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西新宿
—  町丁  —
西新宿の超高層ビル群(東北東の方角からの風景)。富士山の手前に見えるのが東京都庁舎(第一本庁舎)、中央の葉巻型のビルモード学園コクーンタワー
西新宿の位置(東京23区内)
西新宿
西新宿
西新宿の位置
座標: 北緯35度41分22.8秒 東経139度41分32.51秒 / 北緯35.689667度 東経139.6923639度 / 35.689667; 139.6923639
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Shinjuku, Tokyo.svg 新宿区
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 21,000人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 160-0023[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

西新宿(にししんじゅく)は、東京都新宿区内の地域名・町名。現行行政地名は西新宿一丁目から西新宿八丁目。住居表示実施済みの地域。郵便番号は160-0023[2]

概要

西新宿の範囲は新宿駅の西口から、渋谷区中野区の区境付近までで、日本でも屈指のターミナル駅である新宿駅の西側一帯の地域である。繁華街のほか新宿新都心(副都心)と呼ばれる超高層ビル街がある。超高層ビル群は日本最大級のオフィス街を形成しているが、周辺には再開発されていない古くからの住宅街も存在する。

歴史

歌川広重の「名所江戸百景」の角筈熊野十二社。十二社池(現在の西新宿四丁目付近にあった池)が描かれている。
淀橋浄水場(1956年)
淀橋浄水場(1956年)

西新宿の名の由来は、新宿地区の西に位置することからであるが、この名称になったのは1970年昭和45年)の住居表示が実施されてからで、それ以前この地の大半(西新宿一 - 六丁目)は角筈(つのはず)と呼ばれていた。これはかつての角筈村の範囲、南豊島郡淀橋町発足後は大字角筈の範囲に基づく。また青梅街道の北側(西新宿七 - 八丁目)は柏木(かしわぎ)一丁目と呼ばれていた[4]。これらの地名は、新宿区特別出張所やバス停の名称などに未だに見られる。また、新町(しんまち)・成子(なるこ)町・十二社(じゅうにそう)・辻・幡谷前・豊水・添地町・五十人町といった字(あざな)も過去にみられ、いずれも史跡やバス停などの名称、現地の通称として残っているものもある。

内藤新宿の宿場からもやや離れた当地は、江戸時代は現在の西新宿四丁目に十二社池と熊野神社の滝それに伴う茶屋のほかに屋敷なども見られたが、農村が主体であった。この地域に最初に変化をもたらしたのが1885年明治17年)の新宿駅の開業である。1889年(明治22年)には、品川線(現:山手線)・甲武鉄道(現:中央本線)のターミナル駅となり、街の発展の礎となった。この鉄路を生かして、1898年(明治31年)には長らくこの街のシンボルであった、淀橋浄水場が完成。これは東京の市中に送る水道の施設であり、東京における近代水道発祥の地となった。

このころから地方から東京へ移住してきた人も近辺に住み始めるようになったがこれに拍車をかけたのが1923年大正12年)の関東大震災であり、東京の市内で震災で住居を失った人たちが、広い山の手郊外に土地を求め、住宅が多く立ち並ぶようになり西新宿一帯は山の手の代表的な住宅地となった。しかしながら東口方面と異なり、西口には商業集積はなにもなく、東京地方専売局淀橋工場と浄水場が主な施設であり、これ以外には人家と学校があるに過ぎなかった。このため、今後の新宿の繁栄のために広大な面積を占める浄水場の移転が大正末期ごろから地元民によって要望され始めた。行政当局によって浄水場の移転を含む西口一帯の都市改造が具体的に検討、計画されたのは1932年(昭和7年)からであった。同年3月、東京市会に東京市第二水道拡張計画案が提出され、これにもとづき翌4月に策定された当局の財政計画は浄水場の機能を武蔵野市境に移転させ、浄水場の売却処分収入を市債の償還費にあてて都市計画東京地方委員会によって浄水場移転を前提とした街路計画を策定し、9月に都市計画決定した。浄水場跡地中央の位置には当時円形の広場は予定されていて、青梅街道や甲州街道ほか街路網をバロック的な街路計画にまとめていた。これが今日新宿副都心での最初の法定計画となったが、浄水場の移転自体が戦後になったので、完成は戦後に持ち越された。

戦後まもなく、東京の街が西へと広がるのと戦後復興の一環として、交通の要所となっていた新宿の街の利便性が注目され、当地に商業施設を集中させる、新宿副都心計画が策定された。それは、駅の至近にあった淀橋浄水場を移転させ、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設し、一大商業エリアにするというものであった。日本高度経済成長のさなか、まず1965年(昭和40年)に東村山市に浄水場が移転され、1971年(昭和46年)に京王プラザホテルが建設された。この京王プラザホテルを皮切りに200m超の高層ビルが建設され街のシンボルとなった。また1960年代を境に、新宿駅周辺の私鉄系のデパート小田急百貨店京王百貨店)の建設、都電都電杉並線)の廃止、新宿駅西口地下広場の建設など駅周辺の再開発もこの街の歴史に触れる際に重要である。(新宿駅西口地下広場については新宿駅西口地下広場を参照)。

1991年平成3年)に東京都庁舎が新宿高層ビル群の一角に移転開庁し、ほぼ現在見られる街の姿となった。

一方で、駅から離れた地域では、依然として昔からの住居が多く、昭和時代の東京の住宅街の面影を残しているが、ビルの建設や、自治体の再開発計画なども多く、年々これらの面影も薄れてきており、商業地域としての西新宿が年を追うごとに顕在化している。

現代の西新宿丁目毎の地域状況

新宿新都心の朝の通勤風景(西新宿二丁目・新宿三井ビル付近)
丁目 地域性
西新宿一丁目 新宿駅周辺・デパート・飲食・電化製品などの大規模商店
西新宿二丁目 超高層ビル群・都庁高級ホテル公園
西新宿三丁目 高級ホテル・旧マンション・オフィス
西新宿四丁目 住宅地飲食店
西新宿五丁目 住宅地・個人商店・飲食店・新興マンション・再開発地域
西新宿六丁目 超高層ビル・高級ホテル・新興マンション・病院
西新宿七丁目 パブ・スナック・飲食店・旧マンション・オフィス
西新宿八丁目 住宅地・新興マンション・再開発地域

年表