兆7千億ウォン[2]が必要な立体複合都市「ルウォンシティ」が計画されたが、これも同様の理由で中止された[3]

近代都市としての顔を持つ一方、江華郡など広大な農村部も含み、市の面積の21%は水田であり、44%は森林である。

また、プロ野球チームのSKワイバーンズプロサッカークラブ仁川ユナイテッドFC、プロバスケットボールチームの仁川電子ランドエレファンツ、プロバレーボールチームの大韓航空ジャンボスなどのプロスポーツチームの本拠地となっている。

2014年には、仁川アジア大会が開催されたが、仁川広域市は莫大な負債を抱えている中で、韓国政府の反対を押し切って誘致したものの、直前まで「開催を返上する」と韓国政府と揉めた経緯がある。

歴史

先史時代から人が住み、仁川を始め永宗島・江華島で新石器時代及び青銅器時代の遺跡が発掘されている。 特に江華島の三郎城と塹城壇は古朝鮮とかかわる遺跡である。百済の始祖伝説によれば、仁川は沸流が建国した彌鄒忽の都だった。仁川はもともと百済に属したが、5世紀以降は高句麗統一新羅の領土となり、買召忽と呼ばれていた。

統一新羅の景徳王の時に名称が変更されて仁川は邵城県、富平は長堤郡、江華島は海口郡、甕津郡は瀑池郡に属した。高麗時代、仁川は王室と深い関係を結び、慶源郡・仁州・慶源府に昇格した。江華島は940年に県が設置された後、1232年にはモンゴル帝国の侵略に抵抗するため開京の都を移したところである。李氏朝鮮時代、慶源府は1392年に仁州、ついで1413年に仁川郡と改称されて仁川という名前が初めて登場した。海岸の湊は済物浦と呼ばれる。

近代開国期に仁川は丙寅の役・辛未洋擾などで外国艦隊と交戦し、日朝修好条規によって1883年開港したため西欧の文物が仁川港を通じて流入した。1882年には済物浦沖の米軍艦上で米朝修好通商条約が調印された。条約港として発展し、日本統治時代に仁川府(当時の読み方、じんせんふ)が設置され、1949年に仁川府は仁川市と改称した。 1950年9月、国際連合軍仁川上陸作戦を敢行し、朝鮮戦争の戦局を挽回した。