日本の旗日本におけるLGBTの権利
日本国
同性間の
性交渉
違法ではない。
性自認/性表現 性別適合手術後の法的性別変更は、2006年(平成16年)より有効
同性間の
関係性の承認
国レベルでの法的にはなし。一部地方自治体の条例、要綱であり。
同性カップルによる
養子縁組の引受
同性愛者を
公表しての
軍隊勤務
国内法上、日本に軍隊は存在しない。
ただ、国際法的には事実上の日本の軍隊と認知されている自衛隊では可。
差別保護 国レベルでの法的にはなし。一部の都市で条例による保護がある[1]

日本では同性愛は違法ではない。同性婚G7国家で唯一(イタリアは結婚に準ずるパートーシップ法)認められていない。

日本文化や日本国内で広く信仰されている宗教においても、歴史上LGBTへの敵意は存在しないとする見方もある[2]

一部のコメディアンやテレビのバラエティ番組において「同性愛者やトランスジェンダーらを特異な存在として扱う」傾向は存在する一方で、多数の同性愛者が数多くのメディア媒体へ進出を果たしており、同性愛者の認知や同性愛を巡る社会啓発に貢献を果たしている[要出典]

一般社会においては、就職活動でもまだLGBTに対する差別や偏見が存在する[3]

現在のところ、同性間のリレーションシップを承認する法律はない。補完手段として、同性間カップルが養子縁組を結ぶケースが昔からあるともいわれている[4]

概要

日本の伝統的な民族宗教である神道や、日本における仏教日本の仏教)、儒教などは、同性愛や異性装を明示的に禁止しておらず、日本の歴史においてそれらは肯定的なものと捉えられていた[5]。その後、明治時代初頭の1872年(明治5年)、西洋の政治・文化の影響などで男性同性愛の鶏姦肛門性交)が違法とされたが(鶏姦罪)、8年後の1880年(明治13年)・1882年(明治15年)に制定された旧刑法からはこの規定はなくなった(後述[6]

欧米諸国では教義上同性愛を罪とするキリスト教や19世紀帝政ドイツの衛生思想の影響で、同性愛者が激しく弾圧されたことや、第二次世界大戦後のマッカーシズムの「ゲイ狩り」などへの反動としてゲイ解放が興った[7][8][注記 1]。対して日本は、同性愛者の迫害や逮捕などの歴史を持たず、政府などによる表立った差別もほとんどみられなかった[要出典]ため、社会の抑圧に反発する形での強い同性愛者の意識・権利の向上を目指すゲイ解放運動も、歴史的に見て一部を除いて低調である[要出典]

欧米圏や太平洋諸国、タイ台湾などで同性結婚シビル・ユニオンなどの制度が順次確立されつつある一方で、日本では同性婚はおろかシビル・ユニオンも認められていない。G7の国家で同性婚を認めない国は日本のみとなった。一方2018年現在、各地方自治体で独自にパートナーシップ条例が制定される動きが広まりつつある。あくまで自治体内で限定的な効果が生じるものであり、シビル・ユニオンや結婚、事実婚とは機能的に全く異なることに留意する必要がある。結婚の補完手段として、養子縁組を結ぶこともあるとされる[4][注記 2]

そうした中でも1971年(昭和46年)、東郷健が同性愛者であることを公言して選挙に初立候補した[4]。彼は同性愛者を中心とした社会的少数者の人権を守ることを目的とした政治団体「雑民党」を結成し、幾度となく選挙に立候補して同性愛者の権利と存在を訴えた[4]後述)。1970年代後半から1980年代前半にかけては、当時の若い世代のゲイ達が「日本同性愛者解放連合」「フロントランナーズ」「プラトニカ・クラブ」など、いくつかのゲイ団体を結成して活動した[4]参照)。1984年には、国際的LGBT団体「国際ゲイ協会(IGA)日本支部」(現ILGA、代表・南定四郎)が発足し[4]、1986年5月「第1回アジアゲイ会議」を開催した[4]。1986年3月には「動くゲイとレズビアンの会」が結成され[9]、1997年(平成9年)には東京都による1990年(平成2年)に発生した「府中青年の家貸し出し拒否」を巡る裁判に全面勝訴した(後述)。1994年(平成6年)8月28日にはレズビアン・ゲイ・パレード(ILGA日本を中心とした実行委員会主催)が日本で初開催された[10]。1994年(平成6年)はまた、厚生省(当時、現・厚生労働省)が同性愛を治療対象から除外した世界保健機関(WHO)の見解を踏襲し[11]文部省(当時、現・文部科学省)も指導書の性非行の項目から同性愛を除外した[12]日本精神神経学会も同性愛者団体の働きかけを受け[13]、1995年(平成7年)にWHO見解を尊重すると表明した[11]

なお、日本は、国連のLGBTコアグループのアジアからの唯一の参加国である[14]。同グループは、LGBTフレンドリーな国11カ国や2つの国際機関などで構成され[詳細 1](2013年時点)、2013年9月にニューヨークの国連本部で開かれた閣僚級会合で、日本からは当時の吉川元偉国連大使が出席した。

年表

  • 1880年(明治13年) - 1872年(明治5年)の「鶏姦律条例」及び、翌年の「改定律例」では男性同士の鶏姦(肛門性交)が犯罪とされたが(後者の第266条では懲役刑)、1880年制定の旧刑法には鶏姦禁止規定は盛り込まれず、1882年1月1日同法施行で鶏姦罪消滅。
  • 1952年(昭和27年) - 会員制ゲイ雑誌「アドニス」創刊。
  • 1960年(昭和35年) - 男性同性愛専用ページが常設された「風俗奇譚」創刊(61年1月号から女装専用ページも常設)。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1974年(昭和49年) - ゲイ雑誌「アドン」(5月号)、「さぶ」(11月)創刊。
  • 1976年(昭和51年) - 11月、ゲイ団体「日本同性愛者解放連合」結成、10人近いグループで数年間活動。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月、ゲイ団体「フロントランナーズ」結成、6人前後で数年間活動。
    • 5月、既成のゲイ雑誌に不満を持つ人たちが、ゲイリベレーションを編集趣旨としてゲイマガジン「プラトニカ」発刊。のち同誌を母体に「プラトニカ・クラブ」結成も、79年に最終4号を出して解散[4]
  • 1978年(昭和53年) - TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」というコーナーをゲイの「タック」が担当。ニュースレターが出され、OWC(アワーズワークコミュニティ)というゲイグループも生まれた。
  • 1979年(昭和54年)
    • 東郷健が「雑民党」の前身の「雑民の会」を設立。
    • 3月、プラトニカクラブから数人が参加して「JGC」(ジャパン・ゲイ・センター)結成し、ミニコミの「GAY」を8号まで、「CHANGE」を2号まで出すも82年解散。JGCはミニコミをメディアや文化人に送付したり、差別的な報道に抗議したりした[4]
  • 1981年(昭和56年) - 日本在住の外国人ゲイによる「イングリッシュ・スピーキング・オルタネート・ライフスタイル サポートグループ」結成。途中で日本のゲイにも参加してもらおうと「東京ゲイサポートグループ」に改名し、84年頃から機関誌「COMING OUT」を発行し、TEL相談、月数回のイベント開催を行う[4]
  • 1983年(昭和58年)
    • サークル「CLASS」結成。それ以前から別名で活動していた、ティーン中心のゲイサークル。友達同士のような関係をつくり、ゲイの悩みを皆で解決していくことを目指した。会員数は40人程(当時)で東京・赤羽と大阪(所在地は尼崎)に本部があった[4]
    • 赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」(西武タイム)発売。同書7章で同性愛などが肯定的に取り上げられる。
  • 1984年
    • IGA(国際ゲイ協会、現ILGA)日本支部発足。「アドン」編集長の南定四郎がIGA(欧州に本部を置くゲイの国際団体)から依頼を受け、日本支部として活動開始。
    • 同年9月、IGA大阪発足、のちOGC(大阪ゲイ・コミュニティ)に改称。
  • 1985年(昭和60年) - 東大阪市長瀬に「上方DJ倶楽部」発足。DJ形式でトークなどの様々な催しをカセットテープに収録し、ゲイのイメージ向上とアピールを目指した。
  • 1986年(昭和61年)
  • 1990年(平成2年) - 「東京都府中青年の家」に宿泊した「動くゲイとレズビアンの会」のメンバーがキリスト教団体らから差別・中傷されるなどトラブル発生。同施設所長や都職員も不適切な対応。その後、翌年に予定していた2回目の宿泊の申し込みを拒否される。
  • 1991年(平成3年)
  • 1994年(平成6年)
    • 厚生省(当時、現・厚生労働省)が同性愛を治療の対象から除外したWHOなどの見解を踏襲。
    • 文部省(当時、現・文部科学省)が指導書の「性非行」の項目から同性愛を除外。
    • 8月28日、ゲイ・パレードが日本で初開催される(フィリピン《同年6月》に続きアジアで2番目)。
    • 11月、ゲイ雑誌「Badi」創刊。
    • GAY-FRONT関西(現G-FRONT関西)発足。これ以前から「ぷあぷあ」など現G-Front関西の構成グループは活動していた。
  • 1995年(平成7年)
    • 日本精神神経学会が同性愛を治療対象から除外したWHOの見解を尊重すると発表。ちなみに米精神医学会が同性愛を精神障害とみなさないと決議したのは1973年。
    • ゲイ雑誌「G-men」創刊。
  • 1997年(平成9年) - 東京都府中青年の家裁判で控訴審判決。動くゲイとレズビアンの会の訴えが認められ結審。
  • 2003年(平成15年)
  • 2004年(平成16年) - 性同一性障害特例法施行。
  • 2005年(平成17年)
    • 大阪府議会議員であった尾辻かな子がレズビアンであることを公表。
    • 9月、大阪市でも同性間カップルに住宅の貸し出し認める。
    • レインボーマーチ札幌に北海道知事・高橋はるみのメーセッジが寄せられる。
  • 2007年(平成19年) - 第6回東京プライドパレードに初めて厚生労働省東京都が後援につき、渋谷区新宿区区長からメッセージが寄せられる。
  • 2011年(平成23年) - ゲイであることを公表した石川大我が社会民主党公認で東京都豊島区議会議員に、石坂わたるが無所属で同中野区議会議員に当選(いずれも以後、2期連続当選)
  • 2013年(平成25年) - 尾辻かな子参議院議員に繰り上げ当選。日本で初めてLGBTを公表した国会議員が誕生。
  • 2014年(平成26年) - 戸籍上男性から女性に性別移行を行った女性がパートナーと婚姻関係を結んだ後で特別養子縁組が家庭裁判所に認められる。
  • 2015年(平成27年)
    • 東京都渋谷区にて、同性パートナー条例が自民党と無所属議員3人を除く賛成多数で可決、成立。4月1日より条例が施行[16][17]し11月5日より発行される[18]
    • 同年8月東京都世田谷区長の保坂展人が同性カップルが互いを人生のパートナーとする宣誓書を提出すれば、11月1日より区は宣誓を証明する受領証を発行すると発表した[19]。世田谷区のものは条例化されておらず法的根拠のない要綱扱いとなっている。
    • 同年12月、兵庫県宝塚市がパートナー宣誓書を提出した同性カップルに、2016年6月より宣誓を証明する受領証を発行する要綱を定めると発表した[20]
  • 2016年(平成28年) - 12月、大阪市が30代と40代の男性カップルを児童福祉法に規定された養育里親として認定し、翌2017年4月に報道機関による報道された[21]
  • 2017年(平成29年)
    • 3月、埼玉県入間市議会議員選挙にてFTMトランスジェンダーを公言した細田智也が民進党公認で出馬し当選。戸籍を女性から男性へ変更し公職に就くものとしては世界初[22]
    • 同年10月、