ブラジルの首都、ブラジリア
ボリビアの憲法上の首都、スクレ
オーストラリアの首都、キャンベラ
南アフリカ共和国の首都の一つ、プレトリア
フィリピンの首都圏、マニラ首都圏
ベトナムの首都、ハノイ

首都(しゅと、: Capital city)とは、一国の中心となる都市のことを指す。ほとんどの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことである。ただ、場合によっては、中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が首都とされることもある。首府国都などとも呼ばれ、また、帝制国家王制国家の場合は帝都王都等の称がある。

字義

「首」はかしら(頭)くび、こうべ、かみ(上位:首座)、かなめ(要)、かしら(魁帥)、おさ(長)などの意。「都」はみやこ、天子の宮城のある首府をあらわす。代の行政上の区画では君主の宗廟のある場所を都(ト・ツ)といい、無い場所を(イウ)と呼んだ。「都」は寄せ合わせ残らず集める意。曹丕文「頃撰二遺文、一都爲二一集」。「京」はみやこ(帝都)切り立った高い場所、丘、高い、多い、くじら(鯨=京)などの意。「京師」は天子の居ますみやこ、京は大、師は衆、大衆のおる所の意、春秋成十三「公如京師」。「京都」はの時代、景王の諱を避けて京師を京都としたことによる、魏志文帝紀「任城王薨於京都」[1]。みやこを首にたとえる成語には「首善之區」があり、漢書・儒林傳序に「故教化之行也,建首善自京師始」とある。英語Capitalの語源はラテン語kaputであり印欧語の「頭」あるいは「ウシの頭」をあらわす。Capitalは「資本」とも翻訳される。メトロポリスはギリシャ語で「母都市」の意(mḗtēr「母」+pólis「都市」)[2]

日本では京、洛などと表記され、幕末から戦前にかけては「帝都」、戦後は「首都」と呼称することが多い。「帝都」の字句は幕末期の文書:船中八策に登場している。

類義語

主都

漢字検定テキストなどによっては、「主都」は「首都」の誤字・誤用とされている[3]。ただし、「主」はきみ(君主)国家の元首やあるじ、ぬし(家長)、つかさどり(宰)まもり(守)すべる(領)ひと、神や神霊のやどるところ、神などをあらわす意であり、帝都を主都と表記しても字義的には誤りではないと解することもできる。

また、国の首都とは別に、その地域のおもだった都市(プライメイトシティ)を指して「主都」と記述することがある(例:ドイツバイエルンの主都であるミュンヘン)。「都」ではなくその地域でのおもだったムラ(邑)という意味で「主邑」(しゅゆう)との表現がある。

日本のキリスト教では「主都」を冠する会派がある。

首都圏

「首都」の他に「首都圏」という用語もある。「首都」はひとつの都市であるのに対して、「首都圏」は首都とその周辺に広がる都市の群、即ち圏域(都市圏を指す。いわば、「首都」はであるのに対して「首都圏」はであることになる。首都圏を1個の地方行政区分とする例(フィリピンマニラ首都圏インドデリー首都圏)もあれば、日本のように一部の法律に定義される程度の事例まで存在する。また、中国の北京市など、首都の地方行政区分の区域を広げる例もある。

日本の首都

日本の首都について直接定める法令はないが、日本の現状や様々な理由から東京あるいは東京都とされる。東京都からは衆議院国会等の移転に関する特別委員会に対して、日本の首都の定義に関する質問を何度か行っている[4]

世界の首都

首都の位置を憲法や法令で明示的に記述している国も存在する。たとえばドイツ連邦共和国は憲法や法律により首都を具体的に指定しており、ドイツ連邦共和国基本法第22条(1)「ドイツ連邦共和国の首都はベルリン」(Art 22 (1) Die Hauptstadt der Bundesrepublik Deutschland ist Berlin. ドイツ連邦法務省のサイトより) と明記する。 また、逆に法定の首都を持たない国も存在する。たとえばイギリス日本は首都の地位を明示する法が存在しない。 しかし、アメリカ合衆国の様に首都の具体的な地域は指定しないが1790年の合衆国首都設置法は首都の位置をワシントンD.C.と明示していたり、オランダボリビアタンザニアなどのように、法的に定められている首都と実際に首都機能が置かれている都市が違う場合もある。

複都制

首都と呼べる都市を複数持つ国もある。現在日本でも首都が地震や災害などで機能しなくなる事を防ぐ為、首都機能をバックアップする為に近畿圏に副首都を設置・整備する副首都構想がある。

日本・中国・朝鮮における歴史的な

古代の東アジアでは、中国の長安洛陽太原の三都制(後には鳳翔成都を加えた五都制となる)を採用しており、さらに日本(天武朝など)や渤海などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていたも、実質的には長安が第一首都(正都)であってその他の都は名目上(副都)にとどまっていたが、時には皇帝は長安を離れて洛陽に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。

鎌倉時代後期・江戸時代の日本でも首都機能が分散されており[5]、名目上の首都(天皇のいる)と、行政機関所在地(幕府のある江戸)とが別々に置かれていた[6]

近代・現代における複都制

複数の首都がある事例

三権分立の観点から、国家の中枢機能を複数の都市に分割している国がある。

稀な例であるが、時期によって首都を移動させる国もある。

  • 王制時代のリビア(1951〜1963年はリビア連合王国、1963〜1969年はリビア王国)では、トリポリベンガジの2つの首都を置いており、国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた。

王国では、王宮所在地と首都が一致しないことがある。

  • かつてのラオス王国(1945-1975)では、首都はヴィエンチャンであったが、国王はルアンパバーン(ルアンプラバン)に居住しており、後者はラオスの「王都」と呼ばれていた。これも、「複都制」の類型のひとつとみなすことができよう[7]
  • スワジランド王国では、首都であるムババーネには政府と最高裁判所が存在し、国王の居住する王宮と議会(リバンドラ)はロバンバにある。なお、スワジランドの国王は単なる儀礼的地位ではなく、政治の実権を握っている。

稀な事例ではあるが、首都と、実権を握る国家元首の常住地が異なっている場合もある。