全国高等学校野球選手権大会
開催中の大会:
第100回全国高等学校野球選手権記念大会
Hanshin Koshien Stadium2.JPG
開始年 1915
主催 朝日新聞社
日本高等学校野球連盟
(後援・毎日新聞社
特別協力・阪神甲子園球場
以上2団体は全国大会のみ)
参加チーム数 49
(記念大会を除く)
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 花咲徳栄高等学校
(2017年)
最多優勝 中京大学附属中京高等学校(7回)
サイト 高野連公式サイト
備考
主球場
取りやめ
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2007年夏の甲子園開会式
2009年夏の甲子園

全国高等学校野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)とは朝日新聞社日本高等学校野球連盟兵庫県西宮市阪神甲子園球場にて毎年8月に主催している日本の高校野球大会。

5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている(このうち下1桁が0の回では一部の都道府県で参加可能な高校が拡大される)。

大会旗および優勝旗の色は赤。優勝旗は深紅色なので「深紅の大優勝旗」と呼ばれている[1]。「夏の甲子園」「夏の高校野球」「夏の選手権」または「甲子園」などと表現される。

地方大会と代表校

本大会の出場校は6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会[注 1]で決められる。試合方式は本大会と同じくともにすべてノックアウトトーナメントであり、優勝校が代表校として本大会に出場できる。全地方大会の出場校数は4000校前後である(1990年から2011年まで4000校越えであった)[2]

地方大会の基本的なルールは選抜高等学校野球大会と同じく開催年度の公認野球規則アマチュア野球内規高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度(5回10点差以上、7回7点差以上)が実施されている。但し、決勝戦に限ってはコールドゲームは適用されず、9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。

代表枠

第1回1915年)では、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区の代表校と春の東京大会優勝校の計10校の代表であった[3][4]。その後は参加する府県・地区の増加により毎年のように地区の分割、新設が行われ、第12回1926年)には北海道、奥羽、東北、北関東、南関東、東京、神静岡、東海、甲信越、北陸、京津、大阪、兵庫、紀和、山陰、山陽、四国、北九州、南九州、朝鮮、満州、台湾の22枠となった。以降、1941年まで枠間の移動はありつつも枠数は維持された。南九州は4県ないし5県から1校、四国は4県から1校という厳しさで、逆に兵庫県は地元という名目で第1回大会から単独で代表を送り続けていた[3]。この時期は甲子園に出場しやすい地区とそうでない地区に差があり、『週刊ベースボール』、2012年8月20日号の「あの夏を変えた勢力図闘争!」という特集では[3]、近年のスポーツ新聞などで掲載される出場回数ランキング、優勝回数ランキング、勝利数ランキングは[5]、出場回数が多くなる人口が多い都道府県が有利となるのではないかという指摘がなされている[3]

戦争に伴う1942年から1945年の中断をはさみ、1946年は朝鮮、満州、台湾の枠を削除した19枠で大会が再開された。以降は地区の分割が進み、地区数は増加を続けた。参加校が特に多い北海道東京都については、北海道は第41回1959年)より北北海道南北海道で各1校、東京都は第56回1974年)より東東京西東京で各1校となった。

第40回1958年)、第45回1963年)、第50回1968年)、第55回1973年)は記念大会として1府県1代表制で行われ、第60回1978年)以降は全ての年で1府県1校・北海道と東京は2校の49代表制となった(後述の記念大会年を除く)。ただ、参加校が最も少ない地方大会は鳥取県(25校)で5回戦制である一方、参加校が最も多い地方大会は一時期200校を超えた神奈川県で8回戦制であり、都道府県により地方大会の試合数は大きく異なっている。

以降、枠の増減は行われていないが、第80回記念大会1998年)は記念大会として従来通りの北海道・東京都に加えて、参加校が128校を超える埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府・兵庫県の6府県が最大8回戦制からそれぞれ2校に拡大され最大7回戦制になった。第90回記念大会2008年)でも同じく6府県が2校に、第100回記念大会2018年)では前述の6府県に加えて福岡県も2校に拡大された。

地区割りの変遷

Summer koshien history.png

会場

1915年第1回全国中等学校優勝野球大会豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設・設置されたものであるが、規模の小ささなどが問題になりすぐに他の会場探しが始まった。

この当時は遠征費用が全て出場校持ちだったこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することも考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運動場を所有していた阪神電気鉄道が応え、場内に野球用グラウンドを2面設置することで1917年第3回大会から会場が移された。しかし、学生野球が人気になるにつれ観客が増加。1923年第9回大会では溢れた観客がグラウンドになだれ込む事件が発生する。さらにグラウンドの水はけの悪さもあって、主催者の大阪朝日新聞は、本格的な野球場の建設を提案する。

鳴尾球場を所有していた阪神電鉄は、鳴尾村に流れていた申川と枝川(武庫川の支流)を廃川とした後にできた埋め立て地に大規模な沿線開発を行っており、当時阪神電鉄の専務だった三崎省三の構想もあり、旧枝川・旧申川の分流点あたりに野球場を建設する計画を立てていたことから、利害が一致する。ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドのポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせるため突貫工事で建設。1924年8月1日に完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起の良い年であることから、甲子園大運動場と命名された。

同年第10回大会から使用を開始。1946年第28回大会はGHQに甲子園を接収されていたため、阪急西宮球場で行う。さらに出場校を大幅に増やした第40回記念大会1958年第45回記念大会1963年も甲子園球場と西宮球場を併用して使用するものの、不公平として評判が良くなかったため(甲子園で試合できず敗退した学校からは苦情があった)、これ以降は一貫して甲子園で行われるようになった。

当大会を主目的に建設された甲子園球場は半世紀余りの大会を優先的に行っているため、当球場は高校野球の聖地として高校球児達の憧れの舞台となっている。「甲子園」という言葉自体が高校野球全国大会の代名詞となっており、“夏の甲子園”という通称としても扱われているように当大会に大きく貢献していることから、2010年シーズンから大会の特別協力として扱われている。

なお、上述のような経緯、そして開設当時は阪神電鉄も電車運賃と沿線開発によって収益を挙げられたことにより、高校野球の開催について甲子園球場の使用料を請求しておらず、これは開設から90年以上を経た2015年時点でもそのままとなっている[6]

また、阪神甲子園球場は阪神タイガース本拠地ともなっているが、阪神タイガースは高校野球の開催期間中に甲子園を使用せず、長期ロードが続くこととなる。かつてはロード中に成績が低迷することが多かったことから、「死のロード」という異名がつくまでとなった。

会期

現在の全都道府県から代表が出場する以前(第40・45回を含む。第50・55回は基本14日間)は8月中旬(概ね8月10日前後から)の10日間前後が割り当てられていた。

第60回・1978年以後各都道府県の代表が参戦するようになってから、概ね8月8日を起点とした14日間を基本として行うようになったが、選手の健康管理の観点から第85回・2003年(実際は雨天中止のため第86回・2004年)以後は準々決勝を原則2日間に分けて行うことになったため、15日間が基本となった。出場枠が55校に拡大される場合は2日間延長される。

第95回・2013年以後は前述のとおり、準々決勝を1日でまとめて行う代わりに、その翌日を休養日とするため、休養日を除いた基本日程は14日間に戻る。

夏季オリンピック開催年は、開催期間の重複を可能な限り避けるための日程調整が実施されることがある。例として、第74回大会1992年バルセロナ五輪)は8月10日から、第90回記念大会2008年北京五輪)は史上最も早い8月2日にそれぞれ開幕していた。

なお、日本の電力消費は全国高等学校野球選手権大会をピークになっており[7]、電力供給もそれに合わせて調整を行っているという通説がある。電力需給の観点から、電力行政を管轄する通商産業省(現:経済産業省)が開催時期をずらすことについて検討をしたことがある[8]

開閉会式

司会

第78回(1996年)までは主催者の職員が司会を担当していたが、第79回(1997年)以後は兵庫県内の高校の放送部員(概ね、NHK杯全国高校放送コンテスト兵庫県大会のアナウンス部門・朗読部門[注 2]で入賞した生徒)が4人(開会式・閉会式に各2名ずつ)が担当するようになった[注 3]

開会式

開式の前に関西吹奏楽連盟関西合唱連盟がライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたゲートから入場。

  1. 開式の辞
    開式の言葉ののちファンファーレが鳴り響く。
  2. 選手入場
    ライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたゲート[注 4]から入場。曲は『大会行進曲』(作曲・山田耕筰)。春の選抜高校野球と違い、流行歌による入場行進曲の設定はない。先導者・国旗・大会旗・(記念大会[注 5]は歴代優勝校旗)の順に入場し各校がそれに続く。先ずは前年度優勝校が優勝旗を持って入場(地方大会を優勝し代表校として出場する場合は出場選手全員、敗退している場合は主将のみが単独で入場)。その後、下1桁が奇数回開催の時は北から南、下1桁が偶数回開催時は南から北の順に主将を先頭に3列で入場し、レフト寄りから前年度優勝校、続いて入場した学校はセンター、3校目は2校目に入場した学校の手前、4校目は2校目に入場した学校の奥と交互に外野側に整列。選手は白色の運動靴で入場する。全出場校が揃うとともに選手は一斉にバックネット方向へ前進する。
    第31回大会(1949年)から西宮市立西宮高等学校の女子生徒[注 6]が国旗、大会旗、(記念大会は歴代優勝校旗)、代表校のプラカード[注 7]を持っている(プラカードガール)。
  3. 国旗・大会旗掲揚
    選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向く。
    なお、東日本大震災後に行われた第93回大会(2011年)では黙祷が行われた(その時の黙祷は、サイレンはなし)。
  4. 大会会長の開会の挨拶
    朝日新聞社社長による5分ほどの挨拶[9]
  5. 優勝旗返還
    優勝旗が前年度優勝校の主将から大会会長の朝日新聞社社長に返還され、代わりに記念旗(レプリカ)が授与される。なお優勝旗は大会期間中、甲子園歴史館で準決勝日まで展示される。
  6. 御祝の言葉
    文部科学大臣による。出席できない場合は、文部科学副大臣ないし文部科学政務官が代理を務める。
  7. 励ましの言葉
    日本高等学校野球連盟会長による。
  8. 選手宣誓
  9. 大会歌吹奏・選手退場
    選手達は3塁側から4列ずつで退場する。
  10. 閉会の辞
    開会式の司会を務めた高校生が自己紹介する。関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。

なお第82回大会2000年)の開会式から、ライト側で西宮をPRする会による人文字を行っている。

閉会式

表彰式に先立ち、共同公開インタビューとして、NHKアナウンサーの司会により優勝監督へ、朝日放送テレビアナウンサーの司会により優勝校の殊勲選手若干名にそれぞれインタビューを行う。閉会式の準備ができるまでの間、ベンチ周辺でインタビューが行われ、閉会式の準備が終わり次第、閉会式が始まる。

  1. 開式の辞
    開会式とは別の高校生(放送部員)が閉会式開幕のあいさつを行う。
  2. 選手入場・整列
    校名プラカードは開会式で優勝校・準優勝校を担当した西宮市立西宮高等学校2年生の女子生徒が持っている。選手はスパイクシューズのまま入場する。
  3. 審判委員長講評
    日本高等学校野球連盟会長による。
  4. 優勝旗・優勝授与
    大会会長の朝日新聞社社長から優勝校の主将に優勝旗、副主将に優勝盾が授与される。
  5. 準優勝盾授与
    大会会長の朝日新聞社社長から主将に授与される。
  6. 優勝メダル授与・準優勝メダル授与
    大会会長の朝日新聞社社長から授与される。
  7. 大会会長の閉会の挨拶
    朝日新聞社社長による。
  8. 大会旗・国旗降納
    選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向く。
  9. 優勝校・準優勝校選手場内一周(大会歌吹奏)
    内野側から反時計回りに一周する。NHKの放送は途中で番組が終了する。
  10. 閉会の辞
    閉式のことばとともに司会を務めた高校生が自己紹介する。
  11. ファンファーレ
    演奏者(関西吹奏楽連盟の一部メンバー)がバックスクリーン整列し、開会式と同じファンファーレを演奏。
  12. 蛍の光合唱・演奏
    蛍の光合唱・演奏後、関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。球場内にはオルゴールの栄冠は君に輝くが流れる。閉会式後は写真撮影やインタビューが行われる。

開閉会式の特記

開会式・閉会式の国旗・大会旗の掲揚・降納は、2000年までは、開会式は出場校の主将(のちに記録員)が、閉会式は決勝戦を戦った選手全員がバックスクリーンの回転広告版の上(三菱電機の広告看板前)に集まって行っていたが、改修以後は選手衆はバックスクリーンに移動することなく、所定位置からバックスクリーン方向の掲揚台を向いて見守る形になっている。

大会歌

同大会歌は、第12回大会1926年)に制定され第29回大会1947年)までは、福武周夫作詞、信時潔作曲、陸軍戸山学校合唱団が歌いポリドールより発売された『全国中等学校優勝野球大会の歌』。「撃ちてし止まん」等、文語体で詞が統一されている。選抜高等学校野球大会の大会歌は『全国選抜中等学校野球大会の歌』[注 8]であって、歌唱者さらにレコードレーベルが同じだったが曲調と詞は合間に手拍子が挿入されているなど、『全国中等学校優勝野球大会の歌』とは全く異なっていた。

現在も選手入場の際に使われている『(全国中等野球)大会行進曲』は山田耕筰が作曲した作品であり、第21回大会1935年)から使用されているが、富田砕花作詞の歌詞がある。この場合は『全国中等野球大会行進歌』と呼ばれる。

栄冠は君に輝く』は学制改革により従来の中等学校が高等学校となり、夏の甲子園大会が全国高等学校野球選手権大会と呼ばれることになる1948年に作成された。朝日新聞社は学制改革を記念して「高等学校野球大会歌」を募集した。5252の応募作品の中から高橋道子(実際には当時の高橋の婚約者で結婚後は夫である中村義雄の作)の歌詞「栄冠は君に輝く」が選ばれ、古関裕而が作曲し、第30回大会から大会歌に制定される[10]伊藤久男とコロムビア男声合唱団によって歌われて1949年日本コロムビアからレコードを発売。

試合日程の進行

基本的な日程表

通常の49代表・48試合制の年の試合日程は以下の通りである。

日程 試合・他
初日 開会式
第1試合 1回戦
(49→32)
第2試合
第3試合
2日目 第1試合
第2試合
第3試合
第4試合
3日目 第1試合
第2試合
第3試合
第4試合
4日目 第1試合
第2試合
第3試合
第4試合
5日目 第1試合
第2試合
第3試合 2回戦
(32→16)
6日目 第1試合
第2試合
第3試合
第4試合
7日目 第1試合
第2試合
第3試合
第4試合
8日目 第1試合
第2試合
第3試合
第4試合
9日目 第1試合
第2試合
第3試合
10日目 第1試合 3回戦
(16→8)
第2試合
第3試合
第4試合
11日目 第1試合
第2試合
第3試合
第4試合
12日目 第1試合 準々決勝
(8→4)
第2試合
第3試合
第4試合
13日目 休養日
14日目 第1試合 準決勝
(4→2)
第2試合
最終日 決勝戦
表彰式・閉会式

試合組み合わせ

現在の組み合わせ抽選の抽選方法は、まず3回戦までの組み合わせを決定し、準々決勝4試合と準決勝2試合はその都度で決定する。シード制は採用されていないため、初戦で注目校同士の対戦になる事もある。なお、3回戦の勝ち上がり校は、連戦による選手の健康被害を最小限にするため、第10日の勝ち抜け校は第1・2試合、第11日のそれは第3・4試合に振り分ける(第11日については、結果的に連戦となる)

2013年度の第95回記念大会から2016年度の第98回大会までは全試合抽選方式を採用していた。抽選方法は以下の通り。

  1. 大会直前に行われる組み合わせ抽選会では、初戦(1・2回戦計24試合)の対戦だけを決める(併せて選手宣誓者も決定される)。先に北海道と東京都(記念大会時は埼玉県、千葉県、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県、福岡県の7府県も含む)の2代表が抽選を行い(これは同県同士が初戦で当たらないための配慮)、その後他のチームが抽選を行う。なお、抽選順は事前に行った予備抽選で決定する。
  2. 大会開始後は試合ごとに勝利チームが抽選し、次戦の日程を決めていく。
  3. 1回戦の勝者による2回戦の抽選は第1日の3チームは第7日目、第2・3日の8チームは第8日目、第4・5日の6チームは第9日目の試合から引く。
  4. 3回戦の抽選は、2回戦最終日の第9日目の勝者だけは連戦にならないよう、第11日目の試合から引く。その他のチームは制約なし。
  5. 準々決勝の抽選は、3回戦の1日目に当たる第10日目の勝者4チームは第1・第2試合から、連戦となる第11日目の勝者4チームは第3・第4試合から引く。
  6. 準決勝の抽選は制約なし。

1994年以前も全試合抽選方式を採用していたが、その頃とは違って、試合間隔にも配慮した仕組みになっていた。

組み合わせ抽選会は毎年開会式3日前の16:00から行われている。また、選手宣誓は対戦相手が決まった後、各校の立候補した主将によるくじ引きで決定する。大会開始から100年となった2015年度の第97回大会では抽選を行わず、主催者により第1回大会優勝校である京都二中の伝統を継承している鳥羽が指名された。

当初は選抜高等学校野球大会同様に、一度の抽選で決勝戦までの対戦を決めていた。しかし第40回大会1958年)、第45回大会1963年)は記念大会として1県1代表制を採り、出場校が増えたため、まず3回戦までの組み合わせを決定し準々決勝と準決勝はその都度甲子園球場で決定される方式を採った。

当時の朝日新聞縮刷版を見ると、第40回大会1958年)、第45回大会1963年)ともに、1回戦から、その都度抽選を行っている。また、1952年8月11日の朝日新聞紙上に「今度の大会から、第3日第1試合の第一回戦(7試合14チーム)の番組と、不戦一勝のクジを引いた残り9チームによる第2回戦の取り組みを決めるだけで、勝ち残ったチームがどのチームと顔を合わせるかは次の抽選まで決まらないという方式をとった」(原文のまま)という記述がある。朝日新聞紙上で確認できるそれ以前については、敗者復活戦の無くなった第5回から7回まではすべて抽選。8回から12回までは記述が見当たらず不明。1927年の第13回大会から中止前年の1940年第27回大会まではその都度抽選。戦後復活の1946年昭和21年度大会から、1951年の昭和26年度大会(この〜年度大会という呼称は、1953年の昭和28年度大会まで続いている)までは、現行選抜大会と同じヤグラ方式である。以上のことから、1952年から1994年までは、その都度抽選を行ったことになる。

その後、第76回大会1994年)までは初戦[注 9]が大会直前に決定しその後の組み合わせは随時甲子園で抽選して決定していたが阪神・淡路大震災に因る交通障害、或いは選手の健康管理上試合スケジュールの均一化を図ることから第77回大会1995年)から再びこの方式に戻された(この時1日4試合日の開始時刻も8:00開始から、30分繰り下げられて8:30開始となった)。

かつて一発抽選だった頃は、隣接県同士が初戦で対戦することも珍しくなかったが、第60回記念大会(1978年)以降1府県1代表制(但し北海道・東京都は2代表制)となってからは隣接県同士の対戦を避けるため[注 10]、東海・近畿・北信越(東ブロックの境目-新潟・長野・富山・岐阜・三重。西ブロックの境目-福井・滋賀・京都・奈良・和歌山。但し、石川は当初1978~87年迄の10年間は東ブロックだったが、1988~2006年迄の19年間は西ブロックへ移動した)地区を境に東西対決方式で抽選する形が第88回大会2006年)まで29年間続いていた。

しかし、東西隣接した府県勢同士がこの後も初戦で対戦しあう事態が度々あったことに加え、地区別で唯一東西両ブロックが混在していた北信越勢だけが92年の星稜(石川)対長岡向陵(新潟)を皮切りに、5度初戦でつぶしあう新たな弊害も起こっていた。第89回大会2007年)からは東西対決方式を廃止し、第59回大会1977年)以来30年ぶりのフリー抽選式に戻した。但し、これまで通り北海道、東京都の2代表[注 11]に関しては初戦で直接当たらないように配慮している。

準々決勝戦については、第84回大会2002年)までは1日4試合を一括開催していたが、第85回記念大会2003年)から選手の健康管理を考えて、1日2試合ずつの2日間開催に変更した。但し、雨天中止による日程遅延が3日間以上続いた場合は日程消化の関係で4試合を一括開催する[注 12]。この関係で長年8月8日にほぼ固定されていた開幕日が、1 - 2日程度前倒しして行われるようになっている。

現在、夏の甲子園大会の出場校数が49(ただし、第80・90回の記念大会は55)であるため、1校だけ組み合わせの時点で初戦の対戦校が決定しない。その1校は1回戦を免除される(現在では2回戦で第1日目に勝利した3校のいずれかと対戦)利点があるものの、対戦成績は出場49校が定着した第60回記念大会1978年)以降、第80回記念大会1998年)・第90回記念大会2008年)を含め10勝29敗(引き分け再試合1:2016年第98回大会時点)である。また、勝利した10校のうち2勝以上あげたのは2006年・第88回大会の鹿児島工業のみであり、他の9校は勝利しても次の3回戦で敗退している。対戦が決定していた当時、第88回大会2006年)で鹿児島工がこのジンクスを破って4強入りしたが、中迫監督は「試合を見に行かせた」「対戦相手の試合を見られることもいいこと」などと振り返っている[11]。第100回記念大会(2018年)では出場校数が56と1975年の第57回大会以来(38校)43年ぶりに偶数となるため、こうした事態は発生しない。

なお、2013年度の第95回大会からは、1994年以前の1試合ごとの抽選に戻すことになった。1994年以前の組み合わせ抽選は初戦は大阪市内の会場で、本選に入ってからは1回戦・2回戦・3回戦・準々決勝のそれぞれの最終日に甲子園球場で公開抽選の形式でまとめて決定していたが、第95回の大会では初戦は従来通り事前に大阪市内の会場で抽選会を行った後、本選に入ってからはそれぞれの勝ち上がり校は試合の終了後にすぐ組み合わせ抽選を行い、極端な連戦や試合間隔の開きすぎといった不公平感は極力なくすように日程を調整する。このほか準々決勝についてはこれまでの1日2試合×2日間から、2002年(実質は2003年)まで行っていた1日4試合開催に戻すこと、また準々決勝のあくる日は原則として休養日(雨天中止が3日間以上続いた場合は休養日なし)に充て、選手の連戦による健康被害軽減に努めることになった[12][13]

しかし2016年の第98回大会では履正社横浜戦があった第8日に球場の開門前に1万人が押しかける事態となったため、2017年の第99回大会から安全対策として事前に大観衆の集まる試合を把握することが可能な1995年~2012年までの第1回抽選で1回戦から3回戦までの対戦校が決まるシステム方式に戻された。なお準々決勝及び準決勝はその都度抽選で決定。但し、準々決勝の抽選会においては、前年迄と同じく3回戦最後の試合の勝者が準々決勝最初の試合に当たらないように配慮される[14]

全国大会では、地方大会(決勝戦を除く)で採用されている点差によるコールドゲームは全試合とも認められていない。ただし、降雨等止むを得ない事情で試合を中断・打ち切る場合は、試合が7回以降に入った場合に成立(コールドゲーム)とする。なお、地方大会でも決勝戦に限り、全国大会同様に試合が9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。

始球式

第92回での始球式。朝日新聞社ヘリから、中日の名古屋本社社旗付きのボールが投下される(2010年8月7日)。

開幕試合の始球式朝日新聞社ヘリコプターからボールを投下する[15][注 13]

第1試合の基本的な開始時間

  • 4試合開催日 8:00[注 14]
  • 3試合開催日 9:00[注 15](初日のみ10:30)
  • 2試合開催日(主として準決勝) 11:00
  • 1試合開催日(主として決勝) 12:30ないしは13:00[注 16]
2試合以上開催する場合、「試合時間は2時間・その後のグラウンド整備と次の試合の練習に30分」と想定され新聞の組み合わせ発表では4試合日の場合「(1)8:00、(2)10:30、(3)13:00、(4)15:30」とそれぞれ掲載[注 17]されているがあくまでも目安であり、原則的に前の試合終了から30分後に次の試合を行う[注 18]
なお第93回・第94回は、東日本大震災に伴う節電対策のため試合開始時間が一部日程で繰り上げられる処置が取られたが、第95回2013年)については4試合日は8時開始を維持したが、2・3試合日は平年と同じ時間帯に戻した。
第98回(2016年)では、決勝の開始時間を14:00に設定している。

夏の大会における甲子園の土

3年生部員にとってこの大会で負けると高校野球生活が終わるという意味をこめて「夏が終わる」と表現され[注 19]、大会途中で敗退したチームが試合終了直後に甲子園の土を拾い集める光景はよく報道でも取り上げられている。なお優勝・準優勝校が土を拾い集める場面はテレビ放送で流されないために、大会途中で敗退したチームのみが行うものと誤解されている場合もあるが、実際には優勝・準優勝校も閉会式や記念写真撮影、インタビュー終了後、グラウンドから去る寸前に土を拾っている。また1・2年生の中にはもう一度戻ってくるという意味を込めて持ち帰らない者もいる。

使用球

第83回大会2001年)でアルプス席のブラスバンド部員がファウルボールに当たり負傷したことから、翌第84回大会2002年)から打球に注目してもらうため、従来は係員が回収していたファウルボールを選抜大会も含めて観客にプレゼントするようになった[16](但しホームランボールは打った選手への記念として渡すために回収される)。

育成功労賞・野球殿堂特別表彰授賞式

毎年8月15日の第2試合開始前に育成功労賞の授賞式がある。また野球殿堂の特別表彰授賞式を行うことがある。

大会期間中の黙祷

8月15日の黙祷

8月15日は終戦の日のため、正午前にプレーを中断し、正午に選手、審判員、観客一同で1分間の黙祷を行う(サイレン鳴響も行う)。正午が試合間の入れ替え時間と重なった時は、次の試合開始前(両チーム挨拶の前)に行う場合がある。なお、当日の試合が中止となった場合は黙祷は行われない。

他の日程における黙祷

2016年の第98回大会第3日目第2試合では山梨学院長崎商が対戦したが、試合時間が長崎に原爆が投下された8月9日の11時2分を挟むことから、両校関係者が試合中(応援団は1回表終了後、選手は1回裏終了後)に黙祷を行った[17][18]

問題点

再試合等による試合への影響

  • サスペンデッドゲームを採用していないこと、球場がドームではないことから、大量の得点差がついた試合も、試合が成立する5回(第5イニング)の終了以前に降雨等による天災でノーゲームとなり、本来の試合でリードされていた高校が、数日後の再試合で勝利するという現象がしばしば起きている。
    1. 1982年(第64回大会・1回戦)-八幡大付日大二戦:八幡大付が4-2とリードしながら、6回裏攻撃中に雷鳴と激しい雨により降雨ノーゲームが宣告される。3日後の再試合では、日大二が9-6で勝利。また日大二は、17年前の1965年第47回・1回戦で、岡山東商にリードされながら降雨ノーゲームとなり、再試合で勝利している。
    2. 1993年(第75回大会・3回戦)-鹿児島商工常総学院戦:鹿児島商工が4-0とリードしながら、4回表攻撃中に豪雨に見舞われ降雨ノーゲーム。翌日の再試合では、常総学院が1-0で勝利。なお鹿児島商工は、前日の2回戦も雨の中で行っており、その試合は8回表途中で降雨コールドゲームにより堀越に3-0で勝利していた。
    3. 2003年(第85回大会・1回戦)-駒大苫小牧倉敷工戦:駒大苫小牧が8-0と大量リードしながら、4回裏途中で台風接近による降雨ノーゲームの宣告。翌日の再試合では倉敷工が5-2で勝利。
    4. 2009年(第91回大会・1回戦)-如水館高知戦:如水館が2-0・6-5と2試合共にリードしながら、大会史上初となる2日連続の降雨ノーゲームに。再試合では高知が9-3で勝利。
  • 準々決勝後の再抽選では、インターバル期間に差が生じてしまうことがある。
  • 2018年の第100回記念大会より延長戦におけるタイブレーク方式が導入、延長13回から試合が決着するまで延長無制限で行われる。同時に準決勝までは延長引き分け再試合が廃止となる。また決勝戦ではタイブレーク方式を採用せず延長15回で引き分けた場合は再試合とするが、再試合では準決勝までと同じ形で延長無制限でのタイブレーク方式を採用する。これにより再試合を除く決勝戦以外での延長イニング数は60年ぶりに無制限に戻る。
    • 1. 2018年(第100回大会)・佐久長聖旭川大高が4-4のまま延長12回で決着がつかず、甲子園大会史上初のタイブレーク方式が適用された。試合は、14回表に佐久長聖が1点を獲得し、そのまま5-4で勝利した。
    • 2. 2018年(第100回大会)・

      高校の野球部が全国高等学校野球選手権大会に出場すると、通常は同校の吹奏楽部・チアリーディング部およびチアダンス部(バトン部がチアリーディングおよびチアダンスを兼任していることも多く、その場合はバトン部が参加。学校によってはバトントワリング部とも称す)が応援に参加する(両方を複合させたバトンチアの場合もある)。

      熱中症に対する大会運営

      入場行進からセレモニー含めた開会式が全部終わるまでに1時間ほどあるため、熱中症になる者が出ている。朝日新聞や文部科学大臣などの挨拶を中心に短縮するなど大会運営に問題があるとの声がある[9]

海外遠征

大会終了後、基本的に上位進出校の3年生選手を集め、国際親善を主目的とした海外遠征チームが組まれる。行き先は主にアメリカ(韓国、ブラジルへの遠征実績もあり)で、2006年以降はアーバンユース・アカデミーカリフォルニア州コンプトンにあるMLBの野球振興・選手育成機関)との対戦が組まれている。

選手及びコーチングスタッフは、帽子マークは「J」、胸文字は「JAPAN」、袖に日章旗という、数十年間変わっていない簡素なデザインのユニフォーム(白及びグレー地)を着用することが多いが、過去には試合により各校のユニフォームの袖に国旗を縫いつけたものも併用したことがある。また背番号は1(優勝投手)から投手→捕手→内野手→外野手の順に振り分けられる(つまり投手は背番号がほぼ一ケタ、野手は背番号が必ず10番台となる)[注 20]

海外遠征の代わりに、真剣勝負の場であるWBSC U-18ワールドカップ[注 21]もしくはBFA U-18アジア選手権大会[注 22]に出場する年もある(その場合、選手権不出場校の選手や2年生以下の選手が選ばれたことがある)。この場合、2011年アジア選手権・2012年世界選手権は社会人他アマ代表と同一の、2013年世界選手権は同年のWBC日本代表と同一の、2014年アジア選手権以降は侍ジャパンのユニフォームを着用する。

歴史

第1回大会 村山龍平朝日新聞社長による始球式

年譜