ほっかいどう
北海道
Tokachi plain 01.jpg
十勝平野の大規模農場
北海道の旗
北海道旗
日本の旗 日本
地方 北海道地方
団体コード 01000-6
ISO 3166-2:JP JP-01
面積 83,423.84km2
総人口 5,316,576
住民基本台帳人口、2018年3月31日)
人口密度 63.7人/km2
隣接都道府県 青森県
道の木 エゾマツアカエゾマツ
道の花 ハマナス
道の鳥 タンチョウ
道民のうた 行進曲「光あふれて
ホームソング「むかしのむかし」
音頭「北海ばやし」
道民体操(どさんこ体操)
北海道庁
知事 高橋はるみ
所在地 060-8588
北海道札幌市中央区北3条西6丁目1番地
北緯43度3分51.6秒東経141度20分48.8秒座標: 北緯43度3分51.6秒 東経141度20分48.8秒
北海道庁
外部リンク 北海道
北海道の位置

北海道行政区画図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

特記事項 面積には北方地域5,036.14km2を含む
ウィキポータル 日本の都道府県/北海道
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北海道(ほっかいどう)は、日本の北部に位置する[※ 1][※ 2]。また、同島および付随する島を管轄する地方公共団体)である。としての北海道は日本列島を構成する主要4島の一つである。地方公共団体としての北海道は47都道府県中唯一の「」で、道庁所在地札幌市

概要

島としての北海道

北海道本島は、面積77,983.90平方キロメートル (km2) [3]、最高標高2,291メートル (m) [※ 3]本州四国九州とともに日本列島を構成する主要4島の一つ[※ 4]

この中では、唯一、名と地方公共団体名が同じで、1「」のみで管轄するである[※ 5]日本の中では本州に次ぐ第2位[3]、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の大きさである[※ 6]

江戸時代までは一般的に、千島樺太を含めて蝦夷ヶ島、本島単独では蝦夷地北州十州島などと呼ばれていたが[※ 7][※ 8]、明治2年(1869年)、古代日本の律令制における広域行政区画五畿七道」の7つの「」に倣って、北海道 (令制)と命名された[※ 9]

なお、地質学考古学などでは北海道島という名称も使用される[6][7]

地方公共団体としての北海道

北海道本島とその付随する島々(利尻島礼文島奥尻島天売島焼尻島渡島大島渡島小島など)、千島列島から成る地方公共団体が「北海道」であり、47都道府県で唯一の「道」である。

この「北海道」1道から成る地方北海道地方と言い、人口5,475,783人で都道府県順位第8位[8]面積83,456.75km2で都道府県順位第1位[9]、これは日本の総面積の約2割 (22.9%) に当たる。

また、国土交通省による日本の14地域区分の1つである北海道も、「北海道」1道から成る[※ 10]。なお、択捉島国後島色丹島歯舞群島については「北海道」の領域に含まれるものの、事実上はその管轄下に置かれていない。すなわち、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけてソビエト連邦占領し、現在もその後継国家であるロシア連邦の実効支配下にあり、日本の施政権が及んでいないと日本政府は主張している(北方領土問題参照)。

「北海道」には179の市町村(3512915)、74のがある(この他、北方領土に5郡6村がある)。「北海道」では、森町を「もりまち」と読む以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。

株式会社ブランド総合研究所が毎年調査する「都道府県魅力度ランキング」では2017年も1位となり、これで9年連続1位となった。

名称

この先住民であるアイヌの言葉(アイヌ語)では、「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)または「ヤウンモシㇼ」(ya un mosir、「陸地の国土」)[11]と呼ばれる。日本人和人)は古代には渡嶋(わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいたが[※ 7][※ 8]、明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討し、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出、「北加伊(きたかい)道」「海北道」「海東道」「日高見(ひたかみ)道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。結局「北加伊道」を基本として採用し、海北道との折衷案として、また、律令制時代の五畿七道東海道南海道西海道の呼称に倣う形として「北海道」と命名された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明しているが、言語学者の金田一京助は、当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。

北海道は地方自治法において他の「都・府・県」と同格の普通地方公共団体(都道府県)の1つとされているが、「」「」「」の場合、これを外して、「東京」「大阪」「京都」「神奈川」「愛知」のように表記・呼称することがあるのに対し、北海道については「道」を外して単に「北海」と表記・呼称することは(北海タイムス北海学園大学など、社名や学校名などの固有名詞の一部分に使用される例はあるものの)非常に稀である。英語での公式表記は『Hokkaido Government』、もしくは『Hokkaido』[12]であり、『Hokkai Government』や『Hokkai Prefecture』と表記する事はない。一方、「道」である普通地方公共団体は北海道しか存在しないため(東京都の「都内」「都下」などと同様に)、逆に「道」が「道産米」など、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙(形態素)として広く普及している。

北海道の主要地形

後述の通り、1886年(明治19年)から1947年昭和22年)まで北海道を管轄した地方行政官庁は、北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である(樺太樺太庁の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような地方自治体の中央官庁ではない。1901年(明治34年)に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後1946年(昭和21年)の第1次地方制度改革で市制町村制東京都制とともに府県制が改正された際、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて道府県制に統合された。また改正法律の附則の規定により、従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年(昭和22年)の地方自治法施行により、「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。

地理・地域

北海道
Satellite image of Hokkaido, Japan in May 2001.jpg
2001年5月30日、地球観測衛星テラ搭載のMODISセンサにより撮影。
面積 77,983.90[3] km²
海岸線長 2,676[13] km
最高標高 2,291 m
最高峰 旭岳
最大都市 札幌市
所属諸島 日本列島
所属国・地域 日本の旗 日本
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北海道本島は面積77,983.90 km2日本の中では本州に次ぐ第2位の面積で[3]、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の面積を持ち、樺太(同第23位)よりやや大きく、台湾島35,980km2の約2倍の大きさである[※ 6]。これは九州四国を合わせた面積55,050.77km2を上回る。

南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函隧道により鉄路で繋がれており、同トンネル内で青森県に接している[※ 11](トンネルの上の津軽海峡中央部は公海[14](但し日本の排他的経済水域[15]))。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流宗谷暖流、および親潮東樺太海流が流れている。

北海道は大きく分けて胴体部に当たる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島を含む)よりなる。胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地北見山地と、西の夕張山地天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地上川盆地名寄盆地などの盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。

北海道東部は千島弧の延長である知床半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続き平野は少ないが、南側では十勝平野根釧台地などの大平野が形成されている。

胴体部と半島部の間の地域は、石狩湾から石狩平野勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である[※ 12]。ここには人口約190万を抱える札幌市や、千歳市苫小牧市などが並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。

半島部には、石狩低地帯の西に位置する南西部山地と、その南西に延びる渡島半島があり、間に太平洋側から内浦湾(噴火湾)か入り込む。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部に当たり、渡島山地がある。渡島山地と南西部山地の間には、日本海側の寿都町から内浦湾にかけての低地があり、黒松内低地帯という。

北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰など)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,291mである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山などの山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。

北海道の一級水系の流域図

一級水系は13水系ある。石狩川天塩川十勝川釧路川網走川常呂川湧別川渚滑川留萌川沙流川鵡川尻別川後志利別川

阿寒湖大沼屈斜路湖サロマ湖支笏湖洞爺湖摩周湖ウトナイ湖網走湖能取湖風蓮湖などの湖がある。

隣接県は青森県だが青森をはじめ、北海道と各都府県は陸路、歩行では移動することができない。飛行機青函トンネルを介して北海道新幹線への乗車のいずれかが必須となっており、いずれも料金がかかる形となる。

広袤(こうぼう)

国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、北海道の面積は83423.84平方キロメートルである[17]

北海道の東西南北それぞれの端と重心は以下の位置である[18][19]。北端は択捉島のカモイワッカ岬、南端は渡島小島、東端は択捉島のラッキベツ岬、西端は渡島大島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は栗山町本沢にある[20]

重心
北緯43度28分11秒東経142度49分26秒

北端
北緯45度33分28秒東経148度45分14秒
人口重心
北緯43度04分53.13秒東経141度53分17.81秒
西端
北緯41度31分02秒東経139度20分04秒
北海道庁舎所在地
北緯43度03分51秒東経141度20分49秒
東端
北緯45度30分44秒東経148度53分42秒

南端
北緯41度21分07秒東経139度47分57秒

(東端、北端は日本政府、北海道当局の公式見解。前述のように、2011年現在施政権は及んでいない)

自然公園

北海道標茶町のコッタロ湿原
摩周湖2008年初夏
オンネトーから見た雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)

歴史

先史時代 (旧石器時代〜飛島時代)

北海道には数万年前の氷河期シベリアからマンモスオオツノシカなどの大型哺乳動物を追いかけて、陸橋となった宗谷海峡を人類が渡ってきたとされる。約12,000年から13,000年前(-8000年~-9000年)には、氷河が後退し温暖となってからは本州からも渡来したようである。

道内各地で旧石器時代の発掘調査は、群馬県岩宿遺跡で旧石器が発見されたのをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり後期旧石器時代と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、千歳市祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材を放射性炭素年代測定法では21450±750年BPであった。出土した石器類は、ナイフ形石器尖頭器・削器・石核などである。これらの石器の原材料となった黒曜石の産地は「十勝石」の名で親しまれている白滝村が代表的である。他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある[24]

縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に石狩低地帯に集中している。最も大きいものは千歳市郊外にあるキウス周堤墓群で、知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。

続縄文文化
本州以南は多数の渡来人(帰化人)が移住することで弥生時代を迎えたが、北海道には弥生文化(水稲耕作)が伝播せず、続縄文文化が展開した(本州の弥生・古墳時代に並行する続縄文時代[※ 13]は、紀元前2世紀から8世紀の奈良時代頃まで続いた)。この文化は、北は樺太南端部、東は国後島択捉島、南は宮城県北部から新潟県にまで及んでいる。時期のはじめの土器は東北北部の土器の影響が及んだ恵山式土器で紀元前2世紀から3世紀までを恵山文化と呼ぶ。この文化と弥生文化との交流を示す鉄器や碧玉製の管玉が見つかっている。また、この文化の影響が道央部に及んで江別式土器が出現する。この土器は後北式土器[※ 14]とも呼ばれている。江別式土器を特徴とする江別文化は紀元前1世紀から7世紀頃までで、サケマスの漁撈生業を中心とした狩猟・採集経済である。この文化の遺跡からソバの花粉や緑豆の種子が検出されており、食用植物が栽培されていたと考えられる[26]
擦文文化
つづいて、7世紀後半より土師器の影響を受けて縄文がなくなり、木片の刷毛で擦ったような文様の擦文式土器を特徴とする擦文時代となって、この文化を8世紀までを前期、9世紀 - 10世紀を中期、12世紀頃までを後期の三期に区分する。この文化は和人(本州以南の日本人)との交易によって、12世紀頃には鉄器を持ち、狩猟のほかに農業、漁労を営むアイヌ文化に成熟した。
オホーツク文化期
擦文文化が営まれていた頃、オホーツク海沿岸には、道東に漁業と海獣狩猟を中心とするオホーツク文化を持った人々が移住したが、アイヌ文化が成熟した頃に姿を消した。アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。この古代文化は、3世紀から13世紀樺太、北海道のオホーツク海沿岸、千島列島に展開された。うち北海道に分布するこの文化の遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推測されている。
アイヌ文化
擦文文化の時代から、徐々にアイヌ民族によるアイヌ文化へと移行した。アイヌ文化の時代は、明治期に和人が進出するまで続いた。

和人進出 (奈良時代〜鎌倉時代)

古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場し、阿倍比羅夫と接触を持ち、奈良時代平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。

中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)など様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、などを日本人(和人)の交易で得るようになっていった。

また鎌倉時代以降になると、後の松前藩和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。

松前藩 (室町時代〜江戸時代)

松前崇広は、江戸時代末期の大名蝦夷松前藩の12代藩主。

室町時代には、渡島半島南端(後の和人地)に和人、渡党、アイヌが居住し、豪族が館を構えていた[27]。和人の築いた道南十二館のひとつである勝山館跡では和人とアイヌの混住が考古学的にも確認されている[28]。当地に割拠していた館主(たてぬし)らは安東氏被官関係を結んでおり、かれらが北海道に渡った時期は不明であるが、その多くは鎌倉時代に津軽糠部の北条氏所領の代官層であった侍の子孫とも考えられている[29]。室町・戦国期には本土から和人の渡海者が増え、現地のアイヌとの間に対立が起きたという。近世以前の北海道に関しては松前藩の由緒を記した『新羅之記録』(寛永20年(1643年)成立)があり、同書に拠れば康正3年/長禄元年(1457年)に起きたコシャマインの戦いで、甲斐源氏若狭武田氏の子孫とされる武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。

松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いクナシリ・メナシの戦いで蜂起したものの、松前藩によって鎮圧された。天明4年(1784年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。

江戸時代後期に、ロシアシベリアから領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本に北海道近辺で接触した。中にはゴローニン高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内近藤重蔵間宮林蔵伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、寛政11年(1799年)に東蝦夷地を、文化4年(1807年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として享和2年(1802年)に蝦夷奉行を置き、後に箱館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は文政4年(1821年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。

近代 (明治〜昭和前期)

律令制・幕藩体制の延長期

箱館府の置かれた五稜郭(函館市)
移住者の出身府県 戸数別(明治15年〜昭和10年)[30]
出身府県 戸数
青森県 68,855
秋田県 64,067
新潟県 61,636
宮城県 51,831
富山県 48,445
石川県 47,901
岩手県 40,318
山形県 39,009
福島県 33,122
福井県 27,392
東京府 21,862
徳島県 17,970
岐阜県 15,297
香川県 14,367
広島県 10,777
愛知県 9,377
愛媛県 9,239
兵庫県 9,047
鳥取県 7,665
茨城県 6,950
滋賀県 6,533
長野県 5,956
高知県 5,810
岡山県 5,563
栃木県 5,473
静岡県 5,234
奈良県 5,049
大阪府 5,033
福岡県 5,017
山口県 4,951
神奈川県 4,948
三重県 4,914
千葉県 4,670
山梨県 4,642
和歌山県 4,559
群馬県 3,891
埼玉県 3,890
京都府 3,751
熊本県 3,481
島根県 3,150
佐賀県 2,602
鹿児島県 2,505
大分県 2,472
長崎県 1,500
宮崎県 624
沖縄県 67
その他 5,794
総数 717,206

慶応4年/明治元年4月12日1868年5月4日)に、新政府は蝦夷地にそれまで置かれていた箱館奉行箱館裁判所に置き換え、すぐにその名を箱館府と改めた(府藩県三治制)。これに伴い、道内でもそれまでの公議御料(幕府直轄領)は天領(天皇の御料)となった。ただし、明治元年12月(1869年1月)旧幕府軍五稜郭を占拠し榎本武揚を首班とする「蝦夷共和国」が成立、翌年にかけて新政府軍との間で戊辰戦争の一つ箱館戦争が戦われた。旧幕府側の降伏直後の明治2年(1869年)、和人地および蝦夷地(北州)には大宝律令国郡里制を踏襲し北海道11国86郡が置かれた(→北海道 (令制))。同年7月(天保暦館藩(松前藩)領以外は箱館県(箱館府の後身)から引き継ぐ開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である。東北地方などには按察使が置かれた)が設けられ北海道の開拓は本格化した。当初、開拓使直轄領以外では、道外の士族寺院華族などによる幕藩体制と同様の北海道の分領支配も行われていた。また、同年10月場所請負制が漁場持と名称を変えしばらくの間存続することとなった。

  • 北海道11国86郡(1869年設置)
読み
渡島国
亀田郡 かめだ
茅部郡 かやべ
上磯郡 かみいそ
福島郡 ふくしま
津軽郡 つがる
檜山郡 ひやま
爾志郡 にし
後志国
久遠郡 くとう
奥尻郡 おくしり
太櫓郡 ふとろ
瀬棚郡 せたな
島牧郡 しままき
寿都郡 すつつ
歌棄郡 うたすつ
磯谷郡 いそや
岩内郡 いわない
古宇郡 ふるう
積丹郡 しやこたん
美国郡 びくに
古平郡 ふるひら
余市郡 よいち
忍路郡 おしよろ
高島郡 たかしま
小樽郡 おたる
読み
胆振国
山越郡 やまくし
虻田郡 あふた
有珠郡 うす
室蘭郡 むろらん
幌別郡 よりへつ
白老郡 しらおい
勇払郡 ゆうふつ
千歳郡 ちとせ
石狩国
石狩郡 いしかり
札幌郡 さっぽろ
夕張郡 ゆうばり
樺戸郡 かばと
空知郡 そらち
雨竜郡 うりゆう
上川郡 かみかは
厚田郡 あつた
浜益郡 はまましけ
天塩国
増毛郡 ましけ
留萌郡 るもい
苫前郡 とままえ
天塩郡 てしほ
中川郡 なかかわ
上川郡 かみかは
読み
北見国
宗谷郡 そうや
利尻郡 りしり
礼文郡 れふんしり
枝幸郡 えさし
紋別郡 もんべつ
常呂郡 ところ
網走郡 あばしり
斜里郡 しゃり
日高国
沙流郡 さる
新冠郡 にいかふ
静内郡 しつない
三石郡 みついし
浦河郡 うらかは
様似郡 さまに
幌泉郡 ほろいつみ
十勝国
広尾郡 ひろお
当縁郡 とうふち
上川郡 かみかは
中川郡 なかかわ
河東郡 かとう
河西郡 かさい
十勝郡 とかち
読み
釧路国
白糠郡 しらぬか
足寄郡 あしょろ
釧路郡 くしろ
阿寒郡 あかん
網尻郡 あはしり
川上郡 かわかみ
厚岸郡 あつけし
根室国
花咲郡 はなさき
根室郡 ねむろ
野付郡 のつけ
標津郡 しへつ
目梨郡 めなし
千島国
国後郡 くなしり
択捉郡 えとろふ
振別郡 ふれへつ
紗那郡 しやな
蘂取郡 しへとろ
得撫郡 うるっぷ
新知郡 しむしる
占守郡 しゅむしゅ

※ 得撫郡、新知郡、占守郡の3郡は、1875年(明治8年)、樺太・千島交換条約により得撫島以北の千島列島を編入したため千島国に加わった

  • 注:よみがなは『新北海道史』による
明治維新の変遷期
明治3年(1870年)、根室国花咲郡根室郡野付郡東京府の所領となったが、同年末に返上。
明治3から4年(1870年 - 1871年本願寺道路が建設される。
明治4年(1871年5月に開拓使庁も函館から札幌に移転。同年の明治4年7月14日8月29日廃藩置県に伴い館藩の旧領(爾志郡檜山郡津軽郡福島郡)に館県設置。その直後に分領支配も終わり、館県以外の地域はすべて開拓使の直轄となった。同年旧暦9月、館県は道外の弘前県などと合併、弘前県(青森県)の一部となり消滅。明治5年10月(1872年)、福島郡など四郡(旧館県)が青森県から開拓使に移管。これにより、北海道全域が開拓使の所管となる。また、札幌農学校の開校もこの年で、同年旧暦10月10日(11月10日)には大区小区制が施行され、明治5から6年[※ 15](1872年 - 1873年)には札幌本道が建設されている。1874年(明治7年)には開拓と北辺の守りを固めるため屯田兵の駐屯が開始された。1976年(明治9年)9月には漁場持(場所請負制)廃止。1879年(明治12年)7月23日郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)を施行。1885年(明治18年)の太政官廃止に先立つ1882年(明治15年)、開拓使は設置からわずか13年で廃止された。
1888年建設の道庁旧本庁舎(札幌市)
近代行政機関の設置
開拓使を置き換えるように北海道全体として初の近代行政区画近代行政機関である函館県札幌県根室県の3県(三県一局時代)が設けられた(内閣制の発足は1885年(明治18年)12月22日である)が、当時は人口も少なく非常に偏った分布(特に根室県の人口は著しく少なかった)で3県体制が機能していないことから、1886年(明治19年)には道内全域を管轄する北海道庁が置かれた。1896年(明治29年)になると旭川にて陸軍第七師団が編成され、1899年(明治32年)10月1日には北海道区制および北海道一・二級町村制が施行されている。明治政府の政策により多くの人が全国各地から移住し、道内各地に開拓の波が押し寄せた。特に東北地方北陸地方からの移住者は全体の7割近くを占め、言語や習慣などの点で北海道文化の礎となった。これにともない官営幌内鉄道北海道官設鉄道をはじめとする鉄道国道が建設されたが、網走刑務所に代表されるように、懲役刑の一環として行われた面もある。石炭が産出されることから、数多くの炭鉱が開発され、輸送するための鉄道が縦横に張り巡らされた(明治29年北海道鉄道敷設法、大正11年改正鉄道敷設法)。人口も増加し、1922年(大正11年)4月20日には市制を施行し北海道区制を廃止。

1943年昭和18年)3月20日には町村制の改正により北海道一・二級町村制が廃止(旧二級町村は特例で指定町村と)された。1946年(昭和21年)9月27日府県制改正にともない、北海道における自治制度を規定していた「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「道府県制」に移行し、指定町村の特例も廃止されている。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。

移住者の出身地域 戸数別(明治15年〜昭和10年)[31]
東北地方
  
41.4%
北陸地方
  
25.8%
関東地方
  
7.2%
四国地方
  
6.6%
中部地方(北陸除く)
  
5.6%
近畿地方
  
5.4%
中国地方
  
4.5%
九州地方
  
2.5%
沖縄地方
  
0.0%
その他
  
0.8%

現代 (昭和後期〜平成)

1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁総理府外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。

戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道をはじめとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧一級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道はすべての国道を国が管理する体制がとられた。

1967年 (昭和42年) 旭川市旭山動物園が開園。

1968年 (昭和43年) 北海道百年記念祝典開催

1971年 (昭和46年) 日本で4番目となる札幌市営地下鉄が開業した。

1972年(昭和47年)にはアジア初の冬季オリンピックである第11回冬季札幌オリンピックが開催され、それを契機に札幌市営地下鉄などのインフラの整備も進んだ。

1988年(昭和63年)7月20日、千歳空港に代わる民間航空用の空港として開港した。

2001年平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省地方支分部局となった。

2003年 (平成15年)9月26日、4時50分頃、 十勝沖地震 - Mj 8.0Mw 8.0〜8.3)、北海道新冠町静内町浦河町鹿追町幕別町豊頃町忠類村釧路町厚岸町で最大震度 6弱、死者・不明者2人。津波警報が発表され2mを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、2年後に1人が遺体で発見された。

2008年 (平成20年) 北海道洞爺湖サミット開催

2010年 (平成22年) 支庁制度改革、支庁を「総合振興局・振興局」と改称。

2018年(平成30年)9月6日、3時08分頃、胆振地方中東部(北緯42.7度 東経142.0度)で最大震度6強(M.6.7)を観測する地震が発生した。午後3時ごろ気象庁が「厚真町で震度7を観測した」と発表した。北海道で震度7を観測したのは初だという。午後5時30分頃、この地震の名前を北海道胆振東部地震と名付けられた。

分県構想

1905年(明治39年) 函館県設置に関する建議 帝国議会で満場一致で可決。

1946年(昭和21年) 北海道会解散時に北海道の3県または4県分割案の意見書

1948年(昭和23年)1月 旭川商工会議所「県政促進」議会決議

1948年(昭和23年)3月12日 釧路商工会議所「分県決議」常議員会決議

1949年(昭和24年) 北海道4県制(札幌県 函館県 旭川県 釧路県)『北海評論』の公表

1950年(昭和25年) 北海道県政施行促進協議会 旭川に発足(会長 前野良三吉 旭川市長、副会長 武藤大陸 函館市長、佐熊宏平 釧路市長、山田利忠 北海道町村会会長 就任)

1954年(昭和29年) 北海道議会分県議員促進連盟発足

1955年(昭和30年) 民主党北海道総合開発特別委員会「北海道における行政機構改革案」(1県 札幌 2県 旭川 3県 函館 4県 室蘭 5県 釧路)北海道省の設置と5県発足を公表 「北海道の分県に関する法律案」を1956年(昭和31年) 国会法制局に提出。

1986年(昭和61年) 北海道議会分県勉強会発足

1988年(昭和63年) 北海道分県協議会発足(1998年(平成10年) 解散)

2016年(平成28年)1月7日毎日新聞に、北海道議会の「自民党・道民会議」が私的機関「北海道分県研究会」を設立し、「知事一人では広大な北海道の地域の課題に目が行き届かない」として、道を複数の都道府県に分ける「分県」案についての議論を開始したと報じられた[32]

その後、同8月10日北海道新聞で、同研究会のまとめた報告書の素案を公開し、具体的に「道央・道南」、「道北」、「道東」の3つの都道府県に分ける案と、「道東」だけを切り離して残りの地域で一つの都道府県にする2都道府県案のどちらかが望ましいと結論付けている[33]

またこのほかに、「道央」「道南」「道東」「道北」の4つの都道府県、ないしは道東を「オホーツク」「十勝」「根釧」にさらに細分化しての6つの都道府県の案もたたき台として検討されているという[34]

人口

北海道の人口は537万7782人(2016年(平成28年)1月1日、国勢調査)であり、都道府県単位で全国8位である。しかし人口密度はもっとも低く、これが地域の特色にもなっている[35]

北海道は他の多くの都府県と比べて主要都市部に人口が偏在するという性格が強く、特に近年は札幌市への人口集中が著しく、道内の他の自治体を大きく圧倒する。2番目の人口規模をもつ旭川市でさえ札幌市の人口の約18%しかない。道内の179の自治体のうち政令指定都市は札幌市の1市、中核市は旭川市と函館市の2市で、施行時特例市は存在しない。

人口の都市集中は、他の市町村の人口密度がさらに低いことを意味する。家屋の密度が著しく低く、大区画でほぼ無人の畑地・牧草地が広がる大地を、どこまでも続く直線道路が切っていく景観は、人口密度の低さで北海道につぐ東北地方でも見られない、北海道独特のものである[36]。総務省によると、2011年(平成23年)現在の段階で179の自治体のうち、ほぼ80%に上る143の自治体が過疎地域に指定されている[37]

北海道の地方自治体の人口増加率分布図。2005年度と2010年度国勢調査から算出した。
増加
  10.0 % 以上
  7.5 - 10.0 %
  5.0 - 7.5 %
  2.5 - 5.0 %
  0.0 - 2.5 %
減少
  0.0 - 2.5 %
  2.5 - 5.0 %
  5.0 - 7.5 %
  7.5 - 10.0 %
  10.0 % 以上
Demography Hokkaidou.svg
北海道と全国の年齢別人口分布(2005年) 北海道の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 北海道
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
北海道(に相当する地域)の人口の推移
1970年 5,184,287人
1975年 5,338,206人
1980年 5,575,989人
1985年 5,679,439人
1990年 5,643,647人
1995年 5,692,321人
2000年 5,683,062人
2005年 5,627,737人
2010年 5,507,456人
2015年 5,381,733人
総務省統計局 国勢調査より

都市

北海道内 都市別人口ランキング(2017年10月 現在)
順位 都市 人口 備考
1 札幌市 1,951,523人 政令指定都市
2 旭川市 338,879人 中核市
3 函館市 260,587人 中核市
4 苫小牧市 171,826人 計量特定市
5 釧路市 170,938人
6 帯広市 166,862人 計量特定市
7 小樽市 117,944人 保健所政令市
8 北見市 117,933人
9 江別市 118,775人
10 千歳市 96,475人
11 室蘭市 85,166人 計量特定市
12 岩見沢市 82,324人
13 恵庭市 69,497人
14 北広島市 58,733人
15 石狩市 58,429人
16 登別市 48,566人
17 北斗市 46,641人
18 滝川市 40,589人
19 網走市 35,742人
20 稚内市 34,395人
21 伊達市 34,577人
22 名寄市 27,604人
23 根室市 26,039人
24 紋別市 22,300人
25 美唄市 22,001人
26 富良野市 22,073人
27 留萌市 21,499人
28 深川市 20,992人
29 士別市 19,235人
30 砂川市 17,248人
31 芦別市 13,908人
32 赤平市 10,369人
33 三笠市 8,672人
34 夕張市 8,317人
35 歌志内市 3,374人

政治・行政

国政

2017年(平成29年)現在、衆議院議員選挙は、小選挙区を12区に分け、比例北海道ブロック議席は8議席保有している。

歴代知事

北海道庁本庁舎(道庁本館)

経済・産業

平成20年度(2008年 - 2009年)の道内総生産は18兆3595億円である[40]。これは世界40位前後の「国」に相当する経済規模を有している[41]。北海道内総生産の産業別構成比は、第一次産業が3.8%、第二次産業が15.5%、第三次産業が84.0%である(平成19年度)[※ 17]。全国平均と比べて第一次、第三次産業の比率が高く、第二次産業、特に製造業の比率が小さい。

第一次産業

北海道のトラクター
小清水町のジャガイモ畑と防風林
農業
北海道は、食糧基地を自称するほど[42]農業が栄えており、全国の約12%に当たる1兆579億円の農業産出がある(2003年(平成15年))。麦や芋などの畑作も全国平均と比べて比率が高く、テンサイジャガイモ小麦など、生産量が日本一の品目が多い。中でも道内農業産出額の約37%を占めるのは乳用牛であり[43]生乳生産量は全国の約40%を占める。また、日高振興局を中心にサラブレッドなどの軽種馬の生産も盛んである。
農家1戸当たりの耕地面積は16.9ha(2002年(平成14年))で、他都府県の13倍にも達する。これは単に土地が広いこともあるが、北海道の各地方の気候条件に対応した農業が発達し開拓当初から大規模化したこと、農村部で兼業の機会が少ないために専業農家が多く、離農する者が多かったことから周辺農家が離農地を吸収合併し規模を拡大してきたこともその要因とされる。
2007年(平成19年)4月、日本とオーストラリア間の自由貿易協定を柱とする経済連携協定日豪EPA/FTA)に関する交渉が両国間で開始された。同協定が締結され農産物の関税が撤廃された場合、オーストラリア産農産物の輸入増により北海道農業は大打撃を受け、新たな財源がまったく確保できないとすると、北海道経済全体で約1兆3700億円の経済損失が生じ、約8万8000人が失職すると、北海道は試算している[44]。これが現実となれば農業・酪農のみならず道内消費や他産業まで、北海道拓殖銀行の破綻をはるかに超える影響が及ぶとされ、道財政の破綻・財政再建団体転落の可能性も指摘されている。
宗谷総合振興局釧路総合振興局根室振興局は、気候が耕作には適していないため、亜寒帯湿潤気候を利用した酪農が盛んである。釧路総合振興局、根室振興局では農家1戸当たり耕地面積は60.3ha(2003年(平成15年))にも達し、宗谷総合振興局に至っては99%が牧草地である。大規模経営のため農家の所得水準は高く、北海道の農家1戸あたり農業所得は約580万円である。この地域はほかに肉牛の生産もしている。
稲作は主に空知総合振興局上川総合振興局などで行われている。代表銘柄は、「ゆめぴりか」・「きらら397」・「ほしのゆめ」・「ななつぼし」・「ふっくりんこ」。特に上川中部(旭川市周辺)のコメは一等米比率が高く、品質の良さで知られている。
渡島総合振興局は比較的畜産が盛んで、後志総合振興局は、余市町仁木町を中心に果樹の生産が盛ん。羊蹄山麓はジャガイモの産地となっている。
空知総合振興局は稲作のほか、北部でソバ、南部でタマネギも生産している。特にソバの収穫量は幌加内町が全国1位、深川市が第2位、音威子府村が第3位、旭川市が第4位である[45]
上川総合振興局は、稲作のほか野菜の生産が盛ん。タマネギジャガイモニンジントウモロコシアスパラガスキャベツダイコン・キノコなどの生産量が多い。また、大豆大麦ソバ小豆(アズキ)・テンサイ(ビート)なども生産されている。名寄市はアスパラガスの、和寒町はカボチャのそれぞれ生産量日本一である。コメも先述の通り生産量が多い。
オホーツク総合振興局では、タマネギジャガイモトウモロコシテンサイの生産量が多い。北見市はタマネギの産地として有名。酪農も大変盛ん。
十勝総合振興局は、畑作が盛ん。小麦テンサイ小豆などの豆類・トウモロコシなどの生産が多い。近年ではニンジン、ナガイモダイコンなどの野菜類の栽培もさかんで、音更町はニンジンの生産量日本一である[46]。また、酪農も盛んである。
水産業
旧花田家番屋(留萌郡小平町)。鰊御殿(鰊番屋)の一つ。
明治時代までは日本海沿岸でニシン漁が栄えた。その後カムチャツカ半島沖、ベーリング海沖での北洋漁業が飛躍的に伸び、太平洋沿岸で水産業が発達した。また同時に発展した水産加工業は北海道の工業の基盤ともなった。
サケホタテガイが道内生産額のそれぞれ23%、19%を占める[47]。サケは全国生産量(属人)の7割、スケトウダラ、コンブは8割以上、ホッケは97パーセントを占める[48]
1977年(昭和52年)の排他的経済水域(200海里水域)設定で遠洋中心の北海道の漁業は大打撃を受けた。しかし依然として、北海道での水揚げ量は全国のおよそ4分の1を記録[49]するなど、水産業は北海道の主要な産業の一つである。またホタテやカニウニなどの水産物を目当てに訪れる旅行者もいるなど、観光産業にも貢献をしている。
現在の水揚げ量は

北海道では第二次産業の占める割合が全国に比べて極めて低い。

鉱業
旧住友奔別炭鉱の立坑櫓(三笠市奔別町
明治から高度成長期(1960年代まで)にかけては、石狩炭田(三笠市歌志内市夕張市など)と釧路炭田(釧路市白糠町釧路町厚岸町など)を中心に石炭産業が盛んであったが次々と閉山した。現在では、国内で唯一の坑内採炭事業が釧路炭田で行われ、海外炭の高騰の影響を受け露天掘り採炭事業が石狩炭田などで再開されている[50][51]
昭和に入り、鴻之舞鉱山紋別市)のの産出量が増加。全盛期には「東洋一の金山」といわれるが、資源枯渇などを理由に1973年(昭和48年)閉山。また、豊羽鉱山札幌市南区)もかつて亜鉛で日本最大級の産出量を数え、希少金属であるインジウムの産出量も世界一だったが、2006年(平成18年)鉱量枯渇のため閉山となる。
イトムカ鉱山(旧留辺蘂町、現北見市)ではかつて良質の水銀を産出し、第2次大戦中に最盛期を迎えたが、1974年(昭和49年)に閉山した。2011年(平成23年)現在は水銀含有廃棄物のリサイクルを行っている[52]
製造業
製造業は、食料品生産の割合が高く、製造品出荷額の約3割を占める。ほか石油・石炭製品、鉄鋼製品、パルプ・紙製品が多い。道内6圏域の中では道央圏が出荷額の6割、事業所数・従業員数の5割を占める。市町村別では道央圏の室蘭市と苫小牧市の2市で計35パーセントを占め、続いて札幌市が第3位 (7.9%) を占める。第4位の釧路市(4.1%)は札幌市の半分強を占める[53]
北海道の工業は明治期に札幌で1876年に開拓使麦酒醸造所、函館で1896年(明治29年)函館船渠株式会社 造船、釧路で1901年(明治34年)前田製紙、室蘭で1909年(明治42年)製鉄所が開業したのが始まりである。
現在北海道の食品加工業は札幌市をはじめ各地に点在している。製紙・パルプは釧路市、苫小牧市で発達している。製鉄は室蘭市に、また石油化学コンビナートが苫小牧市、室蘭市にある。飼料肥料コンビナートが釧路市にある。臨空工業都市として千歳市が挙げられる。自動車部品製造も苫小牧市で発達している。
建設業
明治以降の北海道は国策による開拓と開発が積極的に行われ、建設業は公共事業に大きく依存して発展を遂げた。現在でも北海道は公共事業への依存度が高く、北海道の基幹産業の一つである[54]
しかし近年は公共事業の大幅な減少によって、建設業は大きな苦境に立たされている。
大規模開発
苫小牧東部開発計画(苫小牧東部地域)、石狩湾新港地域開発など、国と道が一体となった大規模開発が進められてきたが、当初想定していた企業立地が進まず、開発主体の第三セクターの経営破たんや計画の見直しを強いられている。現在、再建会社が事業を引継ぎ運営しており、近年では札幌圏に位置する地理的な優位性から、石狩湾新港地域開発では物流関連、リサイクル関連企業の進出などが進んでいる。
産業系特区