日本赤十字社
Japanese Red Cross Society
Japanese Red Cross Society.jpg
日本赤十字社章(赤十字竹桐鳳凰章)
種類 日本赤十字社法に基づく認可法人
社団法人類似組織)
略称 日赤、赤十字
本社所在地 日本の旗 日本
105-8521
東京都港区芝大門一丁目1番3号
設立 1877年明治10年)5月1日
法人番号 6010405002452
事業内容 日本赤十字社法に基づく病院施設等の運営
災害救援活動 等
代表者 社長近衞忠煇
従業員数 67,659名
※2017(平成29)年4月14日現在[1]
外部リンク www.jrc.or.jp
特記事項:法人番号6010405002452
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日本赤十字社を含む各国赤十字社の標章(白地赤十字)

日本赤十字社(にっぽんせきじゅうじしゃ)は、日本における赤十字社1952年昭和27年)に制定された日本赤十字社法(にほんせきじゅうじしゃほう)昭和27年8月14日法律第305号によって設立された認可法人社員と呼ばれる個人及び法人参加者の結合による社団法人類似組織である。略称は「日赤」(にっせき)。フランス語: Société de la Croix-Rouge du Japonスペイン語: Sociedad de la Cruz Roja Japonesaである。

名誉総裁皇后(現在は皇后美智子)。名誉副総裁には、代議員会の議決に基づき、各皇族が就任している。代表者である社長近衞忠煇(旧公爵近衛家当主。夫人は、三笠宮崇仁親王第一女子である近衛やす子)。

日本赤十字社は全国に92の赤十字病院、79の血液センターを運営し、赤十字病院は第3次医療機関に指定され救急医療の最後の砦を担っている。血液事業は日本で唯一献血を原料とする製剤を製造する。またセンター、病院、支部などには常備救護班医師1名・看護師長1名・看護師2名・庶務(事務)担当の職員である主事2名の計6名で1個班が構成される)を複数個保有し、地震台風などの災害時や旅客機墜落・公共交通機関の大事故など、消防で対応し切れない大人数の負傷者発生の際には救援活動を行っている。

赤十字のマークは、赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律により、日本赤十字社及びその許可を得た者以外が使う事が禁じられており、違反者は6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金が課されることとなっている[2]

法的地位

日本赤十字社法(以下、社法という)では、「日本赤十字社は、赤十字に関する諸条約及び赤十字国際会議において決議された諸原則の精神にのっとり、赤十字の理想とする人道的任務を達成することを目的とする(第1条)」とされ、また第2条は特に「国際性」の見出しのもと、「日本赤十字社は、赤十字に関する国際機関及び各国赤十字社と協調を保ち、国際赤十字事業の発展に協力し、世界の平和と人類の福祉に貢献するように努めなければならない。」と認可法人としては異例の定めを置いている。日本赤十字社では社法第7条により、日本赤十字社定款を定めることとされ、同社の事業は定款の定める経営・業務・資産などの規定に基づき運営されている。日本赤十字社の基本精神は人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性である。

戦前の日本赤十字社は陸軍省海軍省管轄の社団法人[3]、戦後は厚生省管轄を経て現在は厚生労働省管轄の認可法人であり、伝統的に皇室の援助が厚く、皇后名誉総裁とし皇太子ほかの皇族を名誉副総裁とする。

本社は東京都港区芝大門一丁目に所在し、全47都道府県に支部が設置されている。ほとんどの支部では知事が支部長に就任し[4]、副支部長・事務局長などの役員も行政関係者(市町村長や現・元都道府県部長/局長)が多くを占めている[5]2010年平成22年)3月末現在、個人社員1065万人、法人社員15万法人を数える[1]

法律上の位置付けとしては、日本赤十字社法に基づく認可法人で、災害対策基本法及び国民保護法上の指定公共機関に位置づけられており、災害時や有事に備え、防災基本計画及び国民保護業務計画の策定と閣議の承認を経ることが義務付けられているほか、災害時・有事はそれらの計画に基づいて国民の救済において国に協力することが定められている。

歴史

日本赤十字社発祥地(千代田区子爵桜井忠興邸跡)
有栖川宮熾仁親王から博愛社設立の許可を受ける佐野常民
日本赤十字社の絵葉書(1900年)
日本赤十字創立75年記念切手

日本赤十字社の前身は旧田野口藩主伯爵大給恒(おぎゅう ゆずる)や元老院議官で後に伯爵となった佐野常民(さの つねたみ)、同じく後に子爵となる桜井忠興(さくらい ただおき)らが、西南戦争時の1877年明治10年)に熊本洋学校(くまもと ようがっこう)に設立した博愛社(はくあいしゃ)である。佐野らは、戦争の悲惨な状況が拡大していることに鑑みて、陸軍省に、敵味方の区別なく救護を行う赤十字の精神を発現する博愛社として、救護班を派遣することを願い出た。しかし、陸軍卿代行の西郷従道は、内戦は国家間戦争とは異なり、逆賊=犯罪者の救護は赤十字の救護とは言えないのではないかと、その精神に理解を示せず、設立を許可しなかった。そこで、佐野らは元老院議長で征討総督の有栖川宮熾仁親王に直接、設立と救護班の派遣を願い出る。逆徒であるが天皇の臣民である敵方をも救護するその博愛の精神を熾仁親王は嘉し、中央に諮る事なく設立を認可した。ただ敵味方ともに助けるというその思想が一般兵士にまでは理解されず、双方から攻撃もしくは妨害などを受け死者が出たと言われている。

昭憲皇太后

博愛社は国際赤十字の精神を発現する団体として創設され、赤十字として認知されるよう活動していたが、1886年明治19年)ジュネーヴ条約に調印した政府の方針により、翌1887年明治20年)に日本赤十字社と改称し、特別社員および名誉社員制度を新設した。当時西欧の王室、皇室は赤十字活動に熱心であり、近代化を目指す日本でも昭憲皇太后明治天皇皇后)が積極的に活動に参加し、正式紋章「赤十字竹桐鳳凰章」は昭憲皇太后の宝冠のデザインを模倣して制作・制定された。同社の活動に際しては、華族や地方名望家がその指導的立場に就いた。また、当初、活動の本拠が置かれたのも、東京都千代田区の子爵桜井忠興邸であった。

1888年明治21年)6月、支部設置を決定した他、有功章、社員章を制定した。 全国に赤十字運動への理解と普及を目指す最中、1888年明治21年)7月、福島県磐梯山が、巨大な水蒸気爆発により山体崩壊を招き、大災害を引き起こした。 このため、当時国際紛争解決にむけた人道組織であった赤十字を、自然災害にも活用すべく政府に願い出た。赤十字として国際的にも例がない戦時以外の活動であったが、政府は了としたため、すぐさま救護班を現地に派遣、救援活動を行った。

日清戦争1894年明治27年) - 1895年明治28年))時には、初めて国際紛争の医療救護班を戦地に送り出した。

日清戦争時、帝国陸軍近衛師団軍楽隊楽手でもあった加藤義清が出征する友人を見送りにに行った際、同じく大陸の戦地に向けて出発しようとしている日本赤十字社従軍看護婦達の凛々しい姿に強い感銘を受け、一夜で作詞したといわれている軍歌『婦人従軍歌』がある(従軍看護婦を唄った歌曲は世界的にも珍しく、同時に明治日本軍歌を代表する曲の一つに数えられている)。

1901年には勅令により日本赤十字社条例が設置され、日本の陸軍大臣海軍大臣の指定する範囲内において陸海軍の戦時衛生勤務を幇助することができるようになった[6]

日露戦争1904年明治37年) - 1905年明治38年))が起こると、日本赤十字社は旅順など満洲で投降したロシア人捕虜の人道的な待遇に尽力した。第一次世界大戦でも中国山東省青島捕虜となったドイツ人も日赤の援助により人道的な待遇を受けた。

また、第一次世界大戦1914年大正3年) - 1918年大正7年))時には、連合国のフランスイギリスロシアからの要請に応え、三カ国に救護班を派遣した[7]1934年昭和9年)、第15回赤十字国際会議が東京で開催されている。

軍部の勢力が拡大するにつれ、日本赤十字社による戦争捕虜への援助が難しくなった。日中戦争支那事変)(1938年昭和13年) - 1945年昭和20年))では宣戦布告なしの「事変」であったため、両軍はジュネーヴ条約を適用しなかった。太平洋戦争大東亜戦争)が勃発すると、赤十字救護班は積極的に戦地に赴き、多くの殉職者を出すこととなった。一方、日本軍が東南アジア方面で数十万人にのぼる欧米人(軍人、民間人を問わず)を収容所に収容したが、国際赤十字委員会や日本赤十字社が積極的な救護活動をしなかったとして連合国側のメディアから非難があった。太平洋戦争終結後、捕虜とともに民間人として現地に抑留された救護班は、収容された日本人に対する救護をおこなった。 敗戦直前の原爆被害者に対して、国際赤十字委員会と日本赤十字社は積極的に救護を行い、現在でも、日本赤十字社は広島と長崎に原爆症患者を救護する病院を経営している。 また、占領下の日本では、衛生状態が深刻な状態にあり、赤十字では駅などに救護所を設けて、病院内外での救護活動を活発に行った。

沿革

  • 1877年明治10年) - 前身の「博愛社」創立。当時の標章は日章の下に赤線一本(「ジュネーブ条約」未加入であったため、赤い十字と類似の記号を用いることを避けて暫定的標章を作成することとしたが、その過程でキリスト教を嫌った三条実美太政大臣の「耶蘇のしるしじゃ」の一言で一本線になったと伝承されている)。
※ この後も国内外での戦争、紛争、大規模災害などの直接・間接的な救援活動は数知れず。
阪神・淡路大震災では各国赤十字社の救援を受けた。特にスイスからの災害救助犬の派遣は前例がなく受け入れにスムーズさを欠いたが、活動開始後は被害者の救出に威力を発揮し、災害救助犬の重要性を認識させた。