平成(へいせい)は日本元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。

西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。

現在の元号
元号名 期間 年数 通算年日数 天皇名
漢字 読み 始期 現在
平成 へいせい 平成元年(1989年)
1月8日
平成30年2018年
12月11日
30年[注 1] 29年338日間 今上天皇

改元

歴代 読み 生年 御称号 践祚[注 2] 在位期間 続柄
第125代 Emperor Akihito cropped 2 Barack Obama Emperor Akihito and Empress Michiko 20140424 1.jpg 明仁 あきひと 昭和8年(1933年)
12月23日(84歳)
つぐのみや
継宮
昭和64年(1989年)
1月7日
29年338日 第124代昭和天皇
第一皇男子

1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇崩御して、皇太子明仁親王が即位した(今上天皇)。これを受け、1989年(昭和64年)1月7日に元号法に基づき改元政令が出され、その翌日を「平成元年1月8日」とすることにより改元がなされた。元号法によって改元された最初の元号である。なお崩御を前提とした手続きは事前に行なえないため、改元の際は崩御当日に正式な手続きに入り、翌日に改元が行われた。崩御当日に電話で正式な嘱託を行った後の「元号に関する有識者会議」は約20分間意見交換しただけで、重々しい雰囲気の中で慌ただしく新元号は決められたという[1]。ただし、水面下で準備は進められており、1988年(昭和63年)9月には、元号は最終候補の3案に絞り込まれていた[2]

内閣内政審議室は昭和天皇崩御の日(1989年昭和64年)1月7日)の早朝、十ほどの候補から最終的に「平成」「修文」「正化」の三案に絞り、竹下登首相の了解を取った。その日の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を求めた。この時、当時の内閣内政審議室長であった的場順三が、とっさに、明治以降の元号のアルファベット頭文字を順に並べ、「MTSの後はHが据わりが良いでしょう」と言った[3][4]

その後に開かれた全閣僚会議でも「平成」で意見が一致し[5]、同日14時10分から開かれた臨時閣議において、新元号を正式に決定。14時36分、小渕恵三内閣官房長官が記者会見で発表した。

只今終了致しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。
新しい元号は、『平成』であります — 内閣官房長官 小渕恵三

と言いながら、河東純一揮毫した新元号「平成」を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた(#元号発表も参照)。なお、新元号の発表の際に、口頭での説明は難しいので、視覚に訴えるように「書」として発表したのは、石附弘秘書官のアイディアである[6]

同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇允裁(いんさい)[7]を受けた後、官報号外によって公布され、翌1989年(平成元年)1月8日から施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。

明治から大正、大正から昭和への改元の際と異なり[注 3]、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサを初めとするOAに伴うコンピュータプログラムの変更等を行うためと報道された。

提案者

最終候補の3案の一つであった「平成」を提案したのは、東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎である[8][2][9]

内閣内政審議室長(当時)として新元号選定に関わった的場順三[8]によると、元号の最終候補3案は極秘裏に委嘱していた山本、宇野精一目加田誠の3氏の提案によるものだという(目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを後に認めている)[10]。『文藝春秋』での佐野眞一の取材に対して、的場は「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」と述べ、それ以前に物故した諸橋轍次貝塚茂樹坂本太郎らの提案はすべて廃案になったとしている[10]

渡部恒三によると、「平成」の元号は改元時の竹下登首相ら日本国政府首脳が決定前から執心していたという[10]。竹下が1990年(平成2年)1月に行った講演の際に、非公式ながら「平成」は陽明学者・安岡正篤の案であったと述べたとされる[11]。しかし、安岡も昭和天皇崩御前に物故しているため、彼の発案ということは有り得ない[12]的場順三は、「実際、『平成』の考案者は安岡正篤氏という誤った説も広まっていたので、歴史の真実を歪めないためにも、新元号選定の経緯を明かすようになりました。」と述べている[13]

出典

新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内(内かに外る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地(地かに天る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である[14]。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」()など、外国の年号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。

江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている[15]

なお、平成の決定の際には専門家から出典箇所が偽書の偽古文尚書であり、相応しくないとする意見もあった[要出典]

元号発表

小渕内閣官房長官(当時)が総理大臣官邸での記者会見で使用した台紙に『平成』と文字を揮毫したのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。

記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボール風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知った時、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである。

また、4枚目を選んだのは上手い下手に関係なく、初めから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである[16]

河東は2005年(平成17年)12月に職務(20万枚以上に及ぶ官記・位記・辞令および表彰状等の作成)の功績を認められ、第18回「人事院総裁賞」個人部門を受賞した[17]

その「平成」の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登に贈呈され、竹下元首相私邸に飾られていた[18]が、現在は国立公文書館に寄贈されている[19]

終焉

2016年(平成28年)8月8日の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」以降、譲位に関する議論が行われ、2017年(平成29年)6月9日の参議院本会議で譲位に関する法案(天皇の退位等に関する皇室典範特例法‎)が成立。同月16日に公布された。譲位時期は法律の公布日から3年を超えない範囲で政令により決められる[20][21]。2017年(平成29年)12月1日に開催された皇室会議、同月8日の閣議で、2019年(平成31年)4月30日での天皇の退位が決定、「平成」は最長でも[注 4]この日までに終わる見込みとなった[22]

元号発表以前から存在した「平成」

「平成」発表後、それにちなんで命名された団体名や地名などは多い(後述の「平成を冠するもの」参照)。「平成」の選定過程で、政府は団体・企業や個人の名前に使われていないかを調査したが、インターネット検索なども発展途上の段階であったため、元号と同じ漢字表記となる人名や地名の把握は不完全であった。

そのため、人名では「たいら しげる」という読みの男性や、地名では「へなり」と読む岐阜県武儀町(現・関市)の小字などが、元号の発表以前から存在した「平成」として確認されている。元号の選定に携わった的場順三は、これらの偶然の一致について「仰天した」と回想している[23]

このほか、三重県埋蔵文化センターが開催する「おもろいもん出ましたんやわ展」の平成27年開催分で、松阪市の朝見遺跡から出土した「平成」と書かれた平安時代中期の墨書土器が公開された[24][25][26][27]櫛田川の氾濫を鎮めるための祭事に使われたと推定している。

時代の流れ