おきなわけん
沖縄県
Naha Shuri Castle16s5s3200.jpg
沖縄県の旗 沖縄県章
沖縄県旗 沖縄県章
日本の旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
団体コード 47000-7
ISO 3166-2:JP JP-47
面積 2,280.98km2
総人口 1,445,812
推計人口、2018年7月1日)
人口密度 634人/km2
隣接都道府県 鹿児島県
県の木 リュウキュウマツ
県の花 デイゴ
県の鳥 ノグチゲラ
他のシンボル 県の魚 : タカサゴ(グルクン)
県の歌 : 沖縄県民の歌
本土復帰記念日 : 5月15日
慰霊の日 : 6月23日
沖縄県庁
知事 欠員
(知事職務代理者:富川盛武)
法人番号 1000020470007
所在地 900-8570
沖縄県那覇市泉崎一丁目2番地2号
北緯26度12分44.8秒東経127度40分51.3秒座標: 北緯26度12分44.8秒 東経127度40分51.3秒
沖縄県庁
外部リンク 沖縄県
沖縄県の位置

沖縄県行政区画図

― 市 / ― 町・村

ウィキポータル 日本の都道府県/沖縄県
 表示 ウィキプロジェクト

沖縄県(おきなわけん)は、日本で最も西に位置する沖縄本島宮古島石垣島など多くの島々から構成される[1]県庁所在地那覇市

概要

鹿児島県薩南諸島を除く南西諸島の島々(沖縄諸島先島諸島大東諸島)から構成されており、東シナ海太平洋に挟まれている。面積は2,281㎢と香川県大阪府東京都に次いで小さく、また人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある[2]

県民の約9割が沖縄本島に集中しており、行政上は沖縄本島とそれ以外の離島とに分けられる場合がある。

ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最高気温と最低気温の差も小さく標高の高い山も存在しないため氷点下になることもない。

海上輸送路(シーレーン)および軍事的要地(第一列島線)として重要な場所に位置し、多数の在日米軍基地が存在する。主な米軍施設として、嘉手納飛行場普天間飛行場キャンプ・バトラー等が存在する。

与那国島は日本最西端の領土であり、八重山郡与那国町は日本の最西端の地方自治体でもある。また正確な日本の東西南北の最端部の中で唯一自由に訪れることができる場所である。

尖閣諸島は同県石垣市に属しており日本が実効支配している日本固有の領土だが、中華人民共和国および中華民国台湾)は尖閣諸島(あるいは沖縄県全土)の領有権を主張している。(中華民国による沖縄県への認識中国人による沖縄県への認識、および「尖閣諸島問題」」を参照)。

同地にはかつて三山を統一した尚巴志により建国された琉球王国が存在し、明国清国朝貢冊封を受けていた(第一尚氏王朝)。1469年尚徳王の家臣の金丸が首里城でクーデターを起こし王位を簒奪、金丸は自らを尚円王と号する(第二尚氏王朝)。1609年慶長14年)に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏し、当時王国の領土であった奄美群島は薩摩藩に割譲[3]王府は薩摩藩の影響下におかれた(琉球侵攻)。以来、琉球王国は日本の薩摩藩と清国に『両属』する曖昧な国際的地位となっていたが、鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と地位を保っていた。

近代に入り日本本土で明治維新がおこり開国したことを受け清国との間に外交関係が樹立されると中央集権国家の確立を急ぐ明治政府の命により琉球王国は琉球藩に、後に廃藩置県沖縄県となり、尚泰王は強制廃位させられ約450年間続いた琉球王国は名実共に消滅した(琉球処分)。清国は日本側の一方的な処分に抗議するなど帰属問題は尾を引いていたが、後に日清戦争で日本が勝利したことにより沖縄の領有権が最終的に確定した。琉球王国時代の城跡遺跡は『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコ世界遺産に登録されている。

1945年昭和20年)、太平洋戦争では『唯一の地上戦』と呼ばれる[4] 沖縄戦の戦場となった。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、6月23日に沖縄守備軍最高指揮官の牛島満中将らが摩文仁で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は沖縄戦跡国定公園に指定されており、6月23日は慰霊の日として沖縄県の休日となっている。

戦後、南西諸島は米軍の占領下におかれ、沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治)。米軍主導のもと新たに『琉球政府』が誕生、基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。1952年(昭和27年)にGHQの占領下にあった本土が主権回復した後も引き続き沖縄は米軍の統治下におかれた。1950年代以降になると朝鮮戦争ベトナム戦争が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、B-52等の戦略爆撃機枯葉剤核兵器といった大量破壊兵器も多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた[5]。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰する直前にはほぼ倍になるまで増加した。しかし米軍による強権的・差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。1971年(昭和46年)に佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、翌1972年(昭和47年)に沖縄は日本に返還され沖縄県が復活した。(沖縄返還[6][7]。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は当県の主要な政治課題となっている(「普天間基地移設問題」を参照)。

歴史的経緯・文化・風習・習慣・人名・方言・経済・制度的にも本土のそれとは大きく異なり、俗に県外のことを「内地(ナイチ)」、県民以外の人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。

日本屈指のリゾート地であり、歴史文化・沖縄料理レジャーマリンスポーツ戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れており、観光業を含む第三次産業が79.2%を占めている一方で第一次産業は5.4%、第二次産業は15.4%と非常に低い[8]

また格闘技界においては空手の発祥の地として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の道場に入門し稽古している。

名称

「沖縄(おきなわ)」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)とがあるが、いずれも定説には至っていない。

淡海三船が著した鑑真の伝記『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』(779年成立)では、天平勝宝5年12月12日754年1月9日)遣唐使一行が阿児奈波島(おきなわじま/あじなわじま/あこなはじま)に漂着したと記されており、この島は沖縄本島のことを指していたという[9]。のちに中国による呼称の琉球と呼ばれるようになったようである。この琉球の語源についてもまだ明らかになっていない。

琉球処分の際、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により鹿児島県奄美群島を除く琉球諸島全域が沖縄と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった[10]

地理・地域

沖縄県の地図

国土交通省による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る[11]。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある。(九州・「九州」の由来参照)国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている[12][13]国土地理院海上保安庁によると、沖縄県は363の島から成っている[1]。49の有人島と多数の無人島からなり、0.01km2以上の面積を有する島は160島存在する[14]。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ[15]。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。
沖縄本島宮古島の間は宮古海峡と呼ばれ最狭区間でも約145海里(約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が領海接続水域になっており、残りの約97海里(約97km)が排他的経済水域になっている。
与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。

沖縄県の端[16]
所属自治体 備考 位置
最北端 硫黄鳥島 久米島町 有人島に限れば伊平屋島[17]
沖縄県の位置(南西諸島内)
硫黄鳥島
硫黄鳥島
波照間島
波照間島
北大東島
北大東島
与那国島
与那国島
那覇市
那覇市
伊平屋島
伊平屋島
沖縄県 (南西諸島)
最南端 波照間島 竹富町 日本最南端の有人島[18]
最東端 北大東島 北大東村
最西端 与那国島 与那国町 日本最西端の島[19]

離島が多いものの、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊海上保安庁が行っている。なお、宮古島石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。

県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には九州島全域や下関市上海福州台湾島全域が含まれ、1,500km圏内には大阪南京ソウル平壌マニラ香港などが位置する。2000km圏内には東京仙台北京瀋陽海南省海口市長春ウラジオストク等が存在し、2500km圏内には稚内成都重慶ハノイグアム北マリアナ諸島パラオが収まるなど、まさに東アジア東南アジア日本との接点とも言える位置にある。

沖縄本島の中部・南部は那覇市沖縄市を中心として都市化・人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)。その上、治外法権の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため人口密度は全国で第9位であり、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に高い。

地質

琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000の窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリッピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。

自然

生物
亜熱帯生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラヤンバルクイナヤンバルテナガコガネといった天然記念物等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島等が沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がるほか、イリオモテヤマネコ等の貴重な生物が生息している。なお、環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道(61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。
大雨水不足
2005年(平成17年)から2007年(平成19年)各年の6月梅雨前線の影響で大雨とが沖縄本島を襲い、各地で冠水、土砂崩れ崖崩れ等が相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、梅雨台風による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候・地形的に水不足に陥りやすい[20]。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年(昭和47年)に約96万人と増加し、需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われた[21][22]。特に1981-1982年の渇水では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また1997年(平成9年)に気候に左右されず安定して水の供給が可能な海水淡水化施設が北谷町に完成し[23]2005年(平成17年)に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。
地震
「地震大国」と言われる日本において、
那覇市
雨温図説明
123456789101112
 
 
107
 
20
15
 
 
120
 
20
15
 
 
161
 
22
17
 
 
166
 
24
19
 
 
232
 
27
22
 
 
247
 
29
25
 
 
141
 
32
27
 
 
241
 
32
27
 
 
261
 
30
26
 
 
153
 
28
23
 
 
110
 
25
20
 
 
103
 
21
16
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁 那覇(1981年 - 2010年の平均値)

日本国内における気候区分では南日本気候に属する。

宮古島多良間島石垣島西表島与那国島波照間島沖大東島熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に、それ以外の地域では亜熱帯性で温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000mm以上で、年間平均気温は約22°Cとなっている。しかし、最高気温が35℃を超える猛暑日になることはほとんど無い[25]。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること(海洋性気候)から、フェーン現象や晴天弱風と都市化がもたらす大規模なヒートアイランド現象のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。月別で注目すると、降水量は梅雨入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。梅雨明け頃には、夏至南風(沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ[26])と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる季節風として知られている[27]

降雪

冬期に降雪があることはごくまれであるが、1977年(昭和52年)2月17日久米島で、2016年(平成28年)1月24日に久米島と名護市でそれぞれみぞれ(気象記録上はと同じ扱い)が観測された[28]気象庁が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である[29]

観測開始以前においては、琉球王国の正史とされる『球陽』によると、1774年1816年1843年1845年1857年にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している[30]

なお、昭和38年1月豪雪では県内各地であられひょうなどが観測されており農作物への被害も発生している[31]

1999年(平成11年)12月20日とその前後に那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、NHK沖縄放送局でもその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で[32][33]、公式な降雪記録とはなっていない。

沖縄県内各地の気象データ[34]
平年値
(月単位)
沖縄諸島 大東
諸島
宮古諸島 八重山諸島
沖縄本島















石垣島 西表島





国頭村
名護市 金武町 那覇市 南城市
糸数
登野城 伊原間 祖納 大原
気候区分 Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Af Af Af Af Af Af Af Af
平均
気温

(°C)
最暖
26.7
(7月)
28.8
(7月)
28.6
(7月)
28.9
(7月)
27.1
(7月)
28.3
(7月)
26.7
(7月)
28.8
(7月)
28.5
(7月)
28.7
(7月)
29.0
(7月)
29.5
(7月)
28.8
(7月)
28.9
(7月)
28.9
(7月)
28.9
(7月)
28.8
(7月)
最寒
14.5
(1月)
16.3
(1月)
16.2
(1月)
17.0
(1月)
15.2
(1月)
16.1
(1月)
15.3
(1月)
16.7
(1月)
17.7
(1月)
18.0
(1月)
18.4
(1月)
18.6
(1月)
18.3
(1月)
18.3
(1月)
18.0
(1月)
18.8
(1月)
18.4
(1月)
降水量
(mm)
最多
309.5
(6月)
248.2
(8月)
228.8
(5月)
260.5
(9月)
253.3
(6月)
269.9
(6月)
268.8
(5月)
263.9
(6月)
200.6
(5月)
262.5
(8月)
249.6
(8月)
261.6
(8月)
250.6
(9月)
273.6
(8月)
284.1
(8月)
197.7
(9月)
293.2
(9月)
最少
138.3
(12月)
96.2
(12月)
78.3
(12月)
102.8
(12月)
111.7
(1月)
97.5
(12月)
124.1
(12月)
119.0
(7月)
84.7
(1月)
130.8
(1,7月)
127.2
(12月)
126.3
(12月)
122.3
(7月)
141.6
(7月)
137.6
(3月)
106.2
(12月)
138.5
(7月)
日照
時間

時間
最長
239.2
(7月)
245.7
(7月)
218.1
(7月)
238.8
(7月)
210.1
(7月)
289.8
(7月)
230.5
(7月)
255.4
(7月)
278.8
(7月)
246.7
(7月)
199.1
(7月)
264.5
(7月)
245.6
(7月)
253.2
(7月)
245.4
(7月)
259.3
(7月)
258.9
(7月)
最短
78.3
(1月)
86.2
(2月)
88.3
(2月)
87.1
(2月)
93.0
(2月)
91.5
(1月)
87.8
(1月)
77.4
(2月)
114.5
(2月)
82.6
(2月)
73.9
(1月)
82.1
(2月)
70.5
(1月)
74.5
(1月)
86.5
(2月)
91.9
(1月)
55.7
(1月)
  • 1981年から2010年まで(ただし金武町、多良間島は1971年から2000年まで)の平均値

島嶼

沖縄県に属する島嶼の面積上位20島
島嶼名 面積 (km2) 島嶼名 面積 (km2)
1 沖縄本島 1,206.98 11 多良間島 0019.81
2 西表島 0289.61 12 渡嘉敷島 0015.31
3 石垣島 0222.25 13 伊是名島 0014.12
4 宮古島 0158.87 14 波照間島 0012.73
5 久米島 0059.53 15 北大東島 0011.93
6 南大東島 0030.53 16 黒島 0010.02
7 伊良部島 0029.06 17 下地島 0009.68
8 与那国島 0028.95 18 小浜島 0007.86
9 伊江島 0022.76 19 屋我地島 0007.82
10 伊平屋島 0020.66 20 粟国島 0007.62
出典:国土地理院(2016年10月1日現在)[35]

自然公園

沖縄海岸国定公園(万座毛

地形

山岳
河川

本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、流域面積が小さいことが挙げられる[38]。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。またマングローブ林など日本本土と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している[39]。現在、沖縄本島北部では赤土の流出、中南部では畜舎からの排水等の影響による河川汚染が問題となっている[40][41]

本県には国内で唯一、一級河川が存在しない。二級河川の開発は知事の要請に基づき沖縄振興特別措置法により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている[42]

  • 浦内川 - 沖縄県最長の川でマリユドゥの滝などを有する。
マリユドゥの滝
湖沼・干潟等

歴史

古代 『続日本紀』には、文武天皇2年(698年)に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年(699年)に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。和銅8年(715年)には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも養老4年(720年)に南島人232人に位を授け、また神亀4年(727年)に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある