早稲田大学
早稲田大学大隈講堂
大学設置 1920年
創立 1882年
学校種別 私立
設置者 学校法人早稲田大学
本部所在地 東京都新宿区戸塚町一丁目104番地
北緯35度42分37秒 東経139度43分18.2秒 / 北緯35.71028度 東経139.721722度 / 35.71028; 139.721722座標: 北緯35度42分37秒 東経139度43分18.2秒 / 北緯35.71028度 東経139.721722度 / 35.71028; 139.721722
キャンパス 早稲田(東京都新宿区)
戸山(東京都新宿区)
西早稲田(東京都新宿区)
喜久井町(東京都新宿区)
所沢(埼玉県所沢市)
本庄(埼玉県本庄市)
北九州(福岡県北九州市)
東伏見(東京都西東京市)
日本橋(東京都中央区)
学部 政治経済学部
法学部
文化構想学部
文学部
教育学部
商学部
基幹理工学部
創造理工学部
先進理工学部
社会科学部
人間科学部
スポーツ科学部
国際教養学部
研究科 政治学研究科
経済学研究科
法学研究科
文学研究科
商学研究科
経営管理研究科
基幹理工学研究科
創造理工学研究科
先進理工学研究科
教育学研究科
人間科学研究科
社会科学研究科
スポーツ科学研究科
アジア太平洋研究科
日本語教育研究科
情報生産システム研究科
法務研究科
ファイナンス研究科
会計研究科
環境・エネルギー研究科
教職研究科
国際コミュニケーション研究科
ウェブサイト 早稲田大学公式サイト
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早稲田大学(わせだだいがく、英語: Waseda University)は、東京都新宿区戸塚町一丁目104番地に本部を置く日本私立大学である。1920年に設置された。大学の略称早稲田(わせだ)、早大(そうだい)。

早稲田大学の位置(東京都区部および多摩地域内)
早稲田大学
早稲田大学

概観

大学全体

江戸時代末期の蘭学校である北門義塾柳田藤吉の創設)の明治5年閉校後、その意思を受継ぎ隣地に大隈重信明治十四年の政変で下野した後に設立した東京専門学校を前身とし、日本の私立大学では慶應義塾大学(「早慶」の)などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2011年現在、10の学術院のもと13学部21研究科(大学院)を設置している。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。 大隈重信が明治を代表する政治家であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの逸材を輩出しているのをはじめとして、研究、法曹、文学、理工学などや、出版、新聞などの分野でも国内外を問わず多くの卒業生が活躍している。英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された。[1]

早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきたモデル校であり、上述の慶大と共に「私学の雄」と並び称されている[2]

建学の精神

「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を理念とし、教旨が定められている。前身となる東京専門学校の創立30周年を記念し、1913年大正2年)に制定された。

早稲田大学教旨
早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す。
早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て、之が自由討究を主とし、常に独創の研鑽に力め、以て世界の学問に裨補せん事を期す。
早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て、学理を学理として研究すると共に、之を実際に応用するの道を講じ、以て時世の進運に資せん事を期す。
早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。
建学の祖グイド・フルベッキ

『早稲田大学百年史』に「最も直接的な建学の基礎的感化を与えたのはフルベッキである。フルベッキがなかったら、早稲田大学はなく、建っても、勿論、ひどく形式、精神の異なったものとなったであろう」という記述がある。大隈重信は長崎の佐賀藩致遠館フルベッキに英語を習った。教材は聖書アメリカ独立宣言などであった。「アメリカ独立宣言を起草したジェファーソンは、合衆国に民主主義政治を実行するためには青年を教育することが必要としてヴァージニア大学を創設した。ジェファーソンと同じ考えで私は早稲田大学を創設した」と述べ、「フルベッキなくして大隈なし、大隈なくして早稲田大学なし」としてフルベッキ建学の祖と称えている。

大学名の由来

早稲田大学は、1882年 (明治15年) 10月21日に創設した「東京専門学校」を前身とする。当初は、創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村に、また、校舎が同郡戸塚村にあったことから、関係者には「早稲田学校」「戸塚学校」と呼ばれていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられた。1892年頃には、専門学校の別名として、「早稲田学校」と呼ばれるようになり、以後1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した(常用漢字の改正以前は、「稲」は、「旧」ではなく「臼」の「稻」を使い、「早稻田大学」と表記していた。卒業時の学位記を納める楯には現在も旧字体が使われている。)。出身者などは「稲門(とうもん)」と呼ぶこともある。

沿革

1882年明治15年)に大隈重信が創立した東京専門学校が前身である。その後1902年(明治35年)に早稲田大学と改称、さらに1920年大正9年)2月5日大学令に基づく大学となった(これは慶應義塾大学と共に私立大学として初[3])。

年表

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり
東京専門学校
大正時代の早稲田大学の正門
  • 1882年(明治15年) - 東京専門学校が開校。政治経済学科・法律学科・理学科・英学科を設置。入学生80名。成島柳北が挨拶[4]
  • 1883年(明治16年) - 講師教員学生合同懇親・大運動会、飛鳥山に開催(運動会の始まり)[5]
  • 1886年(明治19年) - 校外生の制度を発足させ、「早稲田講義録」を発行。軍入隊時の田中角栄も校外生のうちの一人であった。
  • 1899年(明治32年) - からの留学生を受け入れる。高等予科(現早稲田大学高等学院)を開設。
  • 1900年(明治33年) - 初めての海外留学生2名をドイツに派遣。
  • 1901年(明治34年) - ベルリン大学出身の安部磯雄教授により体育部に野球部が設置される。最初の対外試合は強豪学習院と対戦し、7対6で快勝。
  • 1902年(明治35年) - 「早稲田大学」に改称(文部大臣 菊池大麓[6]
    ただしこれは翌1903年に発令された専門学校令の発令に先立ち、その特例として大学と称することが認められたものであり、大学令による大学となるのは1920年からである。大学部と専門部を新設し、大学部に政治経済学科(現政治経済学部)・法学科(現法学部)・文学科(現、文学部および文化構想学部)を設置。式典で伊藤博文が演説。
  • 1903年(明治36年) - 高等師範部(現教育学部)設置。最初の早慶戦三田綱町球場で開催。
  • 1904年(明治37年) - 専門学校令による旧制専門学校となる。大学部に商科(現商学部)設置。
  • 1905年(明治38年) - 学習院元院長田中光顕より『礼記子本疏義 第59 1巻』(国宝)が寄贈。
  • 1906年(明治39年) - 東亜同仁会(会長大隈重信)、東京同仁医薬学校(校長岡田和一郎)を早稲田大学構内に設置。
  • 1907年(明治40年)
    • 4月 - 校長・学監制を廃し、総長・学長制を採用。大隈重信総長(名誉職)・高田早苗学長が就任。
    • 10月 - 校歌制定。また、それまで、貸すという形になっていた敷地(現在の敷地の一部)を寄付すると、大隈が発表。
    • 11月 - 東京同仁医薬学校付属の早稲田同仁医院開設。(1911年閉校。在校生は千葉、金沢の医学専門学校に移す。)
  • 1908年(明治41年) - 理工科(現理工学部)(共に予科3年・本科3年の6年制)を設置。同時に高等予科にも理科を置く。
  • 1911年(明治44年) - 恩賜記念館竣工。
  • 1912年大正 元年)- ハーバード大学チャールズ・W・エリオット総長が大隈重信総長を来訪(1921年にも来訪)[7]
  • 1913年大正 2年)
    • 「早稲田大学教旨」・校旗・式服・式帽を制定。
    • 2月25日孫文が大隈重信総長を来訪[8]
  • 1914年(大正 3年) - 学習院元院長田中光顕より『玉篇 巻第9 1巻』(国宝)が寄贈。
  • 1917年(大正 6年)
  • 1919年(大正 8年) - 9月19日付官報にて早稲田大学校外生新学年募集[10]
  • 1920年(大正 9年) - 2月2日天皇裁可を経て[11]2月5日大学令による早稲田大学の設立が認可される[12]政治経済学部・法学部・文学部・商学部・理工学部・大学院を設置。高等予科に代えて早稲田高等学院を設置。
  • 1921年(大正10年) - 女子12名を聴講生として受け入れ。
  • 1922年(大正11年) - 早稲田高等学院が第一早稲田高等学院・第二早稲田高等学院の2部に分かれる。
  • 1923年(大正12年) - 関東大震災で旧講堂倒壊。
  • 1925年(大正14年) - 学生会館開館。東伏見グラウンド開設。
  • 1927年昭和 2年) - 大隈講堂が落成。
  • 1928年(昭和 3年)
  • 1933年(昭和 8年) - 武道館開館。
  • 1938年(昭和13年) - 鋳物研究所(現材料技術研究所)設置。
  • 1939年(昭和14年) - 女子学生4名が初めて学部へ入学。
  • 1940年(昭和15年) - 理工学部研究所(現理工学総合研究センター)・興亜経済研究所(現アジア太平洋研究センター)を設置。
  • 1945年(昭和20年) - 空襲により恩賜記念館などを焼失。
  • 1949年(昭和24年) - 学制改革に伴い、新制早稲田大学を設置[13]。第一・第二早稲田高等学院が廃校、在校生は新制大学の学部1・2年生に移行。
  • 1951年(昭和26年)
  • 1953年(昭和28年) - 博士課程も設置。
  • 1956年(昭和31年) - 生産研究所(現アジア太平洋研究センター)を設置。
  • 1957年(昭和32年) - 記念会堂が竣工。(1964年東京オリンピックフェンシング競技会場として使用される)
  • 1958年(昭和33年) - 比較法研究所設置。
  • 1959年(昭和34年) - 電子計算室(現メディアネットワークセンター)・語学教育研究室(現語学教育研究所)を設置。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年) - 国際部を設置。
  • 1966年(昭和41年) - 社会科学部を設置。
  • 1967年(昭和42年) - 大隈庭園を学生に開放。大久保キャンパスが完成、理工学部が移転。
  • 1968年(昭和43年) - 第二理工学部を廃止。学生相談センターを設置。
  • 1969年(昭和44年) - 追分セミナーハウス竣工。
  • 1970年(昭和45年) - 第1回ホームカミングデーを開催。
  • 1973年(昭和48年) - 第二政治経済学部・第二法学部・第二商学部を廃止。
  • 1974年(昭和49年) - 産業経営研究所を設置。
  • 1978年(昭和53年) - 現代政治経済研究所を設置。
  • 1979年(昭和54年) - 環境保全センターを設置。
  • 1980年(昭和55年) - 商学部で、不正入試が発覚。教職員から逮捕者・自殺者を出した。
  • 1981年(昭和56年) - エクステンションセンターを設置。
  • 1982年(昭和57年) - 創立100周年。
  • 1987年(昭和62年) - 所沢キャンパス開設。人間科学部・人間総合研究センターを設置。安部球場(旧戸塚球場)閉鎖。
  • 1988年(昭和63年) - 日本語教育研究センターを設置。オープンカレッジを開設。
  • 1990年平成 2年) - 大隈ガーデンハウスが竣工、大学院教育学研究科を設置。
  • 1991年(平成 3年) - 総合学術情報センターが開館。大学院人間科学研究科を設置。
  • 1993年(平成 5年) - ビル・クリントンアメリカ合衆国大統領来校。現役の大統領による初の日本の大学への来校となった。
  • 1994年(平成 6年) - 大学院社会科学研究科を設置。西早稲田キャンパス整備計画(A,B,C棟の建て替え)に着手、A棟(14号館)の建て替え工事が始まる。
  • 1996年(平成 8年) - メディアネットワークセンターを設置。(2014年4月、グローバルエデュケーションセンター(GEC)に移管)
  • 1997年(平成 9年) - アジア太平洋研究センターを設置。ハイテク・リサーチセンターが竣工。同志社大学と国内相互間留学制度・学術交流制度を提携。
  • 1998年(平成10年) - 大学院アジア太平洋研究科・国際情報通信研究センター・教育総合研究所・総合健康教育センターを設置。旧図書館に會津八一記念博物館が開設。
  • 2000年(平成12年)
    • 大学院国際情報通信研究科・オープン教育センター・入学センターを設置。
    • 総合研究機構を創設し、教授陣によるプロジェクト研究所を開設・運営する体制を整える。
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)- 渋谷幕張シンガポ−ル校が早稲田大学系属「早稲田渋谷シンガポ−ル校」となる。渋谷教育学園幕張高等学校スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(SELHi)に選定。
  • 2003年(平成15年)
    • スポーツ科学部ならびに人間科学部通信教育課程・大学院アジア太平洋研究科国際技術経営専攻(専門職大学院MOT)・大学院公共経営研究科(専門職大学院)・大学院情報生産システム研究科(北九州市)を設置。川口芸術学校が開校。
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年) - 大学院会計研究科(会計大学院)を設置。西早稲田キャンパス整備計画に基づいて、B棟(8号館)が竣工。
  • 2006年(平成18年) - 大学院スポーツ科学研究科を設置。早稲田大学高等研究所を設置。
  • 2007年(平成19年)
    • 第一文学部第二文学部を改編し、新たに文化構想学部(1学科6論系)と文学部(1学科17コース)を設置。
    • 理工学部、大学院理工学研究科を分割し、基幹理工学部(基幹理工学研究科)・創造理工学部(創造理工学研究科)・先進理工学部(先進理工学研究科)の3学部3研究科からなる理工学術院体制が発足[16]
  • 2008年(平成20年) - 関西大学との間で学術交流協定を締結。中国共産党胡錦濤国家主席が来校、特別公演[17]
整備事業完了後の早稲田キャンパス(2010年4月撮影)

10月21日 早稲田大学が、学びのためのSNS「QuonNet」を開始[18] [19]