この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(ハングル)が含まれています詳細
大韓民国
대한민국
韓国の国旗 大韓民国の国章
国旗 国章
国の標語:홍익인간
(和訳例 : 弘益人間)(建国理念、デ・ファクト
国歌애국가 (愛國歌)(朝鮮語)
愛国歌
韓国の位置
公用語 韓国語韓国手話言語
首都 ソウル特別市
最大の都市 ソウル
政府
大統領 文在寅(ムンジェイン)
国務総理 李洛淵
国会議長文喜相
大法院長金命洙
面積
総計 100,339km2109位
水面積率 0.3%
人口
総計(2015年 51,069,375[1]人(25位
人口密度 503(12位)人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2015年 1,449兆4,940億大韓民国ウォン
GDP (MER)
合計(2015年 1兆7,898億ドル(11位
GDP (PPP)
合計(2018年2兆1,272億[2]ドル(12位
1人あたり 41,173[2]ドル
独立
大韓民国臨時政府樹立記念日
(現行大韓民国憲法及び政府はその継承性を主張)
1919年4月11日
アメリカ軍政庁設置1945年9月8日
独立準備選挙実施1948年5月10日
大韓民国樹立宣言
アメリカ軍政の終了)
1948年8月15日
通貨 大韓民国ウォン (KRW)
時間帯 UTC +9 (韓国標準時)(DST:なし)
ISO 3166-1 KR / KOR
ccTLD .kr
国際電話番号 82
大韓民国
各種表記
ハングル 대한민국
漢字 大韓民國
発音 テハンミングク
日本語読み: だいかんみんこく
ローマ字 Daehan Minguk
英語表記: Republic of Korea
テンプレートを表示

大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語: 대한민국漢字: 大韓民國)、通称韓国(かんこく)は、朝鮮半島(韓半島)南部を実効支配する東アジア共和制国家であり、戦後の冷戦で誕生した分断国家

憲法上は鴨緑江豆満江以南の「朝鮮半島及び付属島嶼」全域を領土とするが、現在、北緯38度付近の軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治下にあり施政権は及んでいない。朝鮮戦争で争った北朝鮮とは1953年休戦したが、その後も断続的に軍事的対立や小規模な衝突が発生している。

政治面は1980年代半ばまで独裁体制が取られていたが、1987年の民主化宣言によって成立し、現在まで続いている第六共和国憲法に基づく体制は民主主義政体と評価される[3]

経済面は1960年代前半まで世界最貧国グループにあったため[4][5][6]、独自に資金や技術を調達できなかった[7]。しかし、ベトナム戦争参戦で獲得したドル資金と、日本からの1960年代半ばから1990年までの約25年に渡る円借款およびその後も続いた技術指導や技術援助により、社会インフラを構築し輸出産業が育ち経済発展を遂げた[7][8]。これは漢江の奇跡と呼ばれ、国内総生産(GDP)で世界11位(2015年時点)となっている[9]。 現在では韓国全体のGDPで東京を多少下回る程度にまで成長した。

隣国ではあるが、歴史的経緯や政治教育などの誘導により韓国民における反日感情は著しく高く、世界的に見てもその傾向はトップクラスであるものの[10][11][12]日本・韓国相互に、貿易総額で第3位(2016年)の貿易相手国であったり、部品素材生産機器を日本からの輸入に依存する構造の為、経済的結び付きも高い[13]

国土面積は日本の約26%で(北朝鮮を除く)[14]、山地が多く平野部は少ない。森林と農地で国土の約81%を占める[15]ソウル首都圏には全人口5千万人の約半数が居住し、世界の都市圏人口の順位は第5位である[16]。海上では南と東に日本、西に中華人民共和国と各々国境を接する。

国名

太極旗
大韓民国
人口 - 経済
教育 - 交通
言語 - 軍事
政治
文化
遺跡 - 映画
芸術 - 文学
演劇 - 舞踊
宗教 - 民俗
地理
温泉 - 国立公園
歴史
先史時代
古朝鮮 - 檀君朝鮮
箕子朝鮮 - 衛氏朝鮮
三韓時代 - 三国時代
統一新羅
後三国時代
高麗
李氏朝鮮 - 大韓帝国
日本統治時代
連合軍軍政期
大韓民国
カテゴリ
政治 - 法律 - 経済
教育 - 軍事 - 交通
組織 - 文化 - 歴史

正式名称

正式名称は、ハングル表記: 대한민국漢字表記: 大韓民國。読みは、テハンミングKo-Daehan_Minguk.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]。略称は、한국韓國、ハング)である。

」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓辰韓弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名で、1897年に当時の朝鮮国(朝鮮王朝)がから独立するにあたって使用した国号大韓帝国」に由来している。(朝鮮国が国号を「大韓帝国」とした経緯については大韓帝国#国名を参照のこと)1910年日韓併合後、朝鮮の地域呼称は「韓」から「朝鮮」へ戻されたが、1919年朝鮮独立運動の活動家達が中華民国で「朝鮮の亡命政権」(大韓民国臨時政府)を樹立する際、共和制国家の名称として「大韓」と「民国」を採用した(名称採用の経緯については大韓民国臨時政府#名称の由来参照のこと)。

現在の「大韓民国」という国号は、李承晩金九などの「大韓民国臨時政府」を正当な独立運動の主体と考える大韓独立促成国民会(独促国民会)の強い意向により決まった。

1945年日本の降伏時点で、連合国は大韓民国臨時政府の政府承認を否定し、朝鮮全土を連合国軍の占領下に置いた。その後、1948年米軍統治下の朝鮮のみで独立することが決まると、米軍は憲法制定(制憲)国会を招集して独立準備に当たらせた。その際、憲法起草委員会が新国家の憲法起草と共に新国家の国号と年号も決めることになり、国号候補として「大韓民国」、「高麗共和国」、「朝鮮共和国」、「韓国」の4つが挙げられた。最終的には、1948年6月23日に採決が行われ、独促国民会が推す「大韓民国」が新国家の国号に決定した[17]。なお、委員会が国号を決定しかねていたある日、臨時政府側の池青天(チ・チョンチョン)将軍(光復軍司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、「国号は『大韓民国』、年号は『檀紀』に即決せよ、さもないと割腹自殺する。」と頑張るハプニングがあったという[18]

日本における呼称

日本語表記は、大韓民国。略称は、韓国。ただし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府を「朝鮮の合法な政府」として支持する者(朝鮮総連等)の間では、南朝鮮(みなみちょうせん)という呼称が使用される[19]

また、北韓(北朝鮮)との対比で南韓と呼ばれる場合もある。大韓民国の建国からしばらくの日本では、韓国の他に、南朝鮮・南鮮などの呼称も一般的であった。だが、1965年日韓基本条約締結で国交が樹立されてからは、大韓民国(韓国)の呼称も使用されるようになるが、メディア等では「南朝鮮・大韓民国」と二つ並べて呼称されることが多かった[20]。80年代中ごろ以降、南朝鮮・南鮮の呼称は公式の場面でほとんど用いられなくなっている[21]。日本語での伝統的な異称としては高麗(こま、「狛」とも表記)があり、「こまひと(高麗人)」といえば朝鮮半島の人々の異称であった[22]

ヨーロッパ諸語における呼称

ヨーロッパ諸語でのコリア (Korea) はマルコ・ポーロの『東方見聞録』における「高麗(고려 [koɾjʌ]、コリョ)」に由来する。大韓民国のヨーロッパ諸語の呼称はRepublic of Korea英語)を公式に使用している。また、北朝鮮をNorth Korea、韓国をSouth Koreaと略称することも多い。

朝鮮民主主義人民共和国と韓国における「朝鮮」の呼称

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府は、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いており、かつ韓国を主権国家として正式に承認していない。南北朝鮮は、東西ドイツのように条約東西ドイツ基本条約)に基づいて相互を国家承認していない。1991年南北基本合意書に「相手方の体制を認定し尊重する」(第1条)との規定はあるが、合意書が批准を経たものでないため、法的拘束力を持っていない。このため、北朝鮮(朝国)の人々は、韓国政府が実効支配している地域を南朝鮮(みなみちょうせん、남조선〈ナムジョソン〉)と呼んでいる。韓国政府をアメリカ合衆国の傀儡政権と見なして、「南朝鮮かいらい」と表記することもしばしばである。

韓国(南朝鮮)の人々も、大韓民国建国まで、韓国政府の実効支配区域(38度線以南の朝鮮)に居住する朝鮮民族の間でも、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いていた。しかし、韓国と北朝鮮は、1948年の両者の建国以来、「朝鮮の合法な政府」としての地位を巡って対立しており、1950年には朝鮮戦争によって甚大な被害をこうむっている。このため、韓国の人々は、大韓民国建国以降は、敵対する北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国を「南朝鮮」と呼称していること、韓国人から歴史的にあまり芳しくないと考えられている日本統治時代李氏朝鮮を想起させること[23]などの歴史的・政治的事情により、「朝鮮」という表現を避ける傾向が強い。

これらの事情のため、韓国人が「朝鮮民族」「朝鮮語」などの言葉を日常で使うことはほとんどなく、「韓民族」「韓国語」という表現が主流となっている。また、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮戦争を「韓国戦争」または「韓国動乱」などと呼称するのが一般的となっている。朝鮮の南北についても「北韓・南韓」と呼んでいる[24]。更に、朝鮮人参も「高麗人参」という[25]

ただし、ごく一部の民族民主 (NL) 系人士が自国のことを「南朝鮮」と呼んでいる他、ホテル名学校名朝鮮日報のような大韓民国成立以前から存在する組織など、極少数の固有名詞では、敢えて歴史的な事実を尊重して、歴史的感覚から「高麗」「新羅」と同様に「朝鮮」を使用している場合もある[26]

歴史

朝鮮歷史
朝鮮の歴史
考古学 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 AD
伝説 檀君朝鮮
史前 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
前18-660
高句麗
前37-668
新羅
前57-
南北国 熊津安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東
都護府
668-756
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治 1910-1945
現代 連合軍軍政期 1945-1948
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

独立に至る経緯

朝鮮1910年韓国併合によって日本の統治下に入り、国際的に併合の合法性を問題視する国も無かった。だが、第二次世界大戦の勃発で日本連合国が敵対するようになると、連合国の首脳は1943年に発表したカイロ宣言の中で大戦後の朝鮮に「自由且独立ノモノタラシムル」事を宣言した[27]1945年2月、ヤルタ協定にて連合国首脳は戦後朝鮮を四国による信託統治下に置くことを決定[28]、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいてソ連軍8月9日対日参戦後速やかに朝鮮半島へ侵攻を開始した。1945年8月15日、日本がポツダム宣言の受託を宣言したことで朝鮮の日本統治からの離脱が決定的となった。韓国ではこれを「光復」と呼び、8月15日を光復節という祝日に定めている(北朝鮮も同日を祝日に定めている[29])。

光復後、朝鮮は北緯38度以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)をアメリカ軍にそれぞれ占領された。米軍司令部は9月7日に朝鮮における軍政(占領統治)実施を宣言し、独立運動家らが自発的に樹立した朝鮮人民共和国大韓民国臨時政府政府承認を否定した[30]9月9日米軍朝鮮総督府から降伏文書の署名を受け[31]、南朝鮮では新設された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が朝鮮総督府の統治機構を一部復活させて直接統治を実施した[32]。連合国は同年12月のモスクワ三国外相会議にて朝鮮半島の信託統治を協定し、翌1946年1月から京城府で信託統治実施に向けた米ソ共同委員会を開催した。だが、共同委員会は信託統治受け入れに反対(反託)する李承晩金九大韓民国臨時政府系の右派の扱いを巡って紛糾し、米ソ対立から1947年7月に決裂した[30]

アメリカは朝鮮問題を国際連合に持ち込み、国連は1947年11月14日に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。翌1948年1月に国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行なった。ソ連がUNTCOKの入北を拒否した為、アメリカ主導の国連は2月26日にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、金九金奎植ら大韓民国臨時政府重鎮や北朝鮮人民委員会による南部単独での総選挙反対を押し切って5月10日南部単独総選挙を実施した。選挙によって成立した制憲議会7月12日制憲憲法を制定、7月20日には李承晩大韓民国大統領に選出[33]して独立国家としての準備を性急に進めた。そして光復から3年後の1948年8月15日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言[34]、同日独立祝賀会が行われ、実効支配地域を北緯38度線以南の朝鮮半島のみとしたまま大韓民国が独立国家となった[35]

南朝鮮単独で大韓民国が建国された翌月の1948年9月9日、大韓民国の実効支配が及ばなかった残余の朝鮮半島北部は金日成首相の下で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として独立した。互いに朝鮮半島全土を領土であると主張する分断国家はそれぞれの朝鮮統一論を掲げ、朝鮮民主主義人民共和国金日成首相は建国翌日の9月10日最高人民会議の演説で「国土完整」を訴え、他方大韓民国(南朝鮮)の李承晩大統領は軍事力の行使をも視野に入れた「北進統一」を唱えた[36]。互いを併呑しようとする両政府は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって、実際に干戈を交える事になる。

朝鮮戦争

1950年6月25日朝鮮人民軍(北朝鮮軍)は韓国との境界であった北緯38度線を越えて南下を開始し、朝鮮戦争(韓国動乱)が勃発した。その頃、弱体である韓国軍は敗退を重ね、洛東江以東の釜山周辺にまで追い詰められた。北朝鮮の侵攻に対して国連安保理は非難決議を上げ、米国を中心とする西側諸国国連軍を結成して韓国軍と共に後退戦を戦っていたが、仁川上陸作戦により北朝鮮軍の戦線を崩壊させ、反攻に転換した。韓国軍・国連軍は敗走する北朝鮮軍を追ってを鴨緑江近辺にまで侵攻した。これに対し中国義勇軍を派遣して北朝鮮の支援を開始、韓国軍・国連軍を南に押し戻し、一時再びソウルを占領した。その後、北緯38度線付近で南北の両軍は膠着状態になり、戦争で疲弊した米国と北朝鮮は1951年7月10日から休戦合意を巡る協議を開始した。2年間に渡る戦協議の末、1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定締結を以って大規模な戦闘は停止した。ただし、韓国政府は休戦協定に署名しておらず、戦争自体も協定上は停戦状態のままとなっている。この戦争により、朝鮮半島のほとんど全域が戦場となり、インフラや文化財の焼失、戦闘での死者のみならず、保導連盟事件済州島四・三事件の例にあるように双方とも敵の協力者と見なした一般市民の大量処刑を行うなど、物的、人的被害が著しく、国土は荒廃した。また、38度線が引かれた事により朝鮮半島が分断が確定的となり、朝鮮統一問題が南北朝鮮の最重要課題となっている。

李承晩時代

1948年に初代大統領に就任した李承晩は、日本から戦争賠償金を獲得するために「対日戦勝国連合国の一員)」としての地位認定するよう国際社会に要求したが、連合国からは最終的に認定を拒否され、1951年日本国との平和条約を締結することができなかった。そのため、李承晩は李承晩ラインの設置(1952年)や竹島の占拠(1953年)によって一方的に武力で日本の主権を奪う政策に出た。一方、国内では朝鮮戦争という危機的状況下でも権力を維持し、戦争中に釜山へ移転していた政府を休戦後に再びソウルへ戻す事が出来た。朝鮮戦争後、李承晩は政敵の排除(進歩党事件等)や反政府運動に対する厳しい弾圧とともに、権威主義的体制を固めていった。しかし、経済政策の失敗で韓国は最貧国の一員に留まっており、権威主義的な施策もあって人気は低迷していった。そのため、不正な憲法改正や選挙など法を捻じ曲げての権力の維持を図ろうとしたものの、1960年4月19日の学生デモを契機として政権は崩壊し(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命した。

朴正煕時代

李承晩失脚後は、張勉内閣の下、政治的自由化が急速に進展したが、学生を中心とした北への合流を目指した南北統一運動が盛り上がりを見せるに至り、危機感を抱いた朴正煕少将を始めとした軍の一部が1961年5月16日クーデターを決行し、国家再建最高会議 が権力を掌握した。第三共和国憲法の承認後、朴正煕は1963年10月に第5代大統領に当選 した。1972年、野党勢力の伸張により政権の合法的延長が難しくなった朴正煕は10月17日非常戒厳令を発し憲法を改正(第四共和国)、大統領の直接選挙を廃止して、自らの永久政権化を目指した。「維新体制」と呼ばれるこの時期には反対派に対する激しい弾圧により、政治的自由が著しく狭まったが、1979年10月26日、側近の中央情報部長により朴正煕は暗殺された。 朴正煕時代は強権政治の下、朝鮮戦争以来低迷していた経済の再建を重視した。しかし、世界最貧国グループに属していた韓国は[5][6]、自前で「資金」や「技術」を調達できず、いずれも、特に米国や日本など海外に依存せざるを得なかった[7][4]。資金面では、米国のベトナム戦争参戦で得た巨額のドル資金や、1965年日韓基本条約締結を契機に日本からの1990年までの約25年に渡る円借款、技術面は、日米の技術者による指導や日米企業との技術提携を通して、技術やノウハウを吸収し、鉄鋼、石油化学などの基礎産業が整備され、造船や自動車産業などの輸出産業も成長した[7][8]。後に「漢江の奇跡」と呼ばれた。これにより韓国は世界最貧国の層を脱した[4]。一方で朴政権は人材登用や産業投資に際し、自身の出身地である慶尚道を優遇し、全羅道に対しては冷遇をしたため、慶尚道と全羅道の地域対立、差別の問題が深刻になった。この問題は今に至るまで解決していない。

全斗煥・盧泰愚時代

朴正煕暗殺により、急速に規制が解かれた韓国の政治はソウルの春と呼ばれる民主化の兆しを見せたが、1979年12月12日より始まった粛軍クーデターにより、全斗煥陸軍少将を始めとした「新軍部」が軍を掌握した。新軍部の権力奪取の動きに対して、反対運動が各地で発生したが、80年5月17日非常戒厳令拡大措置が発令され、政治活動の禁止と野党政治家の一斉逮捕が行われた。5月18日、光州では、戒厳軍と学生のデモ隊の衝突が起こり、これをきっかけに市民が武装蜂起したが、5月27日、全羅南道道庁に立てこもる市民軍は、戒厳軍により武力鎮圧された。(光州事件)。新軍部は朴正煕暗殺後に大統領の職を引き継いでいた崔圭夏8月16日に辞任させ、全斗煥が大統領に就任し、憲法を改正。翌81年2月25日に行われた選挙により全斗煥が大統領に選出された。1987年、大統領の直接選挙を求める6月民主抗争が起こり、与党の盧泰愚大統領候補による6.29民主化宣言を引き出されため、大統領直接選挙を目指した改憲が約束された。しかしながら、12月に行われた大統領選挙では、野党側の有力な候補が、金泳三金大中に分裂したために、全斗煥の後継者である盧泰愚が大統領に当選し、軍出身者の政権が続くこととなった。
全斗煥、盧泰愚の時代は、軍政に反対する民主化運動とそれに対する弾圧の激しい時代であったが、朴正熙時代から引き続いた高度な経済成長と、ソウルオリンピックの成功、中華人民共和国ソビエト連邦1990年9月30日)との国交樹立[37]国際連合への南北同時加盟などにより新興工業経済国として韓国の国際的認知度の上がった時代でもあった。

文民政権登場以後

1990年金泳三率いる統一民主党金鍾泌の率いる新民主共和党とともに盧泰愚政権の与党である民主正義党と合同(「三党合同朝鮮語版」)し、巨大与党である民主自由党が発足した。金泳三は1992年大統領選挙に民主自由党の候補として出馬し当選した。金泳三は久しぶりに軍出身者でない文民の大統領であったが、旧軍事政権と協力したために実現したものだった。しかしながら、金泳三政権時代に、全斗煥、盧泰愚元大統領らに対する軍事政権下の不正追及が開始された。
1997年大統領選挙では、長年に渡って反軍政・民主化運動に関わってきた金大中が大統領に当選した。金大中政権に於いて民主化、自由化は本格化し、国家安全企画部の改組、民主労総の合法化などが行われた。民主労総を支持基盤とした民主労働党が結成され、後に国政進出を果たした。対北朝鮮政策も「太陽政策」の下2000年6月南北首脳会談を実現させ、分断された鉄道の連結や経済協力など南北融和が進み、近い将来の統一の期待を膨らませた。金大中は日本文化の開放も進め、日韓ワールドカップの共催を頂点に日韓の友好ムードは高まった。
2002年大統領選挙で当選した盧武鉉は支持基盤的に金大中の後継であり、政策も引き継いだ。
2007年大統領選挙に当選した李明博2012年大統領選挙に当選した朴槿恵により、再び政権は慶尚道系保守勢力へ戻り、各種政策も揺り戻しが起こっているが、民主的政体は大韓民国に於いてもはや定着していると言える。2017年3月には民主化以降初めての大統領弾劾が成立して朴槿恵が失脚。5月の大統領選挙文在寅が当選し、再び革新系に政権が戻った。

年表

大韓民国成立後の歴史は、憲法大韓民国憲法)による政体の相違によって、7つの時代に区分される。

1945年 - 1948年アメリカ軍政庁期連合軍軍政期、非独立)
1948年済州島4・3事件
1948年5月10日 : 南朝鮮単独での初代総選挙が実施される。
1948年7月12日 : 大韓民国憲法が制定され、7月17日に公布される。
1948年 - 1960年第一共和国期
1948年8月15日アメリカ合衆国の承認を得て李承晩大韓民国の独立を宣言。
1948年済州島4・3事件継続。
1948年:麗水・順天事件
1949年聞慶虐殺事件
1949年:対馬領有宣言[38]
1950年1月12日アメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンが「アチソンライン」を表明する。
1950年6月25日:北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国朝鮮人民軍が大韓民国を奇襲し、朝鮮戦争が勃発する。
1950年:保導連盟事件
1952年1月18日李承晩ライン宣言により竹島を取り込む[39]
1953年竹島近海の日本巡視船への銃撃開始[39]
1953年7月27日:「北進統一」に固執した李承晩大韓民国大統領を除いた上で、中朝連合軍代表の南日朝鮮人民軍大将国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr英語版アメリカ軍中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名される。
1953年10月1日米韓相互防衛条約が署名され、米韓同盟が結ばれる。
1954年韓国沿岸警備隊竹島派遣公表[39]
1955年8月18日日本との経済関係断絶[40]
1959年12月4日新潟日赤センター爆破未遂事件
1960年4月27日四月革命によって李承晩初代大統領が失脚し、第二共和国が始まる。
1960年 - 1961年第二共和国期
朴正熙少将による5・16軍事クーデターによって国家再建最高会議が設置される。
1961年 - 1963年国家再建最高会議軍政)期
朴正熙が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
1963年 - 1972年第三共和国期
1964年 - 1973年ベトナムに出兵する。
1965年1月:竹島密約
1965年6月22日朴正煕大統領と日本国佐藤栄作内閣総理大臣との間で日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)を批准。日本との国交を回復する。
1968年青瓦台襲撃未遂事件
1971年8月23日実尾島(シルミド)事件
1972年10月17日十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
1972年 - 1979年第四共和国期
1973年8月8日大韓民国中央情報部(KCIA)によって日本国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致する事件が発生し、この日本国への主権侵害によって日韓関係は悪化する。
1974年8月15日朴正煕大統領の陸英修夫人が在日韓国人文世光によって暗殺される文世光事件が発生する。
1976年8月18日ポプラ事件
1970年代コリアゲート事件発覚。
1979年10月26日朴正煕暗殺事件によって崔圭夏によって第五共和国が始まる(ソウルの春)。
1979年 - 1987年第五共和国期
1980年5・17非常戒厳令拡大措置
1980年5月18日 - 5月27日光州事件
1983年9月1日 - 大韓航空機撃墜事件
1983年10月 - ラングーン事件
1987年6月29日盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
1987年 - 現在:第六共和国期
1987年11月29日大韓航空機爆破事件
1988年 - ソウルオリンピック
1991年湾岸戦争に参戦。国連加盟国となる。
1997年11月21日IMFに救済金融を要請したと公式発表[41]
1997年12月3日IMF資金支援合意書に署名[41]
2000年6月13日:「太陽政策」を推進していた金大中大統領が朝鮮民主主義人民共和国金正日国防委員長南北首脳会談を実施、6月15日6.15南北共同宣言を締結する。
2002年アフガニスタンに出兵する[42]
2003年イラクに出兵する。
2004年9月:イラクアルビール県ザイトゥーン部隊を派遣する。
2007年10月:盧武鉉大統領と金正日国防委員長の間で第2回南北首脳会談が行われる。
2008年ザイトゥーン部隊をイラクから撤収する。
2010年3月26日韓国哨戒艦沈没事件
2010年11月23日延坪島砲撃事件
2014年4月16日セウォル号沈没事故
特別市(Teukbyeol-si、トゥクピョルシ)
1:ソウル特別市(ソウルとくべつし)
広域市(Gwangyeok-si、クァンヨクシ)
2:釜山広域市(プサンこういきし)
3:大邱広域市(テグこういきし)
4:仁川広域市(インチョンこういきし)
5:光州広域市(クァンジュこういきし)
6:大田広域市(テジョンこういきし)
7:蔚山広域市(ウルサンこういきし)
特別自治市(Teukbyeol-jachisi、トゥクピョルヂャチシ)
#:世宗特別自治市(セジョンとくべつじちし)
道(Do、ト)
8:京畿道(キョンギどう)
9:江原道(カンウォンどう)
10:忠清北道(チュンチョンブクどう)
11:忠清南道(チュンチョンナムどう)
12:全羅北道(チョルラブクどう)
13:全羅南道(チョルラナムどう)
14:慶尚北道(キョンサンブクどう)
15:慶尚南道(キョンサンナムどう)
特別自治道(Teukbyeol-jachido、トゥクピョルヂャチド)
16:済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)

なお、現在大韓民国の統治の及んでいない黄海道平安南道平安北道咸鏡南道咸鏡北道の5つの道(以北五道)も名目上設置されている。

地理

NASAからの2012年における夜間の朝鮮半島の合成写真。光量は経済活動の直接的な指標である。
大韓民国の地形図

大韓民国は朝鮮半島全域を領土と主張し、その内の南北軍事境界線以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府によって実行統治されているが、大韓民国では北朝鮮地域を指す表現として「北韓북한 プッカン、ほっかん」が用いられている。

西には黄海、東には日本海に面し、大韓海峡対馬海峡の西水道)を隔てて釜山対馬とは約50kmの距離である。全国土面積は100,339km2で、(2017年基準、干拓事業による領土拡張)これは日本の総面積377,961km2のほぼ1/4(26%)にあたり、北海道本島の面積77,984km2の1.26倍に相当する。国土は古期造山帯が支配的である。

地震九州など日本から伝わるものを除きほとんど発生しないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり、戸建より人気がある。活火山も全く存在しない(済州島鬱陵島火山島だが活動していない)が少数の温泉はある。

日韓間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在する他、1990年代以降、日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称を巡って日本国政府と大韓民国政府が対立する等、幾つかの問題がある(参考:日本海呼称問題李承晩ライン)。

1948年8月の建国以降も、日本統治時代植林政策を受け継ぎ森林の造成を行い、1970年代以降、40年間で100億本(1日あたり約68万本)の木を植林したと韓国内で報道されている[43][44]

韓国の範囲
最北端(韓国政府の実効支配下にある地域) - 江原道高城郡
最北端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 咸鏡北道
最南端 - 馬羅島済州特別自治道西帰浦市
最西端(韓国政府の実効支配下にある地域) - (ペンニョンとう、仁川広域市甕津郡
最西端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 平安北道
最東端(韓国政府の実効支配下にある地域、韓国政府が主張) - 竹島(独島)
最東端(日本政府が主張) -

ケッペンの気候区分によると、ソウル春川堤川などの北部や内陸部、山岳地帯は亜寒帯冬季少雨気候、それ以外の地域は温帯夏雨気候および温暖湿潤気候に属する。半島状に位置しているものの、顕著な大陸性気候であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日較差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である[45]。例えばソウルは新潟県長岡市付近と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.4度で、冬の寒さは日本の北東北から北海道南部と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われると、ソウルでも最低気温が-10〜-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また釜山名古屋京都と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.2度で、東京より平均気温が2, 3度低い。全体的に、日本の北関東から東北地方北海道南部の気温に匹敵する。この気候はオンドルを発達させた。

冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、韓国一の豪雪地帯である鬱陵島の他、過去に1mを超える積雪を観測したことのある日本海沿岸の江陵東海市束草や内陸の平昌郡大関嶺)など江原道を除けば降雪量は少なく、東日本西日本の太平洋側の降雪量と同程度かむしろ少ないくらいである。実際に、ソウル周辺地域の過去最深積雪でさえ30cm程と少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず、2月になれば三寒四温となり大分暖かくなり、4月に入るとが開花する。

済州島九州北部の福岡県と同緯度にあり、韓国では最も温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である漢拏山標高1950m)がそびえる地形的要因により非常に風が強く、済州市の1月の平均気温は5~6度と東京などとほぼ同じ寒さである(体感温度はさらに低い)。西帰浦市の位置する南部は温暖で高知県宮崎県北部の気温に匹敵する。

は半島部においては日本列島よりは湿気が少ない。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある大邱は韓国で最も暑いとされるが、湿気が少なく、また熱帯夜になる事はほとんどないため、エアコンが無くても寝苦しいということはほとんどない。

近年は[いつ?]中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。

大韓民国各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:大韓民国気象庁
平年値
(月単位)
北西部沿岸 北部内陸 北部高地 ソウル都市圏 北東部沿岸
江華 鉄原 春川 原州 楊平 堤川 忠州 清州 平昌郡
大関嶺
太白 ソウル 水原 仁川 利川 天安 束草 江陵
気候区分 Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Cfa Dfb Dwb Cwa Cwa Cwa Dwa Cfa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 24.5
(8月)
23.8
(8月)
24.6
(8月)
24.8
(8月)
25.0
(8月)
23.8
(8月)
24.9
(8月)
25.8
(8月)
19.1
(7,8月)
21.0
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
25.1
(8月)
23.7
(8月)
24.6
(8月)
最寒月 -3.8
(1月)
-5.5
(1月)
-4.6
(1月)
-4.3
(1月)
-3.4
(1月)
-5.2
(1月)
-4.2
(1月)
-2.4
(1月)
-7.7
(1月)
-4.8
(1月)
-2.4
(1月)
-2.9
(1月)
-2.1
(1月)
-3.1
(1月)
-2.9
(1月)
-0.3
(1月)
0.4
(1月)
降水量
(mm)
最多月 358.2
(7月)
400.9
(7月)
383.8
(7月)
362.2
(7月)
429.4
(7月)
373.5
(7月)
293.5
(7月)
285.1
(8月)
420.9
(8月)
287.3
(7月)
394.7
(7月)
351.1
(7月)
319.6
(7月)
370.2
(7月)
298.3
(7月)
293.0
(8月)
298.9
(8月)
最少月 17.7
(1月)
20.6
(1月)
20.3
(1月)
22.0
(1月)
16.6
(12月)
23.0
(12月)
21.1
(12月)
25.3
(12月)
36.8
(12月)
19.2
(12月)
20.8
(1月)
21.8
(12月)
19.3
(12月)
16.3
(12月)
23.4
(1月)
38.2
(12月)
38.3
(12月)
平年値
(月単位)
中西部沿岸 中部内陸 鬱陵島 南東部沿岸 南部内陸 南部沿岸 済州島
瑞山 保寧 群山 大田 全州 南原 安東 大邱 鬱陵 浦項 蔚山 光州 密陽 木浦 釜山 統営 昌原
馬山
済州 西帰浦
気候区分 Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cwa Cfa Cwa Cwa Cwa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 25.1
(8月)
25.5
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
26.2
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
26.4
(8月)
23.6
(8月)
25.7
(8月)
25.9
(8月)
26.2
(8月)
25.8
(8月)
26.1
(8月)
25.9
(8月)
26.1
(8月)
26.5
(8月)
26.8
(8月)
27.1
(8月)
最寒月 -2.0
(1月)
-0.8
(1月)
-0.4
(1月)
-1.0
(1月)
-0.5
(1月)
-1.4
(1月)
-2.2
(1月)
0.6
(1月)
1.4
(1月)
1.8
(1月)
2.0
(1月)
0.6
(1月)
0.0
(1月)
1.7
(1月)
3.2
(1月)
3.1
(1月)
2.8
(1月)
5.7
(1月)
6.8
(1月)
降水量
(mm)
最多月 295.9
(8月)
297.1
(8月)
263.1
(8月)
333.9
(7月)
299.6
(7月)
346.1
(8月)
244.3
(7月)
235.9
(8月)
170.7
(9月)
227.4
(8月)
240.3
(8月)
308.9
(7月)
269.5
(7月)
236.7
(7月)
316.9
(7月)
313.5
(7月)
299.0
(8月)
262.5
(8月)
309.8
(7月)
最少月 26.6
(2月)
28.1
(1月)
29.3
(12月)
25.9
(12月)
31.1
(12月)
25.4
(12月)
16.6
(12月)
15.3
(12月)
72.2
(3月)
25.7
(12月)
23.0
(12月)
33.5
(12月)
16.4
(12月)
29.3
(12月)
22.8
(12月)
21.1
(12月)
22.0
(12月)
47.7
(12月)
45.1
(12月)