朝鮮戦争
한국 전쟁(韓国戦争)
조국해방전쟁(祖国解放戦争)
Korean War
Korean War Montage 2.png
上段:長津湖の戦いで撤退する米第1海兵師団
中段左:アメリカ空軍F-86
中段右:仁川上陸作戦で揚陸中のLST
下段左:仁川に上陸するバルドメロ・ロペス中尉率いる海兵隊員
下段右:M26戦車の前に立つ韓国人難民
戦争冷戦
年月日1950年6月25日 - 1953年7月27日
(休戦中)
2018年中の終戦が目指される
場所朝鮮半島
結果:南北分断状態のまま休戦協定が結ばれ、現在に至る
2018年中の終戦が目指される
交戦勢力
国際連合の旗 国際連合軍
大韓民国の旗 大韓民国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス

戦闘支援
 コロンビア
フランスの旗 フランス
カナダの旗 カナダ
オランダの旗 オランダ
ベルギーの旗 ベルギー
トルコの旗 トルコ
タイ王国の旗 タイ
フィリピンの旗 フィリピン
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
ギリシャの旗 ギリシャ王国
オーストラリアの旗 オーストラリア
 ニュージーランド
Flag of Ethiopia (1897-1936; 1941-1974).svg エチオピア帝国
南アフリカの旗 南アフリカ連邦


医療支援
 デンマーク
インドの旗 インド
イタリアの旗 イタリア
イスラエルの旗 イスラエル
 ノルウェー
 スウェーデン


掃海及びその他支援
日本の旗 日本
エルサルバドルの旗 エルサルバドル
 キューバ
スペインの旗 スペイン
中華民国の旗 中華民国台湾

朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦(顧問団派遣及び物資支給)

医療支援
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
ハンガリーの旗 ハンガリー
ブルガリアの旗 ブルガリア
ポーランドの旗ポーランド
ルーマニアの旗 ルーマニア


その他支援
インドの旗 インド
モンゴル人民共和国の旗 モンゴル

指導者・指揮官
大韓民国の旗 李承晩
大韓民国の旗 蔡秉徳
大韓民国の旗 丁一権
大韓民国の旗 李鍾賛
大韓民国の旗 白善燁
大韓民国の旗 林富澤
アメリカ合衆国の旗 ハリー・S・トルーマン
アメリカ合衆国の旗 ドワイト・D・アイゼンハワー
アメリカ合衆国の旗 ダグラス・マッカーサー
アメリカ合衆国の旗 マシュー・リッジウェイ
アメリカ合衆国の旗 マーク・ウェイン・クラーク
アメリカ合衆国の旗 ウォルトン・ウォーカー
アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ヴァン・フリート
アメリカ合衆国の旗 マクスウェル・D・テイラー
イギリスの旗 ジョージ6世
イギリスの旗 エリザベス2世
イギリスの旗 クレメント・アトリー
イギリスの旗 ウィンストン・チャーチル
オーストラリアの旗 ロバート・メンジーズ
カナダの旗 ルイ・サンローラン
フィリピンの旗 エルピディオ・キリノ
フィリピンの旗 フィデル・ラモス
コロンビアの旗 グスタボ・ロハス・ピニージャ
トルコの旗 タハシン・ヤズシュ
朝鮮民主主義人民共和国の旗 金日成
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朴一禹
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朴憲永
朝鮮民主主義人民共和国の旗 崔庸健
朝鮮民主主義人民共和国の旗 金策
朝鮮民主主義人民共和国の旗 南日
朝鮮民主主義人民共和国の旗 金雄
朝鮮民主主義人民共和国の旗 武亭
朝鮮民主主義人民共和国の旗 方虎山
中華人民共和国の旗 毛沢東
中華人民共和国の旗 彭徳懐
ソビエト連邦の旗 ヨシフ・スターリン
ソビエト連邦の旗 ゲオルギー・マレンコフ
ソビエト連邦の旗 ニキータ・フルシチョフ
戦力
大韓民国の旗 590,911(国民防衛軍 406,000[1]
アメリカ合衆国の旗 480,000
イギリスの旗 63,000
カナダの旗 26,791
オーストラリアの旗 17,000
フィリピンの旗 7,430
トルコの旗 5,455
コロンビアの旗 5,100
ニュージーランドの旗 3,972
フランスの旗 3,421
ニュージーランドの旗 1,389
タイ王国の旗 1,294
エチオピアの旗 1,271
ギリシャの旗 1,263
ベルギーの旗 900
南アフリカの旗 826
ルクセンブルクの旗 44
朝鮮民主主義人民共和国の旗 800,000
中華人民共和国の旗 1,350,000(諸説有り)
ソビエト連邦の旗 26,000
損害
韓国軍 281,161
アメリカ軍 40,677
イギリス軍 1,257
国連軍 1,831
民間人 676,811
北朝鮮軍 294,000
中国軍 135,600
民間人 1,086,000
韓国での表記
各種表記
ハングル 한국 전쟁 / 육이오 사변
漢字 韓國戰爭 / 六二五事變
発音 ハングク・チョンジェン/ユギオ・サビョン
日本語読み: かんこくせんそう/ろくにご じへん
ローマ字転写 Hanguk jeonjaeng/6・25(Yugio) sabyeon
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北朝鮮での表記
各種表記
ハングル 조국해방전쟁
漢字 祖國解放戰爭
発音 チョグッケバンジョンジェン
日本語読み: そこくかいほうせんそう
ローマ字転写 Chogukhaebang-chŏnjaeng
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朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島主権を巡る国際紛争[2][3][4][5]1950年6月25日金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国毛沢東ソビエト連邦ヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した[6][7]

分断国家朝鮮の両当事国、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍東側の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断された。

終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は現在も戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されておらず、緊張状態は解消されていないが、2018年4月27日板門店で第3回南北首脳会談が開かれ、2018年中の終戦を目指す板門店宣言が発表された。

概説

第二次世界大戦中の1943年11月に、連合国カイロ宣言に於いて、1910年より日本領となっていた朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表し、1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて四ヶ国による朝鮮の信託統治が合意された[8]

1945年8月8日よりソ連対日参戦により満洲国に侵攻したソ連軍赤軍)は8月13日当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸していたが、同じく連合国を構成していたアメリカ合衆国は、1945年4月12日大統領に昇格したハリー・S・トルーマン反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。

1945年8月15日日本ポツダム宣言を受諾し連合国に降伏、朝鮮は解放された。しかし8月24日平壌に進駐したソ連軍は朝鮮半島北部を占領、既存の朝鮮建国準備委員会を通じた間接統治を実施し、朝鮮半島南部には9月8日仁川に上陸したアメリカ軍朝鮮建国準備委員会を解体した後、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による直接統治を実施、朝鮮半島は米ソ両国によって南北に分断されたまま、朝鮮半島内で抗日運動を行っていた人士や海外から帰国した左翼右翼が衝突する連合国による軍政を迎えた[9]

その後、米ソ対立を背景に1948年8月15日、南部に大韓民国が建国され、翌9月9日に残余の北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。南北の軍事バランスは、ソ連および1949年建国の中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢だった。武力統一支配を目指す金日成率いる北朝鮮は1950年6月、毛沢東とヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、国境の38度線を越えて侵略戦争を起こした[10]

侵略を受けた韓国側には進駐していたアメリカ軍を中心に、イギリスフィリピンオーストラリアカナダベルギータイ王国などの国連加盟国で構成された国連軍(正式には「国連派遣軍」)が参戦、一方の北朝鮮側には抗美援朝義勇軍(実態は金日成に韓国侵略を許可した中国人民解放軍)が加わり、ソ連は武器調達訓練などで支援した。

北朝鮮が意図的に起こしたため、「代理戦争」や「内戦」と表現する者には親北だと批判がなされている[11]