名古屋高速道路
C1
名古屋高速C1号標識
名古屋高速都心環状線
地図
名古屋高速と周辺有料道路のルート図。中央部のRが都心環状線。
路線延長 10.3 km[1]
開通年 1985年 - 1995年
名古屋市を巡行する環状線
接続する
主な道路
記法
Japanese Urban Expwy Sign 0001.svg 1号楠線
Japanese Urban Expwy Sign 0002.svg 2号東山線
Japanese Urban Expwy Sign 0003.svg 3号大高線
Japanese Urban Expwy Sign 0004.svg 4号東海線
Japanese Urban Expwy Sign 0005.svg 5号万場線
Japanese Urban Expwy Sign 0006.svg 6号清須線
テンプレート(ノート 使い方) ウィキプロジェクト 道路

名古屋高速都心環状線(なごやこうそくとしんかんじょうせん)は、愛知県名古屋市の、中区東区昭和区中川区中村区西区環状に回る名古屋高速道路路線である。

概要

放射線同士を接続する役割を担う時計回りの一方通行路線である[2]。また、都心部との流出入の役割も担うことから愛知県庁名古屋市役所等の官公庁街をはじめ金山名古屋駅付近に出入口を設置している。車線は概ね3車線で、一部区間で4車線も存在する[3]。ただし、ジャンクションのカーブ区間では山王JCTを除いて2車線に減少する[4][5]。路線は日本における他の都市高速道路の環状線と異なり[注釈 1]、すべて既存の平面街路の上部に施工されている[1]

英語での表示はC1(Circle 1)である[6]。これは中京圏を取り巻く高速道路ナンバリングの整合性に配慮したものである[7]。当該路線を1番目に数え、その外周の環状高速道路を2番目として名古屋第二環状自動車道(高速道路ナンバリングはC2)と命名[8]、その外周の東海環状自動車道は3番目としてC3が割り振られている[7]

上空から見た場合の路線形状は四角に近く、これは都心環状線が直線と急カーブの両極端の組み合わせであることの反映である[9]。このため、直線感覚のまま急カーブのジャンクションに高速進入して事故に至るケースが多発しているが、これについてはジャンクションカーブ節で後述する。

朝夕は錦橋出口付近の渋滞が慢性化しており、この打開策として新洲崎JCT付近に名古屋駅方面に連絡するための新たな出入口を設置する予定である[10]。この計画は2027年に予定されているリニア中央新幹線の名古屋乗入れによるアクセス向上の一環である[10]。また、渋滞は丸田町JCT明道町JCT付近でも発生しており、理由はジャンクションで都心環状線に合流した直後に別のジャンクションまたは出口で分流があることから、合流した車両と分岐しようとする車両が交差する『織り込み交通』が生じることである(下図)[11]

織り込み交通。合流車両(青)と分流車両(赤)の進路が交差する。

道路法上は、愛知県道高速名古屋朝日線(中村区名駅四丁目 - 清須市朝日)・愛知県道高速名古屋新宝線(中村区名駅四丁目 - 東海市新宝町)・名古屋市道高速2号(北区大我麻町 - 緑区大高町)の各一部と、名古屋市道高速分岐2号(西区那古野二丁目 - 東区二丁目)・名古屋市道高速分岐3号(中川区山王三丁目 - 昭和区御器所一丁目)のそれぞれ全部からなる[12]

路線データ

  • 起点 : 愛知県名古屋市東区泉二丁目
  • 終点 : 愛知県名古屋市東区泉二丁目
  • 距離 : 10.3 km[13]
  • ランプ : 8箇所(入口および出口とも4箇所ずつ)
  • 分岐 : 6箇所
  • 車線 : 3車線 - 4車線[13]
  • 速度規制:直線部・最高速度60km/h、曲線部・最高速度50 km/h[13]

出入口など

  • 施設名欄の背景色がである部分は施設が供用されていない、または完成していないことを示す。未開通区間の名称は仮称。
  • (間)は他の道路を介して接続している間接接続
  • 英略字は以下の項目を示す。
    JCT:ジャンクション
出入口番号 施設名 接続路線名 起点から
km
備考 所在地
↓C1 都心環状線↓
- 東片端JCT Japanese Urban Expwy Sign 0001.svg 楠線 0.0 東区
R01 東新町出口 名古屋市道堀田高岳線(空港線)
(間)Japanese National Route Sign 0019.svg 国道19号桜通
(間)錦通
(間)愛知県道60号名古屋長久手線広小路通
1号楠線との集約出口[14]
R02 東新町入口 名古屋市道堀田高岳線(空港線)
(間)Japanese National Route Sign 0041.svg 国道41号(空港線)
(間)Japanese National Route Sign 0019.svg 国道19号(桜通)
(間)錦通
(間)愛知県道60号名古屋長久手線(広小路通) 
中区
- 丸田町JCT Japanese Urban Expwy Sign 0002.svg 東山線 東名高針方面 1.7
- 鶴舞南JCT Japanese Urban Expwy Sign 0003.svg 大高線 2.9 昭和区
R03 東別院出口 前津通
(間)大須通
中区
R04 東別院入口 名古屋市道山王線(山王通)
(間)大津通
- 山王JCT Japanese Urban Expwy Sign 0004.svg 東海線 5.2 中川区
- 新洲崎出口 (間)名駅通 設置予定[10]
2号東山線との集約出入口[10]
中村区
- 新洲崎入口
- 新洲崎JCT Japanese Urban Expwy Sign 0005.svg 万場線 6.3
R05 錦橋出口 錦通
(間)Japanese National Route Sign 0019.svg 国道19号(伏見通
7.1 出口はUターン可
R06 名駅入口 錦通
(間)愛知県道68号名古屋津島線(名駅通)
- 明道町JCT Japanese Urban Expwy Sign 0006.svg 清須線 8.1 西区
R07 丸の内出口 Japanese National Route Sign 0022.svg 国道22号(伏見通)
(間)Japanese National Route Sign 0019.svg 国道19号(桜通・伏見通)
(間)愛知県道68号名古屋津島線(桜通)
出口はUターン可[15] 中区
R08 丸の内入口 Japanese National Route Sign 0022.svg 国道22号(伏見通)
(間)愛知県道215号田籾名古屋線出来町通
- 東片端JCT Japanese Urban Expwy Sign 0001.svg 楠線 10.3 東区
↓C1 都心環状線↓

歴史

開通前

浅間町交差点から清水口交差点間に建設される筈だった高速分岐1号(破線部)。計画段階で廃止され陽の目を見ることはなかった。また、高速分岐2号は計画途中から半地下式に変更されたが、その後高架式に再変更された。
首都高速中央環状線の上下線分離方式の高架2層構造(画像左)と2号東山線の半地下構造(画像右)。都心環状線の計画段階ではこのタイプが考案された。 首都高速中央環状線の上下線分離方式の高架2層構造(画像左)と2号東山線の半地下構造(画像右)。都心環状線の計画段階ではこのタイプが考案された。
首都高速中央環状線の上下線分離方式の高架2層構造(画像左)と2号東山線の半地下構造(画像右)。都心環状線の計画段階ではこのタイプが考案された。
換気施設が計画された米国領事館跡(現在の愛知県図書館)付近(画像左)[16]と大津橋交差点から久屋交差点にかけての地下鉄名城線との交差部(画像右)[17]。仮に高速道路を地下、半地下式とした場合、換気所の建設と維持費用に加え、久屋大通との交差点付近を盛り土する必要が生じ、工期の長期化に加え工費が跳ね上がるとされた[18]。 換気施設が計画された米国領事館跡(現在の愛知県図書館)付近(画像左)[16]と大津橋交差点から久屋交差点にかけての地下鉄名城線との交差部(画像右)[17]。仮に高速道路を地下、半地下式とした場合、換気所の建設と維持費用に加え、久屋大通との交差点付近を盛り土する必要が生じ、工期の長期化に加え工費が跳ね上がるとされた[18]。
換気施設が計画された米国領事館跡(現在の愛知県図書館)付近(画像左)[16]と大津橋交差点から久屋交差点にかけての地下鉄名城線との交差部(画像右)[17]。仮に高速道路を地下、半地下式とした場合、換気所の建設と維持費用に加え、久屋大通との交差点付近を盛り土する必要が生じ、工期の長期化に加え工費が跳ね上がるとされた[18]

都心環状線は、原初計画案では双方向式の片側3車線(往復6車線)で考案された[19]。その内訳は、高架2層式として、上層と下層で3車線ずつ、合わせて6車線という内容で、明道町JCT - 東片端JCT間(高速分岐2号)と浅間町交差点から清水口交差点との間で計画された高速分岐1号が高架1層の片側一方通行式2車線(高速分岐1号と高速分岐2号を合わせて双方向とした)[20]、鶴舞南JCT - 山王JCT間(高速分岐3号)が高架2層式片側2車線(上下合わせて4車線)とされた[21]

しかしながら、1970年代半ばに高まりを見せていた都市高速建設反対運動のうねりは都心部の環状ルートの在り方まで再検討を迫ることになった[22]。もっとも、名古屋市の道路事情は年々交通渋滞が慢性化し、一刻も早い渋滞解消を望む高速道路建設促進派が多数を占めることで、名古屋市としては反対派と促進派の陳情を天秤にかけることになった[23]。その結果、建設は続行とするが、地域住民に配慮して環境保全に万全を期する意図から可能な限り地下、半地下方式を採用することになった[23]。また、交通量の将来予測を再検討した結果、当初予測の4分の3程度に下回ることが予見されたことに加え[22]、環状部のダブルデッキによるジャンクションが複雑化して建設の難易度が高いことも加味され[24]、これらを検討した結果、環状部の大幅な簡略化を断行することになった。

環状部の構造変更案は2案出され、1つは都心ループの全面廃止(東西路線の2号東山線が南北2路線を連結するのみ)、もう1案が双方向式を止めて右回り一方通行方式として高速分岐1号を廃止する案であった[22]。前者は分岐線が無いぶん工費は安いが、南北路線2本を連結する2号東山線の新洲崎JCT - 丸田町JCT間が最低3層必要で構造が複雑[22]、後者は工費は高いが高架構造やJCTをシンプルにできるうえに日照、排気ガス、テレビ障害等の克服に有利で、公社も当案を腹案として練っていた[25][22]。結果的に後者が採用され、時計回りの3車線一方通行方式として、高速分岐2号とそれに接続する高速1号と高速3号の一部が地下構造に変更された。併せて構造変更に伴う建設費増大を抑制するために4号東海線と6号清須線は整備計画から除外され[26]、これらは1976年11月に都市計画決定された[27][注釈 2]

高架式に比べ半地下、地下(トンネル)方式は工事費が2倍以上になることは変更時点で既に判明していたことであるが[28]、1982年にもなっていよいよ採算性が悪化することで将来の償還計画に影響することが認識され、地下鉄や河川を跨ぐことで工事の難易度が増し工期も長期化することが問題となった[注釈 3]。特に外堀通は地表近くを市営地下鉄名城線が横断することから、この直上を半地下式で構築すれば付近の平面道路を300mに渡って約2mのかさ上げを要することで工期が長引くことが問題視された[18]。そして、この半地下区間を挟む明道町と東片端の区間はトンネル式(地下構造)であることから[16]排気ガスを外へ出すための換気所が必要となる。これは景雲橋と東片端の2か所に計画されたが[29]、これによるさらなる事業費の増大が懸念された[30][31]

公社は利用者が支払う通行料金で建設に係る借金を返済する償還方式を採用することから[32]、利用台数が伸びなければ料金収入が減り、借金返済が厳しさを増すうえに、営業収支の赤字を賄うための新たな借金を背負う悪循環に陥る[注釈 4]。さらに通行料金を値上げすれば利用台数が減少することから大幅な値上げは出来ない。よって、通行台数を上げるには建設が滞っている路線を一刻も早く開通させ、路線ネットワークを拡大することが急務となるが、この半地下、地下方式では工期の長期化と工事の停滞が相まってネットワーク構築の大きな障害となっていた[33]

また、年数を重ねるごとに建設費用が高騰することと[34][注釈 5]路線ネットワークが未構築のために通行台数が予定を下回ることは、建設工事に要する支出ばかりが増長して通行料金収入が伸び悩むことを意味し、結果、増大する借金のみならず利息さえ払うに難儀する状況にも置かれた[35]。なお、この当時(1984年度)の公社の財務状況は通行料金収入36億円に対し、借金の返済は48億円で、日換算で600万円の赤字経営となっていた[35]。このため、公社は環状部とそれに連結する道路を高架式に戻すことを名古屋市に持ち掛け[36][37]、これを基に協議した結果、高架式に戻すことを決定、1987年8月に都市計画変更された[38]。 これ以後、障害のなくなった都心環状線と1号楠線は全線開業に向けて工事のスピードを速め、1995年9月に全線の供用に漕ぎ着けた。

開通後

全線開通後(1995年)の路線番号は「R」であった。

都心環状線は5段階に分けた部分開通によって路線を延伸のうえ全線開通を見ている。第1期は東新町入口 - 鶴舞南JCT - 東別院出口、第2期は新洲崎JCT - 名駅出口(現・錦橋出口)、第3期は東別院出口 - 新洲崎JCT、第4期は名駅出口 - 丸の内出口、第5期が丸の内出口 - 東新町入口間開通による全線開通である[39]。なお、全線開通を機に路線名を「都心環状線」と制定し[40]、路線番号を「R」(Ringの頭文字)とした[41]

都心環状線の延伸はそのまま通行台数の向上となって現れ、放射道路が都心で繋がることの重要性が如実に示されることになった[42]。放射道路の単体で開通した3号大高線の通行台数が長らく伸び悩んでいたものが[43][44]、都心環状線の一部分にせよ接続したことでその利便性から利用台数が上昇に転じ[45]、東名阪自動車道と接続する5号万場線が3号大高線と都心小ループで接続されるとさらに上昇した[46]。公社の経営も赤字から黒字に転換し[47]、1995年の都心環状線全線開業では1号楠線とも接続されたことで2万8千台増の15万4千台まで増加している[48]

なお、新洲崎JCTは将来のリニア開通を見据えて、名古屋駅付近へ乗入れるための出入口の増設が決定している[10]

2017年12月には高速道路ナンバリングとの整合性に配慮して、都心環状線の路線番号を「R」から「C1」に変更すると発表[6]、準備完了後に順次変更した。

年表

  • 1970年昭和45年)9月25日 : 最初の都市計画が認可[49]。この時点で都心環状線は分岐3路線を持った双方向通行式とされた[50]
  • 1974年(昭和49年)9月12日 : 名古屋市議会建設環境部会で本山市長は名古屋高速のうち可能な範囲で半地下、地下方式を採用することを表明[23]
  • 1975年(昭和50年)5月27日 : 名古屋市は市議会建設環境部会に名古屋都市高速道路素案を提出。この中で都心環状ルートについて3車線一方通行方式とすることを提示[26]
  • 1976年(昭和51年)
    • 6月1日 : 市議会建設環境部会が都市計画変更原案(3車線一方通行方式の採用、半地下、地下式の採用等)を了承[51]
    • 11月29日 : 都市計画変更。都心環状線を双方向通行式から1方向通行方式に改め、これに伴い高速分岐1号を廃止。高速分岐2号は高架式を半地下式に変更し[52]、高速分岐3号は高架2層式を1層式に変更[27]
  • 1977年(昭和52年)5月25日 : 高速3号は都心環状ルートの明道町JCT - 山王JCT間を除いて整備計画から除外[53]
  • 1982年(昭和57年)7月6日 : 愛知県議会公社事業対策委員会で公社理事長は経営的な問題から整備計画の見直し(半地下、地下構造を再度高架構造化)を検討していることを証言[54]
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月5日 : 市議会本会議で本山市長が高架再変更を答弁[55]
    • 5月7日 : 東新町入口 - 東別院出口間の供用を開始し、鶴舞南JCTで3号大高線に接続[3]
    • 10月15日 : 公社は高架式への見直し案を出資者の名古屋市長と愛知県知事に提出[56]
  • 1986年(昭和61年)
    • 2月15日 : 市議会建設環境部会で西尾市長は都心環状ルートを含む半地下、地下ルートを高架式に戻すことを正式表明[57]
    • 5月15日 : 市議会建設環境部会で高架式に戻す名古屋市原案を了承、高架化論議は事実上決着[58]
  • 1987年(昭和62年)
    • 8月10日 : 都市計画変更。高速2号と高速3号の一部と高速分岐2号を半地下式から高架式に再変更[38]
    • 8月31日 : 新洲崎JCT - 名駅出口(現在の錦橋出口)間の供用を開始し、新洲崎JCTで5号万場線に接続[59]
  • 1988年(昭和63年)4月26日 : 東別院出口 - 新洲崎JCT間の供用を開始[60]。また2号東山線が吹上まで延伸され丸田町JCTで接続。併せて当JCTと吹上暫定連絡路経由の都心小ループが完成[61]
  • 1989年平成元年)6月16日 : 東別院入口を開設[62]
  • 1993年(平成5年)8月25日 : 東片端付近の用地買収の遅延から都心ループの完成が1994年度から1年遅れることを報道発表[63]
  • 1994年(平成6年)9月12日 : 名駅出口 - 丸の内出口間の供用を開始[64]。ただし、この時点では丸の内出口が終点のため利用距離が短いことから名駅入口の供用は見送られた[60]
  • 1995年(平成7年)9月19日 : 丸の内出口 - 東新町入口間の供用を開始し(名駅入口と東新町出口も供用開始[39]、名駅出口は錦橋出口に改称[65])、全線の供用を開始[39]。これに合わせて環状部の名称を「都心環状線」とした[40][注釈 6]。東片端JCTで1号楠線に接続する[66]。これを機に吹上暫定連絡路を廃止(19日午後3時をもって閉鎖[67])。これを機に通行料金の値上げが実施されたが、20日午前0時からの実施とされた[67]
  • 1999年(平成11年)11月11日 : 丸の内入口を開設[68]
  • 2007年(平成19年)8月6日 : 山王カーブ(山王JCT)の拡幅が完成[69]
  • 2007年(平成19年)12月9日 : 明道町JCTで6号清須線に接続[69]
  • 交通量

    24時間交通量(台) 道路交通センサス

    区間 平成17(2005)年度 平成22(2010)年度 平成27(2015)年度
    東片端JCT - 東新町出口 60,722 58,185 63,443
    東新町出口 - 東新町入口 60,722 58,185 63,443
    東新町入口 - 丸田町JCT 60,722 58,185 63,443
    丸田町JCT - 鶴舞南JCT 60,722 58,185 63,443
    鶴舞南JCT - 東別院出口 58,131 57,303 59,717
    東別院出口 - 東別院入口 58,131 57,303 59,717
    東別院入口 - 山王JCT 58,131 57,303 59,717
    山王JCT - 新洲崎JCT 53,464 55,162 60,819
    新洲崎JCT - 錦橋出口 53,464 55,162 60,819
    錦橋出口 - 名駅入口 53,464 55,162 60,819
    名駅入口 - 明道町JCT 53,464 55,162 60,819
    明道町JCT - 丸の内出口 46,184 45,185 51,569
    丸の内出口 - 丸の内入口 46,184 45,185 51,569
    丸の内入口 - 東片端JCT 46,184 45,185 51,569

    (出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)

    道路施設

    環境対策・都市景観への配慮

    高速2号(画像左)と高速分岐2号(画像右)。同じ都心環状線を構成するも都市景観の配慮から外観が大きく異なる。画像左の橋脚はスペースデザイナーの提案によってグレーに塗装されている。画像右側の高速分岐2号は都市景観の配慮からオフホワイトで統一された。 高速2号(画像左)と高速分岐2号(画像右)。同じ都心環状線を構成するも都市景観の配慮から外観が大きく異なる。画像左の橋脚はスペースデザイナーの提案によってグレーに塗装されている。画像右側の高速分岐2号は都市景観の配慮からオフホワイトで統一された。
    高速2号(画像左)と高速分岐2号(画像右)。同じ都心環状線を構成するも都市景観の配慮から外観が大きく異なる。画像左の橋脚はスペースデザイナーの提案によってグレーに塗装されている。画像右側の高速分岐2号は都市景観の配慮からオフホワイトで統一された。

    外堀通直上を通過する高速分岐2号(明道町JCT - 東片端JCT間)は半地下式で計画されたものを高架式に再変更したことで、名古屋城外堀の景観との融合が課題となった。これについては名古屋市の専門委員のほか、建築家の黒川紀章のアドバイスを取り入れながらデザインを決定した[71]。このため、都心環状線においてこの区間のみ外観が異なり、色彩はオフホワイトで統一され、張出し桁部は化粧板で覆い[注釈 7]、柱も威圧感低減の意図から大きく面取りされた八角形の1本柱を特徴とする[72][73][74]。そして橋脚は梁を省略して橋桁と剛結した[72]。また、後述のパイプ照明とは別に名古屋城外堀区間以外では従来仕様の柱式道路照明を用いたが、一般的なポールタイプでは都市景観に向かないことから四角柱によるシンプルな照明とした[75]。中央分離帯については周辺環境との調和を図るために円形に盛り土して、そこに地被植物(フッキソウ)を植樹した[76]

    東新町入口 - 高辻出入口間における建設では、地域住民の理解を得るために都市景観に配慮したデザインを行った。特に高架が与える無機質な印象を払拭するためにルーバーを設置のうえ、沿道にはカラータイルを貼るなどして対応した[77]。また、住民側は、高架による地域分断イメージの払拭、商店街はシンボルタワーを制作するための空間の確保のため、橋脚の高さを13 mから18 mに上げるよう要望した。だが、現実問題として、全線18 mに変更するには再度の都市計画変更を要し[78]、ジャンクションにおける合流ランプの構成上の問題[79]、および原則的に立体構造によって鉄道や道路を超える場合など公共的な理由によらず必要以上の高さで建設することはできないとされた[78]。しかしながら、微量の変更ならば公社の裁量で決定できることから、都市計画変更の必要がない15 mという条件で変更することになった[78]。これは着工済みであったにも係わらず実施された[78]

    道路高欄上に取り付ける遮音壁は、大高線では吸音タイプを全面に取り付けたが、日照遮断の問題があることから、透光性の遮音壁を試験的に取り付けることになった。素材はポリカーボネートで、透過率85%の縦じま入とされた。完全透明は、ヘッドライトや太陽光によるドライバーへの影響および、住民のプライバシー保護を理由として不採用とした[80]。取り付け区間は、鶴舞南JCT - 東別院出口間(高速分岐3号)1.1kmの北側である[81][80]。防音壁は住民要望によって東新町入口においても取り付けを行った[82]。透光性パネルは、これ以後に建設された路線では改良を加えて採用している[83]

    名古屋高速として最初に開通した3号大高線は、当初コンクリート製の橋脚が無塗装であった。これが沿線住民には大変不評で、公社に対し修景するように要望した[84]。公社はこれに応じ、幾つかの色を挙げて社内投票した結果、薄緑と決定した。公社のシンボルカラーの緑であることと、名古屋が目指すところの「グリーン名古屋」のイメージに合うことが理由であった[84]。なお、住民側は、淡い青を期待していた。ところが、スペースデザイナーに意見を聞いたところ、薄緑では力が強すぎ、周りの環境の自由を奪う、人によっては抵抗が強い色として反対を表明し、たまたま鋼製橋脚のさび止めに塗っているグレーに目を止めて、環境に溶け込み、周囲を引き立たせる色、材質を表す色としてグレーを推薦した。別のデザイナーにも意見を募ったところ、全く同じ主張であった。住民はコンクリートと代り映えしないと不平を漏らしたが、専門家の意見ということもあって最終的に納得した[84]。塗装対象区間は1985年5月に開通する都心環状線と大高線の円上 - 鶴舞南JCT間とされた[84]。このカラーはその後、他線区にも波及している。

    ヒメボタル生息区域への配慮

    外堀通の上部を通る高速分岐2号は、名古屋城外堀跡に生息するヒメボタルの生態系保護のため、ヒメボタル生息区域を照射しない照明を要された[注釈 8]。しかしながら、道路照明基準に適合する照度を確保する必要もあって、この2点を両立出来る照明方式が模索された。

    名古屋高速は原則的にポール照明が採用されているが[85]、景観上の配慮が求められる場合や、外部に光が漏れる光害の恐れがある場合は、別の照明方式が検討される。特に名古屋城外堀区間では、上述の生態系への配慮と共に、外堀の景観とマッチする照明方式が検討された。こうしたことから、道路両脇の高欄に直接照明を載せ、道路に対して長手方向に配列する方式が考案された[86]。この方式では、ポール式と比べて照明高さが極端に低いことから通常の道路照明が使えないなど、照明器具の種類が限定されることになる。さらに、高所から強い光源で照射する場合に比べて、高欄上に載る程度の照明では光源も弱く、光の届く範囲が狭いことから、必然的に照明装置の数が増加する問題もあった[87]

    これらの高欄式照明の弱点を補うべく、プリズムフィルムを使用して光を乱反射のうえ均等発光できるパイプ照明器具を採用することになった[87]。また、蛍光管に比べて長さが12 mあるため照明装置数を抑制できることや、間隔を開けずに連続設置することで夜間における視線誘導性が良いことも理由の一つである[87]。採用区間は元町橋 - 大津橋間の500 mである[87][88]。ただし、高欄上に直接据え付けるとグレアの影響が懸念されたことから、その対策として高欄上の防音壁上端(路面から2.3 m高さ)に設置した[86]。発光開口部は90°で、全て路面側を向いているが、残る270°を被覆したのは、外堀に光を漏らさないためである[86]

    なお、パイプ照明は黒川出入口のループ区間でも採用され、ポール照明の乱立による景観問題を解消している[89]

    都心小ループ

    1988年4月26日の都心小ループ完成時の路線図[61]。紺色線が都心環状線で破線は未開通線。(路線番号は解りやすさから現在の基準で表示)

    環状ルートが全線開業していなかった時代、環状線が時計回りの一方通行方式である制約から5号万場線から3号大高線へ直通することは不可能であった。そこで、吹上まで延伸した2号東山線を吹上にてUターンさせたうえで丸田町JCT経由で3号大高線に直通させることとして、吹上暫定連絡路が開設された。これが都心部における最初の環状形態であり、都心小ループと称された[61]。その後、吹上暫定連絡路は環状ルート全通により廃止された[90]

    ジャンクションカーブ

    都心環状線は既設の直線状の大通りに建設されたこともあって直線区間が多勢となっている。このことは用地の制約から既設の道路上しか建設できない都市高速道路特有の問題をも浮き彫りにしている。つまり、高速道路の向きを変える場合に十字に交わる既設の道路上をカーブすることから、勢いカーブ半径も小さくなり、半径90 mの急カーブとならざるを得ないことである[9]。1985年に東新町入口 - 東別院出口が都心環状線として初めて開通して以降、3号大高線と高速分岐3号を繋ぐ鶴舞南JCTでスピード超過によりカーブを曲がり切れずに側壁に激突する利用者が続出したことから[9]、公社としては路面の表示変更やカーブ部分の点滅灯を黄色から赤色にするなど様々な対策を取ってきた[91]。現状では都心環状線に存在する6つのジャンクション全てに急カーブが存在し、この区間の最高速度は50 km/hに規制されている[92]。なお、その後も同様の事故が頻発し、材木および金属を積載したトラックが激突のうえ材料落下によって民家に甚大な被害を与えて以降は[93]カーブ箇所に落下防止用フェンスが設置され、ジャンクションカーブに特有の印象を付与している[94]

    都心環状線直線区間の基本3車線に対して、ジャンクションカーブ区間は2車線に減少する。このことから、かつて山王JCTでは渋滞が多発し、それを先頭として3号大高線全線に渡って渋滞が発生していた。この対策として、4号東海線が接続する直前に都市計画変更のうえ、当該ジャンクションを3車線に拡幅、併せてカーブ最小半径も拡大された[4][5]

    地理

    3号大高線の都心環状線利用案内標識。都心環状線が一方通行方式のため3号大高線→1号楠線へは直進不可。
    新洲崎JCT。右奥から左手前の道路が都心環状線、左右に横切る道路のうちの左が2号東山線、右が5号万場線。都心環状線と5号万場線のみ連絡できる構造で、都心環状線と2号東山線は渡り線がないために連絡できない。

    通過する自治体