きさらづし
木更津市
海ほたるPAから木更津市街を臨む
海ほたるPAから木更津市街を臨む
Flag of Kisarazu, Chiba.svg 千葉県木更津市市章.svg
木更津市旗 木更津市章
1947年12月22日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
団体コード 12206-8
法人番号 4000020122068
面積 138.95km2
総人口 135,434[編集]
推計人口、2018年10月1日)
人口密度 975人/km2
隣接自治体 市原市袖ケ浦市君津市
(以下、海上を隔てて隣接)
神奈川県川崎市
市の木 ツバキ
市の花 サツキ
木更津市役所
市長 渡辺芳邦
所在地 292-8501
千葉県木更津市富士見一丁目2番1号
北緯35度22分33.5秒東経139度55分0.6秒
外部リンク 木更津市

木更津市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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木更津市(きさらづし)は、千葉県中西部にある人口約13万5千人の君津市への通勤率は11.5%(平成22年国勢調査)。

概要

木更津市街地

東京湾に面し房総半島中部の上総地方に位置する。中心市街地は旧木更津町の範囲に相当する木更津地区に形成されており、木更津地区には市役所や木更津警察署、木更津消防本部、木更津図書館などの公共施設、および市の中心駅である木更津駅や重要港湾の木更津港が存在する。市の玄関口に該当する木更津駅前および木更津港を中心に商店街を形成するが、バブル崩壊による経済構造の変化に伴い駅前商店街は活性から衰退傾向に転化する。その代わりに1990年代以降、東京湾アクアラインに代表される高速道路網の整備により、主要交通機関が鉄道とフェリーから自動車へと変化し、館山自動車道東京湾アクアライン連絡道に接続する国道16号沿いに郊外型の店舗が集中する。

地理

房総半島の中西部、東京湾岸(内房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南西約30kmに位置する。東京都心から南東に30 - 40kmに位置しており、東京圏の範囲に含まれる。ただし、東京都心と木更津市との間に東京湾を挟むため、移動距離はこれよりも長くなる。東京湾北側を周回した場合の移動距離は70 - 80km程度であり、東京湾アクアラインを利用した場合は45km程度である。[1][2][3]

市域は東西に長く広がっており、市の東部は山地、西部は平地と地形の性質が異なる。市中西部(木更津地区、清川地区)は東京湾に面しており、東京湾へ流れ込む複数の河川により沖積平野が形成する。また、東京湾臨海地区は木更津港南岸から君津市、富津市に掛けて工業用埋立地となっている。市北部(岩根地区、金田地区、中郷地区)では泥層を主とする田園地帯が広がり、木更津駅から千葉方面に向かって走る列車の車窓からはハス田が確認できる。市南部(波岡地区、鎌足地区)を中心に洪積台地が形成され、住宅地として整備されている。特に鎌足地区ではかずさアカデミアパーク構想における研究開発拠点としての整備が行われている。市東部(富来田地区)は、小櫃川流域では田園地帯を形成し、房総半島内陸部の特徴として見られる房総丘陵の山林が広がっている。

市の主な河川として、県内では利根川に次いで2番目に長く総延長88kmの小櫃川がある。小櫃川は君津市、袖ケ浦市、木更津市の3市を貫流し、市内では東部から北部にかけて流れ下り東京湾へと注いでいる。また、小櫃川河口付近では1,400ha程の盤洲干潟が形成されている。市内には特に高い山が無く、最も高い場所でも 標高200m程度である。

木更津市街地(太田山公園から)
市域[4]
  • 東西:21.98km
  • 南北:14.54km
自然
  • 海 : 東京湾盤洲干潟
  • 河川 : 小櫃川矢那川、烏田川、畑沢川
  • 湖沼 : 矢那川ダム、小櫃堰
  • 丘陵 : 上総丘陵(
    • 北:袖ケ浦市
    • 東:市原市
    • 南:君津市
    • 西:

      木更津という地名の由来について、如月の津が転じて木更津になった、木足らずが訛り木更津になったと諸説あるが、一般的には倭建命伝承の一説、君不去(きみさらず)が元になっているというのが通説である(下記の伝承の項参照)。木更津という地名が使われ始めたのは、最も古い文章で1353年文和2年/正平8年)に記された文献で木佐良津と記されている[5]。ただし、当時の江戸湾沿岸を代表する港は木更津の北にある高柳(現在の木更津市高柳)や富津であったと考えられており、1576年に江戸湾沿岸の諸港に半手戦国期に領土を争う両勢力が紛争地の租税を暫定的に半分ずつにする事)を認めた北条氏規朱印状には内陸化した高柳に代わって江川や葛間(現在の久津間、江川とともに木更津市)の名前はあるものの、木佐良津の名前はないため、当時は租税を取るほどではない小さな漁港に近かったと推測されている。

      古事記』や『日本書紀』によると、倭建命が東征の折にこの地方に立ち寄ったと記されており、この事象が元となった地名が随所に見られる。歴史的に考察するとこの地方には倭王権に敵対する勢力が存在していた事を示しているという説がある。事実、小櫃川流域を中心とする地域には支配階級にあたる豪族(国造)が存在していたとされ、それを証明する古墳群が形成されている。奈良時代の文献には小櫃川流域一帯(現在の木更津市、袖ケ浦市、君津市の一部に相当)を馬来田国として記されており、この地方を馬来田国造という豪族が支配していたと記録されている。1950年(昭和25年)市内長須賀の金鈴塚古墳(二子塚古墳)の発掘調査が行われる。この古墳は6世紀後半頃に造られたものとされ、馬来田国造の一族のものとされる。この古墳からは大刀や銅容器・武具・古墳名称の元となる純金製の5つの金鈴などが出土されている。

      1456年(康正2年)頃上総武田氏の祖である 武田信長上総守護代となり、上総地方進出の足がかりとして真里谷城を築城する。以降、真里谷城は庁南城 (千葉県長生郡長南町)と並び上総武田氏の居城として繁栄する。武田信長の子孫の内、真里谷城を拠点とするものは真里谷氏を名乗り戦国大名化する。真里谷氏は一族の内紛と第1次国府台合戦の末に勢力が衰退し、上総地方の支配者も真里谷氏から里見氏北条氏へと移り変わる。1590年天正18年)真里谷城は豊臣秀吉小田原征伐で侵攻された後、廃城になる。現在、真里谷城跡はキャンプ場少年自然の家)として利用されている。

      1614年(慶長19年)大坂冬の陣に木更津の水夫24名が徳川幕府方について戦功を上げる。その水夫の功により幕府は、江戸-木更津間での渡船営業権や江戸の日本橋に「木更津河岸」を拝領地として与える等の特権を与える[6]。ただし、その根拠とされている現存文書は史実と矛盾する内容が含まれており、今日では偽文書と考えられている。もっとも、元和年間(1615年)以後に幕府が木更津に代官を置いた記録は確認できるため、これに近い事実はあったと考えられている。幕府は軍事上の目的から主要河川にを架けることを禁止し陸路には至る所に関所を設ける政策を採っていたため、この時代の流通手段は水運が主流になる(河岸を参照)この特権により木更津は安房・上総-江戸間との海上輸送を取り扱う流通拠点として急激に発展する。運送には喫水が浅く海川両用の 五大力船が用いられた。木更津から江戸にやってくる五大力船は通称木更津船と呼ばれ、歌川広重の浮世絵にも描かれている。歌舞伎の演目『与話情浮名横櫛』は江戸期に木更津で実際に起きた事件がモチーフとなっており、当時の港町木更津の様子を垣間見ることができる。

      江戸時代末期の1825年文政8年)幕府の旗本であった林忠英は3,000石の加増を受けたことにより1万石の大名として諸侯に列し貝淵藩を立藩する。陣屋望陀郡貝淵村に設けられるが、2代目藩主の林忠旭の時代に請西村に移し、以降同藩は請西藩と称するようになる。請西藩は、最後の藩主である4代目林忠崇が藩主自ら脱藩し明治政府の東征軍に抵抗したことが朝敵行為とされ、1868年明治元年)幕府方諸侯の中で唯一改易処分を受ける。

      明治新政府樹立後、1868年(明治元年)改易となった請西藩の替わりに松平信敏が上総国貝淵に移封し1万石で桜井藩が立藩する。1871年(明治4年)廃藩置県施行により 8月には桜井藩は廃藩となり桜井県が設置、11月には桜井県を含む旧安房国上総国に相当する木更津県が設置される。木更津県設置にあたり県庁が貝淵村に設置される。木更津県が存在したのはわずか2年足らずで、1873年(明治6年)には廃止し、印旛県と合併し千葉県となる。1878年(明治11年)制定の郡区町村編制法に基づき望陀郡周淮郡天羽郡の郡役所が設置され、1897年(明治30年)望陀、周淮、天羽の3郡が合併し君津郡が成立した時に君津郡役所が設置されており、君津郡地域において木更津市は政治的中心都市であった。1973年(昭和48年)11月に、木更津県県庁所在地のあった桜井藩邸跡に「木更津県史蹟」の石碑が建てられている。

      日本国内が軍国主義にある1930年代、木更津は軍都として発展する。1935年(昭和10年)当時の 大日本帝国海軍は、帝都防衛を目的に、木更津港北側を埋め立てて航空基地の造成を行った。1936年(昭和11年)3月に木更津飛行場が完成、同年4月1日に木更津海軍航空隊の開隊式が行われる。木更津飛行場は太平洋戦争末期に日本初の国産ジェット機にあたる橘花のテスト飛行が行われた場所でもある。1941年(昭和16年)同航空隊の北東、君津郡巖根村海軍工廠(第二海軍航空廠)が設置され[7]、木更津町および巖根村には工廠で働く工員とその家族が移住したため、急激な人口増加による住宅不足の問題に直面する。2町村では大勢の移住者を受け入れる住居や新しく家を建てる土地も無く、隣接する清川村にも移住者の受け皿としての役割を求めるようになり、木更津町、巖根村、清川村の3自治体を中心に合併協議が進められる。後に協議に加わった波岡村を含める4自治体の人口の合計が当時の市制施行条件である3万人を越すことが人口調査の結果で判明し、1942年(昭和17年)木更津市として 市制を開始した。1945年(昭和20年)太平洋戦争終結以降は米軍の管理下に置かれ、1968年(昭和48年)より陸上自衛隊の駐屯地、海上自衛隊の補給所として利用されている。

      1961年(昭和36年)木更津市に隣接する君津市君津製鐵所の誘致が決定する。その背景には 1950年(昭和25年)に公布された国土総合開発法において千葉県側東京湾沿岸地域の工業地帯化が計画され、農業から工業への転換を図りたい県との思惑が一致し京葉工業地域の開発が促進されたことによる。製鉄所建設に伴い君津郡地域の東京湾沿岸部で漁業を営んでいた漁家は埋立てによって職を失うことになり、県より漁業補償を受けて漁業権を放棄、転業を余儀なくされた[8]。漁業組合と漁業権放棄に関する交渉が終了し、木更津港南岸から君津市の臨海部の範囲を埋立てて製鉄所の建設を開始、1965年(昭和40年)に君津製鐵所の操業が本格的に開始する。君津市への製鉄所進出は木更津市にも影響を及ぼし、木更津市内には同社の系列・関連会社が進出しその社員および家族の転勤による移住が顕著になる。また1960年代から70年代後半にかけて区画整理事業として清見台、請西、畑沢など波岡地区を中心に計821haの土地の宅地造成が行われる。それにより、市内の人口が1960年には約6万人であったのが80年代中頃には12万人を突破、およそ20年の期間で人口が2倍にまで膨れ上がる。

      1983年(昭和58年)千葉県において千葉新産業三角構想が策定される。木更津市およびその周辺都市(君津、富津、袖ケ浦)は新産業三角構想の基幹プロジェクトの一つであるかずさアカデミアパーク構想において、研究開発拠点の母都市に位置付けられる。研究開発拠点の形成を目標としたかずさアカデミアパーク構想に基づき、国際水準に対応した研究機関が集約する研究都市の整備および各拠点とを結ぶ道路網の構築が進められる。かずさアカデミアパークは上総丘陵に整備されることが決定し、1991年(平成3年)に鎌足地区に第一期区画整備が進められ、1994年(平成6年)にはDNA専門の研究所としては世界初となるかずさDNA研究所が開設する。1996年(平成8年)第一期区画整備で計画されていた278ヘクタールについては基幹整備がほぼ完了し、民間の研究所を中心に立地が進められる[9]。かずさアカデミアパーク構想および木更津業務核都市構想に基づき、木更津市を業務核都市として他の都市との道路網の整備が行われ、1995年(平成7年)館山自動車道木更津南ICまで開通し、千葉市との間を高速道路で結ばれる。1997年(平成9年)東京都心部および神奈川県とを結ぶ東京湾アクアラインが完成。2007年(平成19年)館山自動車道が全線開通したことにより、富津館山道路と直結して南房総市まで結ばれた。2012年(平成24年)に市制70周年を記念して市のマスコットキャラクター「きさポン」が誕生しお披露目された[10][11]2013年(平成25年)圏央道東金JCTまで開通して千葉東金道路と直結し、新産業三角構想の内の「国際物流拠点」を担う成田空港成田市)と結ばれるようになった[12]

      年表

      • 1871年(明治4年)11月13日 — 木更津県が設置され、木更津県の県庁所在地となる
      • 1873年(明治6年)6月15日 — 木更津県廃止
      • 1889年(明治22年)4月1日 — 布令により木更津町および9村が発足
      • 1912年(大正元年)8月21日 — 木更津線(現内房線)が姉ケ崎駅から木更津駅まで延伸開業する
      • 1912年(大正元年)12月28日木更津駅久留里駅間を軽便鉄道が開通する(現久留里線
      • 1920年(大正9年)10月1日 — 第1回国勢調査実施。木更津町の人口は8,551人
      • 1924年(大正13年) — 児童雑誌『金の船』12月号にて童謡『証城寺の狸囃子』発表
      • 1936年(昭和11年)4月1日 — 木更津港北側を埋め立て海軍航空隊を設置
      • 1942年(昭和17年)11月3日 — 市制開始。全国で197番目、県下で6番目の市となる。当時の人口は33,817人
      • 1948年(昭和23年)8月14日 — 第1回港まつり開催
      • 1965年(昭和40年)4月1日 — 木更津港-川崎港および木更津港-横浜港(1972年廃止)をカーフェリー就航
      • 1968年(昭和43年)4月17日 — 木更津港が港湾法に基づき、重要港湾に指定される
      • 1972年(昭和47年)-木更津市役所潮見庁舎完成。供用開始。
      • 1975年(昭和50年)5月 — 中の島大橋完成
      • 1976年(昭和51年)9月10日 — 市の人口が10万人を越す。千葉県で9番目の10万人都市となる
      • 1992年(平成4年) — きみさらづタワー完成
      • 1997年(平成9年)12月18日東京湾アクアライン開通。それに伴いカーフェリー木更津-川崎航路が廃止する
      • 2002年(平成14年)1月 - 3月木更津キャッツアイがTBS系列で放送
      • 2004年(平成16年)4月28日アクア木更津がオープン
      • 2009年(平成21年)8月1日 — 社会実験として東京湾アクアラインでETC普通車の通行料が800円に
      • 2011年(平成23年)4月 - — 鳳神ヤツルギ千葉テレビで放送
      • 2012年(平成24年)4月13日三井アウトレットパーク木更津がオープン(2014年7月17日に、第2期拡張部オープン。(全248店舗))
      • 千葉県には倭建命源頼朝に関連する伝承が多いという特徴が挙げられる。この特徴は木更津市においても同様であり、市内には関連する伝承が今に伝えられている。『古事記』や『日本書紀』、『風土記』の一説において倭建命伝説が扱われており、木更津市は倭建命が 上総国に渡る場面の舞台として記されている。源頼朝伝説は、源頼朝が伊豆で挙兵したものの平氏との合戦に敗れて安房に逃れ、房総半島の諸勢力の力を得て再起したという歴史的経緯[14][15]の中から派生したものである。また、童謡証城寺の狸囃子のモチーフとなった、市内の證誠寺に伝わる『證誠寺の狸伝説』が有名である。

        倭建命の東征
        倭建命の東国征伐のこと。船で上総国に渡ろうとした時に一行は海上で嵐に襲われる。そして倭建命の妻、弟橘姫は海に身を投じることで嵐を静めようとする。弟橘姫の祈りが通じたのか嵐が収まり一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地にしばらく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。
        和歌
        君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき
        この歌の一節君さらずが転じて、木更津という地名となったと伝えられている。
        市には吾妻という地名があるが、倭建命が弟橘姫を偲んで「吾妻はや(我が妻よ)」と言った故事に由来するとされている。市内には吾妻神社という神社が存在し倭建命と弟橘姫が祀られている。またこの地域には吾妻、我妻を姓とする人がおり、これも倭建命伝説に由来しているとされている。
        源頼朝伝説[16]
        石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝がこの地方に立ち寄った際に見かけた竹林があまりにも立派だったため、この竹を源氏の旗竿にすることにした。以降この地を旗竿村と呼ぶようになった。伝承では市内の畑沢[17]という地名はこの旗竿村に由来するとされている。また、草敷という地名についても頼朝が刈草を敷いて休息をとったという言い伝えが元になっている。
        源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり、市内の八剱八幡神社に神領を寄進して社殿を造営したという伝えがある。
        證誠寺の狸伝説
        市内の

        市制施行された当初はおよそ3万人の人口であった。市制開始以降は近隣の町村との合併により人口増加を続け、富来田町と合併した時点で人口が86,335人となる。1960年代に入ると県内では内房地域の市町村を中心に、海岸線を埋め立て工業地として整備し、重化学工業メーカーが多数進出する。木更津市においても関連企業の転勤者およびその家族が転入し人口が著しく増加する。1976年(昭和51年) には人口10万人を突破し県内で9番目の10万人都市となり、1985年(昭和60年)には人口12万人を超えた。バブル崩壊で人口が減少に転じたが、1997年(平成9年)を底として反転増加傾向を見せている。特に2000年代終わり以降、東京湾アクアラインの通行料金値下げ、大型商業施設の開業、新たな宅地造成が進んだこともあり、近隣自治体などから移住者が増え、約10%人口が増加する要因となった。

        人口推移(各年10月1日現在)[18]
        年次 人口 [人]
        1942年(市制開始)
          
        33,817
        1950年
          
        37,901
        1955年
          
        51,741
        1960年
          
        52,689
        1965年
          
        54,928
        1970年
          
        73,319
        1975年
          
        96,840
        1976年(10万人突破)
          
        100,132
        1980年
          
        110,711
        1985年
          
        120,201
        1990年
          
        123,433
        1995年
          
        123,499
        2000年
          
        122,768
        2005年
          
        122,234
        2010年
          
        129,312
        2015年
          
        134,141
        人口構成

        平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減を見ると、3.73%増の134,141人であり、増減率は県下54市町村中3位、60行政区域中4位。

        木更津市(に相当する地域)の人口の推移
        総務省統計局 国勢調査より

        地域

        区分

        地区(◎は市役所位置):
        1.木更津地区、2.岩根地区、3.清川地区、4.波岡地区
        5.鎌足地区、6.金田地区、7.中郷地区、8.富来田地区

        人口統計やマスタープランの策定などにおいて、市内を市制施行以前の町村区分で大まかに地域に区分される。また、1889年町村制が施行される以前の区分は大字として残る。


        難読・異読地名[19]

        犬成(いんなり)・茅野(かやの)・畔戸(くろと)・下内橋(げないばし)・真里(まり)・真里谷(まりやつ)・望陀(もうだ)

        地区 大字・町名
        木更津地区 木更津・新田・幸町・中央・東中央・貝渕・吾妻・富士見・新宿・請西・請西東・請西南・文京・真舟・大和・桜井・桜井新町・桜町・太田・長須賀・朝日
        岩根地区 万石・高砂・久津間・岩根・西岩根・江川・中里・高柳・本郷・坂戸市場・若葉町
        清川地区 椿・笹子・犬成・日の出町・中尾・菅生・祇園・清川・永井作・伊豆島・清見台・清見台東・清見台南・東太田・ほたる野
        波岡地区 畑沢・畑沢南・港南台・小浜・大久保・上烏田・八幡台・中烏田・下烏田・羽鳥野
        鎌足地区 矢那・かずさ鎌足・草敷
        金田地区 中野・牛込・中島・瓜倉・畔戸
        中郷地区 大寺・下望陀・上望陀・有吉・牛袋・牛袋野・曽根・井尻・十日市場
        富来田地区 真里谷・真里・下内橋・戸国・茅野・茅野七曲・山本七曲・大稲・田川・佐野・下郡・下宮田・根岸・上根岸
        埋立地 他 潮見・潮浜・木材港・新港・築地・北浜町・中の島・海ほたる(中島地先)

        新興住宅地域

        市内の主な新興住宅地域として、清見台団地、真舟団地、シーアイタウン、八幡台ニュータウン、羽鳥野、ほたる野、請西東・請西南が挙げられる。

        行政

        三役

        歴代市長

        • 石川善之助 (1943年3月11日 - 1946年11月6日)
        • 山崎直 (1946年11月12日 - 1955年4月2日)
        • 浜名儀三 (1955年5月1日 - 1963年4月30日)
        • 荻原孫太郎 (1963年5月1日 - 1967年4月30日)
        • 北見日吉 (1967年5月1日 - 1979年4月30日)
        • 石川昌 (1979年5月1日 - 1995年4月30日)
        • 須田勝勇 (1995年5月1日 - 2002年2月20日[20]
        • 水越勇雄 (2002年3月31日 - 2014年3月30日)

        行政区域変遷

        現在の木更津市は1942年に新設合併で誕生したものである。それ以前の木更津町については当該項目を参照。

        望陀郡木更津町 A 君津郡木更津町 C 木更津市
        望陀郡真舟村 君津郡真舟村 B
        望陀郡巖根村 君津郡巖根村
        望陀郡清川村 君津郡清川村
        周淮郡波岡村 君津郡波岡村
        望陀郡鎌足村 君津郡鎌足村 D
        望陀郡金田村 君津郡金田村 E
        望陀郡中郷村 君津郡中郷村 F
        望陀郡馬来田村 君津郡馬来田村 G 富来田町 H
        望陀郡富岡村 君津郡富岡村
        A 1897年明治30年) 4月1日
        B 1933年昭和8年) 4月1日
        C 1942年(昭和17年)11月3日
        D 1954年(昭和29年)11月3日
        E 1955年(昭和30年)2月11日
        F 1955年昭和30年) 3月1日
        H 1971年(昭和46年)9月10日

        政策

        木更津業務核都市基本構想[21]

        東京圏への一極集中を打開し大都市問題を解決する目的のため、東京圏近郊都市の中から地域の広域中心都市となるべき都市を業務核都市として指定し、東京都の持つ業務機能や商業、医療等といった諸機能を請負い、担うための整備・育成を行う。「第4次首都圏基本計画」(1986年6月決定)により、千葉県では千葉市成田市千葉ニュータウン、木更津市の3地域が業務核都市として位置付けられる。「第5次首都圏基本計画」(1999年3月)では新たに「分散型ネットワーク構想」が方針に盛り込まれ、柏市を含めた4地域について広域連携拠点としての整備を進める。

        1992年3月には木更津業務核都市基本構想が策定され承認を受ける。その概要は次の通り。

        • 県南地域の広域中心都市として認知されると共に、業務核都市としての形成を行う
        • 東京湾アクアラインや首都圏中央連絡自動車道により、交通網を整備・強化して他の業務核都市との連携を図る
        • 木更津駅、木更津港を中心とする市街地を木更津都心地区(約195ha)として、商業、金融、医療等の諸機能の集約し、業務核都市の中心地区として整備を行う
        • かずさ鎌足に整備された、かずさアカデミアパーク地区(約278ha)を中心に研究施設や学術施設、国際会議施設など複合機能を有した施設を集約して、国際水準に対応した研究開発拠点の機能を有する

        財政

        平成19年度 - 27年度までの一般会計決算規模の推移(縦軸単位:[億円])[22]
        100
        200
        300
        400
        500
        平成19
        平成20
        平成21
        平成22
        平成23
        平成24
        平成25
        平成26
        平成27
        平成19年度 - 27年度までの実質収支額の推移(縦軸単位:[億円])[23]
        5
        10
        15
        20
        25
        30
        平成19
        平成20
        平成21
        平成22
        平成23
        平成24
        平成25
        平成26
        平成27
        平成26年度財政状況指数[24]
        • 財政指標
          • 標準財政規模 : 243億4760万5千円
          • 財政力指数 : 0.82(類似団体内平均値:0.74)
          • 経常収支比率 : 92.2[%](類似団体内平均値:90.8[%])
          • 公債費負担比率 : 9.6[%]
          • 実質収支比率 : 7.6[%]
        • 健全化判断比率
          • 実質赤字比率 : -[%]
          • 連結実質赤字比率 : -[%]
          • 実質公債費比率 : 3.0[%]
          • 将来負担比率 : 46.4[%]
        • 職員の給与水準
          • 警察
            • 警察署
            • 自動車警ら隊木更津方面隊 ※27年新設
            • 交番・駐在所
              • 岩根駅前交番 - 小浜交番 - 木更津駅前交番 - 清見台交番 - 長須賀交番 - 江川駐在所 - 金田駐在所 - 桜井駐在所 - 中郷駐在所 - 波岡駐在所 - 馬来田駐在所
            消防
            • 木更津市消防本部(管轄:木更津市)
              • 消防署本署 - 長須賀分署 - 富来田分署 - 金田分署 - 高柳出張所 - 波岡出張所 - 清川出張所

            市庁舎

            東日本大震災が発生したことを受け、市役所庁舎の耐震調査を実施した結果、震度6強で倒壊する恐れがあるという診断が出された[25]。そのため、現庁舎の改修[25]、新庁舎の建設両面で検討した結果、新庁舎建設に決まり、2014年4月に入札を実施したが2020年東京オリンピック建設による建設費高騰等により、入札業者が現れなかった[26]。その際、プレハブ小屋を仮設庁舎とする報道がなされた[27]が、実施されることはなく、現行案、縮小案、先送り案の3案[28]を提示し、コストの面などから先送り案に決定した。しかしながら、現庁舎は耐震性に問題があり、老朽化も進んでいるため、使用することはできず、仮庁舎移転となった。仮庁舎案としては現在地に軽量鉄骨を造る案と民間施設利用の2案が提案され[29]、コストの面や移転の早さなどを鑑み、民間施設利用に決定した[30]。利用する民間施設は、アクア木更津の7.8F部分の一部とイオンタウン木更津朝日の2Fの一部。

        立法

        市議会

        • 定数:24名(地方自治法第91条で議員定数として定める事のできる上限数は、人口10 - 20万人の市に該当する木更津市の場合、34名迄)
        • 任期:2015年(平成27年)5月1日 - 2019年(平成31年)4月30日
        • 議長:滝口敏夫(自由民主クラブ、7期)
        • 副議長:白坂英義(無所属、3期)
        会派名 議席数 議員名(◎は代表)
        羅針盤 6 ◎斉藤高根、石井徳亮、草刈慎祐、永原利浩、近藤忍、平野卓義
        自由民主クラブ 4 ◎三上和俊、重城正義、石井勝、滝口敏夫
        公明党 4 ◎住ノ江雄次、竹内伸江、渡辺厚子、岡田貴志
        一新の会(あらたのかい) 4 ◎大野俊幸、篠崎哲也、國吉俊夫、大村富良
        無会派 6 座親政彦、田中紀子、鈴木秀子、白坂英義、高橋てる子、佐藤多美男

        市議会の委員会

        • 常任委員会
          • 総務常任委員会
          • 経済環境常任委員会
          • 教育民生常任委員会
          • 建設常任委員会
        • 議会運営委員会
        • 特別委員会
          • 基地対策特別委員会
          • みなと木更津活性化特別委員会
          • 合併調査特別委員会
          • 予算審査特別委員会(必要に応じてその都度設置)
          • 決算審査特別委員会(必要に応じてその都度設置)
        • 議会広報委員会

        • 定数:2名
        • 任期:2015年(平成27年)4月30日 - 2019年(平成31年)4月29日
        氏名 会派名 当選回数
        森岳 自由民主党千葉県議会委員会 1
        高橋浩 国民民主党千葉県議会議員会 2

        衆議院

        選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
        千葉県第12区(木更津市、館山市鴨川市君津市富津市袖ケ浦市南房総市安房郡 浜田靖一 自由民主党 8 選挙区

        司法

        木更津市新田に千葉地方裁判所および千葉家庭裁判所それぞれの木更津支部が設置されており、千葉地方裁判所木更津支部には簡易裁判所が設置されている。千葉地方裁判所木更津支部は内房地域を管轄しており、管内で発生した民事訴訟刑事訴訟の合議事件を取り扱う。千葉家庭裁判所木更津支部では家事審判および少年審判を取り扱う。

        司法機関
        • 地方裁判所
        • 家庭裁判所
          • 近隣自治体

            木更津市を含めた4市の区域に相当する範囲には、その昔、明治期の郡制に基づき君津郡が存在していたという事で歴史的・行政的に関係が深く、1991年、袖ケ浦町の市制開始に伴う君津郡消滅後も旧君津郡4市を一括してかずさ4市と呼称される。
            2000年代に入り、
            • 状況

              木更津市の経済状況は、戦後の高度成長と共に成長し、最盛期には37万人の商圏人口を持つ商業都市として形成されていくが、日本国内で1990年代初頭に起きた「バブル崩壊[32]により好況から不況へと暗転する。

              太平洋戦争中は軍関連の施設が存在したこともあり、その施設関係者と工員が移住したことによって人口が増加し、木更津は軍都として発展する。戦後の高度経済成長期には千葉県の内房地域が京葉工業地域として発展する経緯の中、市の臨海部では埋立が行われ木更津港が工業港として整備され、隣の君津市には八幡製鐵(現新日鐵住金)の 君津製鐵所が誘致される。君津市と接する波岡地区を中心に宅地整備が行われ、製鉄所関係者およびその家族が移住し人口が著しく増加する。人口増加を契機に経済活動が活発になり、木更津駅前には大手販売店であるそごうダイエー西友などが進出し、木更津市を中心とする木更津商圏が形成され、県南地域の商業都市として発展する。

              1980年代に入ると、千葉県で千葉新産業三角構想が策定され木更津市はかずさアカデミアパーク構想の母都市(他に君津市、袖ケ浦市、富津市を含む)に位置付けられる。この構想により鎌足地区の丘陵地帯では研究開発拠点の整備が行われ、民間を中心とする研究機関の誘致活動が行われる。また、国の政策として首都圏の大都市問題緩和を目的とする木更津業務核都市構想が計画される。歴史的経緯に明治維新期に木更津県県庁が存在した事、県南部の経済の中心として認識されている事、かずさアカデミアパーク構想等により、木更津市は業務核都市に位置付けられ整備が行われる。その一環として東京湾横断道路建設が計画に含まれる。

              東京湾横断道路建設にあたり、当初の事業計画では対岸の川崎市横浜市東京など京浜地区との交通の便が良くなる事で人の交流や物流が頻繁となって経済活動に好影響を与えると予想され、住宅購入者の増加や企業進出の増加などが見込まれていた。ところが実際に開通してみると事業計画の予想とは正反対の結果に働き、考えられていた地域振興や発展には繋がらず、逆に経済活動が混迷する事になる。

              当初アクアラインの交通量は2万5千台/日と予想していたが、実際に開通した結果は1万台 /日と予想を大きく下回る[33]。期待されていた東京のベッドタウンとしての需要がほとんど発生せず、人口増加や産業発展を見越して計画されていたかずさアカデミアパークや宅地造成地には売れ残りの区画が目立つ状態であり、小売業においては京浜地区の小売業者との競争を否応無しに強いられることになり、物量の面や商圏地域の魅力等の要因により購買客の流出が顕著となり、商圏人口が37万人から12万人に低下、商圏の吸引力低下により商業中心都市から準商業中心都市に格下げられる[34][35]。結果、木更津市は対岸の京浜地区と県南部の通過点となり、ストロー効果が生じて流出面が顕著になった。

              また、バブル崩壊による国内の景気低迷の影響により、東京湾横断道路完成を見越して上昇傾向にあった駅前商店街の地価は、1991年のピークを境に著しく下落。1999年から2003年にかけて東京圏における地価下落率の1位[36]となる。また商業地域への影響は大きく、日本長期信用銀行の破綻によるそごうグループに対する金融支援の行き詰まりが要因で2000年7月木更津そごうが撤退、そごうがテナントとなっていた駅前の西口再開発ビル(アインスビル)を運営していた第三セクターもキーテナントを失ったことによって翌年に倒産し、連鎖するように駅東口に出店していたダイエーも閉店する。木更津そごうやダイエーのような駅前の中心的存在であった大型店舗が相次いで撤退した事により、集客力を失った駅前商店街では閉店する店舗が続出し、閑散としたシャッター通りへと変貌する。

              行政では1998年に議決された木更津市基本構想において産業発展と国際交流が課題として挙げられており、交通網の整備と物流の強化、雇用の確保と人口増加、市民生活の充実、経済活動の活性化を目標とした基本計画を策定し実施している。また、駅前の中心的な建物であったアインスビルにはそごう撤退後、8階の空フロアに市民の企業活動支援を目的としたチャレンジセンター(チャレンジセンター Let's木更津)や、情報通信環境を備えた共同利用型のテレワークセンターを開設し地域活性化に向けた活動が行われ、2004年4月にアクア木更津という新名称で再オープンした。しかしテナントとしていたスーパー・マルエイJJCLUB100が相次いで閉店し、その後2009年にビルの運営・管理を行っていた日本総合企画が倒産し、2010年、木更津市はアクア木更津ビルを売却、以後の管理は売却先の有限会社金剛山が管理することになった。

              2009年4月に千葉県知事に就任した森田健作知事の自身の選挙公約に基づき、2009年8月1日から千葉県側の負担をもとにETCによる通行料を普通車800円にする社会実験が開始された[37]。千葉県商工労働部観光課が調査している、観光客の入込動向調査の報告(平成22年観光客の入込動向について[38])によれば、平成22年(2010年)と実験開始前の平成20年(2008年)の観光入込客数を比較すると安房地域で+9.7%(+1,078人)、君津地域で+18.1%(+2,426人)増加したと報告されており、東京湾アクアラインの値下げ効果があったという見解が示されている。2010年7月の「第57回九都県市首脳会議」および2010年6月の「平成22年度定例第一回(春)関東地方知事会議」それぞれの合意に基づき、内閣府、財務省、国土交通省に対して『東京湾アクアラインの料金に関する要望』が提出された。要望書では「実験開始以降のアクアライン交通量が1.5倍 - 2.0倍の増加が見られ、首都圏の人・物の動きが活発化し、経済活性化などの効果が出始めている。そのため、首都圏の高速道路の料金体制の見直し、特に平成23年(2011年)以降も国策としてアクアラインの料金引き下げを継続すること[39]」を挙げている。

              2011年現在、アクア木更津ビルは2010年秋ごろをめどにマリンゲート木更津としてのリニューアルオープンが予定され[40]、生鮮市場やKid's US.LANDなどがオープンしたが、現在もアクア木更津として運営されており、マリンゲート木更津としてのオープンがどうなったのかは公になっていない。南西部の築地地区には、イオンモール木更津[41]が2014年にオープンした。また、2012年には北西部の金田地区に、三井アウトレットパーク 木更津[42]ベイシアカインズホーム東京インテリア家具がオープンしており、周辺地域の発展が期待される。

              産業

              産業別就業者数の総数は60,940人であり、全体の比率の中では第3次産業が7割近くを占めている。また、分類別で就業者数上位5位を挙げると卸売業小売業 9,139人(15.0 %)、製造業 8,324人(13.7 %)、建設業 6,310人(10.4 %)、医療福祉 5,481人(9.0 %)、運輸郵便 4,661人(7.6 %)の順に多い[43]

              市内の産業別事業社数上位5位は卸売・小売業 1,386所(25.8 %)、宿泊・飲食サービス業 842所(15.7 %)、建設業 674所(12.6 %)、生活関連サービス・娯楽業 538所(10.0 %)、医療・福祉業 294所(5.5 %)である。[44]

              産業別従事者数(平成22年10月1日現在)[45]
              事業所数(個人、会社総数)(平成21年7月1日現在)[46]