イギリス帝国
British Empire
イングランド王国
スコットランド王国
アイルランド王国
始期諸説あり - 終期諸説あり
イギリス帝国の国旗
(国旗)
国歌: 女王陛下万歳
イギリス帝国の位置
イギリス帝国統治下の経験を有する国・地域。現在のイギリスの海外領土は赤い下線が引いてある。
公用語 英語
首都 ロンドン
国王
1609年 - 1707年 イングランド王スコットランド王並びにアイルランド王
1707年 - 1800年グレートブリテン連合王国王アイルランド王
1800年 - 1857年グレートブリテン及びアイルランド連合王国王
1857年 - 1927年グレートブリテン及びアイルランド連合王国王インド皇帝
1927年 - 1947年グレートブリテン及び北アイルランド連合王国王インド皇帝
変遷
ジョージタウン建設 1609年
アメリカ合衆国独立承認1781年
インド帝国成立1857年
ウェストミンスター憲章1931年
インド独立1947年
通貨イギリス・ポンド
先代次代
イングランド王国 イングランド王国
スコットランド王国 スコットランド王国
アイルランド王国 アイルランド王国
イギリス連邦 イギリス連邦
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
アイルランド共和国 アイルランド共和国
アメリカ合衆国 アメリカ合衆国
カナダ カナダ
オーストラリア オーストラリア
ニュージーランド ニュージーランド
ニューファンドランド自治領 ニューファンドランド自治領
南アフリカ連邦 南アフリカ連邦
1909年当時のイギリス勢力範囲

イギリス帝国(イギリスていこく、英語: British Empire)は、イギリスとその植民地海外領土などの総称である。大英帝国(だいえいていこく)ともいう。

帝国は時代ごとの性質により、以下のように区分される。

  1. アイルランド北アメリカ大陸に入植し、北米植民地およびカリブ海植民地との貿易を中心にした時代
  2. アメリカ独立からアジアアフリカに転じて最盛期を築いた19世紀半ばまでの自由貿易時代
  3. 自由貿易を維持しつつもドイツ帝国など後発工業国の追い上げを受け植民地拡大を行った帝国主義時代
  4. 20世紀に入って各植民地が独自の外交権限を得たウェストミンスター憲章以後の時代

一般に大英帝国とよばれるのは、特に3と4の時代である。1と2を「第1帝国」、3と4を「第2帝国」と呼び、後者の繁栄を象徴するものとしてはイースタン・テレグラフ・カンパニー(大東電信会社)の海底ケーブルが挙げられる。

1898年当時ハリファックスからネルソン (ニュージーランド) まで世界横断したC&Wのケーブルは、鉱産資源が産出するバルパライソ-ブエノスアイレス-モンテビデオ間、ケープタウン-ダーバン間、ムンバイ-チェンナイ間、ダーウィン (ノーザンテリトリー)-アデレード-シドニー間の4区間だけ陸上を通った[1]。これらの鉱産資源は大英帝国の手中にあり、今日も英米系大企業が利権を維持している。

大英帝国は、その全盛期には全世界の陸地と人口の4分の1を版図に収めた史上最大の面積を誇った帝国である[2]。唯一の超大国と呼べる地位にあり、第一次世界大戦終結から第二次世界大戦までの間は、アメリカ合衆国とともに超大国であった。第二次世界大戦後、イギリスは超大国の地位からは離れ、各植民地が独立させることでイギリス連邦を発足させた。

イギリス帝国の終期は諸説あるが、早いものでは第一次世界大戦後のアメリカ合衆国の台頭や、ウェストミンスター憲章制定を以て終わりとする説。遅いもので第二次世界大戦後の1947年に、最大の植民地であるイギリス領インド帝国インドパキスタンとして独立し、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのアングロサクソン移民地域も主権国家として独立した時期とする説などがある。

イギリス最後の植民地は香港で、1997年香港返還によりイギリスは全ての植民地を手放した[3]

概要

"empire"あるいは"imperial"という言葉はさらに古くから使われてきたが、一般にイギリス帝国という場合、始まりは16世紀あるいは17世紀とされる。その正否は問わないことにしても、国外への拡張という事実のみに着目すると、1585年ロアノーク島への植民が、また、実際に成功し後世への連続性をもつという点からすると、1607年ジェームズタウン建設が、それぞれイギリス帝国の開始点となる。いずれにせよイギリス帝国が帝国としての実体を備えるには北米植民地とカリブ海植民地の設立が一段落する17世紀半ばを待たねばならず、イギリス帝国が「イングランドの帝国」でなくなるには1707年合同を待たねばならない。

17世紀から18世紀にかけての帝国はイギリス第1帝国あるいは旧帝国とも呼ばれ、19世紀以降の帝国、特に19世紀中葉以降に完成するイギリス第2帝国と比べると、アメリカおよびカリブ海植民地中心、重商主義政策による保護貿易、およびプロテスタンティズムによる紐帯の3点を特徴としている。航海法や特許会社の独占など重商主義的政策による保護貿易は、脆弱であったイギリス経済と植民地経済を保護すると同時に結びつける役割を果たした。また、名誉革命以降のイギリスは国内外のカトリック勢力を潜在敵と見なしており、当時の帝国はフランススペインといったカトリックの大国を仮想敵とした「プロテスタントの帝国」と考えられていた。

その後、アメリカ独立戦争の後イギリス帝国はインドへと重心を移し始める。1760年代より進行した産業革命により、イギリス経済は次第に保護を必要としなくなり、自由貿易へと方向転換していった。19世紀前半のイギリス帝国は自由貿易さえ保証されれば、植民地獲得を必ずしも必要とはせず、経済的従属下に置くものの必ずしも政治的支配をおこなわない非公式帝国を拡大していった。この時期のイギリス帝国の方針は自由貿易帝国主義と呼ばれる。

19世紀半ばになるとドイツ、アメリカといった後発工業国の経済的追い上げを受け、またフランスやドイツの勢力伸張もあり、イギリスは再度、植民地獲得を伴う公式帝国の拡大を本格化した。インド帝国の成立を以て完成する新帝国はイギリス第二帝国とも呼ばれる。帝国主義の時代とも言われるこの時期ではあるが、イギリスは自由貿易の方針を堅持していた。ドイツなどの保護関税政策に対し、イギリスにも同様の政策が求められなかった訳ではない。19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリス帝国内での特恵的関税の導入を求める運動がイギリス産業界から起こされ、1887年に始まる植民地代表を集めた帝国会議でも度々議題にあがったが、結局、この種の保護政策は第二次世界大戦前のブロック経済の時期まで導入されることはなかった。

第一次世界大戦はイギリス帝国再々編の転機となった。大戦前より、各植民地、特に白人自治植民地の経済力は向上し、発言権も増していたが、大戦中の総力戦体制は植民地からの一層の協力を必要とするとともに、その影響力をより大きなものとした。1926年帝国会議では自治植民地に本国と対等の地位が認められ、1931年ウェストミンスター憲章に盛り込まれた。これ以降、イギリス帝国は「イギリス連邦」の名で呼ばれることが多くなるが、「帝国会議」の名称はそのままであった。その後、この名称は第二次世界大戦後まで続き、1947年に「イギリス連邦会議」へと変更される。またインド独立を期に、イギリス連邦加盟国家に「王冠への忠誠」が要求されなくなるなど、イギリス帝国は植民地を放棄し、名実ともにイギリス連邦へと姿を変えることとなった。

名称

フランス植民地帝国などの講学上の呼称ないし俗称と異なり、British Empireは英国の本土のみを指すUnited Kingdomに対して、本国と植民地を含めた全領域を指す語としてイギリス政府により公式に用いられた。

日本では永らく「大英帝国」の訳語が使われてきたが、現在、歴史学で多く用いられるのは「イギリス帝国」という表現である。ほかにも、もとイングランドポルトガル語形に由来する「イギリス」という曖昧かつ「正しくない」とされ得る表現でウェールズスコットランドアイルランドも包含した連合王国(および植民地)を指すことを避け、より原語に忠実な「ブリテン帝国」も使われ始めている。また単に「帝国」とも呼ばれる場合もある。「大英帝国」という語も書籍の標題などでは従来と変わらずに使われるが、本文中では基本的に常に鉤括弧を付けて「大英帝国」と表記される[4]

学問以外の領域では標題に限らず、特にイギリス帝国全盛期以降を指して「大英帝国」が一般的に使われている。また「大英帝国」から派生して"British"の訳として「大英」の語がしばしば用いられている。最も有名な例では"the British Museum"に対応する「大英博物館」、および同博物館図書室が独立し成立した"the British Library"を指す「大英図書館」が挙げられる。一方で"the British Council"は「ブリティッシュ・カウンシル」と呼ばれ、"British Commonwealth"は学問・非学問領域を問わず「イギリス連邦」「英連邦」と呼ばれており、"British"に対応する訳語は必ずしも固定されていない。

"British Empire"の訳語として「大英帝国」が使われ始めた細かい経緯ははっきりしていない。大まかな経緯としては、Great Britain(大ブリテン)を「大英」と訳したものであると考えられるが、Great Britainはもともとは島(グレートブリテン島)の名前であり、このGreatは別名小ブリテンのブルターニュフランス)と区別してのことである。これが転じて大英帝国と呼ばれるようになったのは歴史意識が背景にあるとの指摘[4]があり、これによれば"Great Britain"と"British Empire"が結合した背景には文明開化期から日英同盟締結時にかけての、西洋、特にイギリスを文明の中心と考える見方があるという。またそれに加え、「大英帝国」と「大日本帝国」という日英同盟を仲立ちとして対比される構図も「大英帝国」という語が定着した背景として無視できない[5]

中国語圏においても大英帝国と呼ばれている。[6]

歴史