首里
しゅり
日章旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
自治体 那覇市
旧自治体 首里市
世帯数
22,426世帯
総人口
57,915
住民基本台帳、2010年9月30日現在)
隣接地区 市内:那覇市真和志
市外:浦添市西原町南風原町
那覇市役所首里支所
北緯26度13分18.17秒 東経127度43分31.07秒 / 北緯26.2217139度 東経127.7252972度 / 26.2217139; 127.7252972座標: 北緯26度13分18.17秒 東経127度43分31.07秒 / 北緯26.2217139度 東経127.7252972度 / 26.2217139; 127.7252972
所在地 〒903-0807
沖縄県那覇市首里久場川町2丁目18番地9
首里の位置(南西諸島内)
首里
首里
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首里(しゅり、沖縄方言:スイ[1][2])は沖縄県那覇市の一地域。那覇市の北東部を占める。かつて首里市(市制施行前は首里区)だった地区である。また、さらに以前は琉球王国の王都として栄えた。

本項では首里市、同市の市制前の名称である首里区(しゅりく)についても述べる。

地理

首里城から海を望む

隆起石灰岩を基礎とする高台となっており、最高地点は弁ヶ嶽(165.6m)である。あちこちに名水があり、泡盛の産地となっている(後述)。

地勢

海抜100メートル程度の高台となる立地を活かし、NTTドコモの首里収容局[3]エフエム沖縄新川放送所・移動無線中継局[4]などの無線送信・中継の拠点がある。なお、かつては崎山町に沖縄テレビラジオ沖縄の放送所もあった。

2006年6月12日、首里鳥堀町で大雨による大規模な地盤沈下が発生し、上部にあったマンション敷地に陥没が生じ、居住不能となった。現在、原因調査のため現場はそのままとなっている。

  • 高地:虎頭山、ハンタン山(~上の毛、現・首里城内)、弁ヶ岳(那覇市最高点:165.6m)、御殿山
  • 河川:真嘉比川(→安里川)、安里川、安謝川
弁ヶ嶽から撮影した首里市街のパノラマ写真


歴史

首里城正殿
大正期の首里三箇
昭和戦前期の首里市営バス
  • 三山時代頃 - 現在の首里城付近の高台に城が築かれる。
    • (当初の城域は、現・首里城内の「京の内」と呼ばれる範囲だったとされる。)
  • 1406年 - 南山の佐敷按司尚巴志が中山王武寧を攻撃して察度王朝を滅亡させ、中山国の首都を浦添から首里に遷都するとともに、首里城を王城とする。
  • 1429年 - 中山王尚巴志が南山王他魯毎を滅ぼして三山を統一し首里は琉球王国の首都となる。
  • 尚巴志王代 - 首里城を拡充整備した。
    • (拡充後の城域は、現在の城の内郭部分に相当)
  • 尚金福王代 - 那覇と首里をむすぶ長虹堤を建設。
  • 尚真王代 - 首里城を拡張整備し、ほぼ現在の大きさとする。国内の諸按司を首里に集居させる。
  • 1872年 - 琉球藩設置。(第一次琉球処分)日本が琉球国王尚泰を琉球藩王に封じる。
  • 1879年 - 廃藩置県により沖縄県が設置される。(第二次琉球処分)県庁が置かれる予定であったが、旧軍が駐屯していたため敷地がなく、行政の中心は首里から那覇に移った。
  • 1880年 - 現在の首里高校の前身となる首里中学校(後の沖縄県立第一中学校)が開校。
  • 1896年4月1日 - 郡区制が施行され、首里区となる。
  • 1906年 - 西原間切の平良村・石嶺村と南風原間切の新川村の一部を編入(明治39年10月1日)。
  • 1921年5月20日 - 市制施行前に首里区に西原村の内石嶺・末吉を編入。5月20日に市制が施行され、首里市となる。
  • 1945年 - 4月から6月にかけての沖縄戦で国宝の首里城が破壊される。
  • 1950年 - 首里城跡に琉球大学が開学。
  • 1954年9月1日 - 首里市が小禄村とともに那覇市と合併する。
    • 合併時には「古都・首里の名が消えてしまってよいのか」という意見が少なからずあったため、これら住民の意を汲んで、旧首里市域では合併後も町名に「首里」を冠することになった。(下記参照)
    • この時、真和志市(前年10月まで真和志村)が合併に応じなかったため旧首里市は那覇市の飛地となった。この状態は真和志市が那覇市と合併する1957年末まで続いた。
  • 1957年 - 沖縄キリスト教短期大学が開学。
  • 1958年 - 守礼門が復元される。以来、首里城正殿が復元するまで県の象徴的な建築物となる。
  • 1974年 - 旧首里市時代は市営バスだった「首里バス」が那覇交通(現・那覇バス)に吸収合併。
  • 1979年 - 首里城跡にあった琉球大学が西原町千原に移転。
  • 1986年 - 首里城跡の近くに沖縄県立芸術大学開学。
  • 1987年10月 - 沖縄自動車道那覇インターチェンジまで開通。那覇市内から名護までの所要時間は従来の半分以下となる1時間余りに。
  • 1989年 - 沖縄キリスト教短期大学が西原町へ移転。
  • 1992年11月 - 首里城正殿が復元され、守礼門に代わって県の象徴的な建築物となる。
  • 2000年12月 - 首里城とその周辺一帯が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として世界遺産に登録される。
  • 2003年8月10日 - 沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開業。

首里城を中心として政治都市として形成され、かつては那覇四町に対し首里三平等と称された。首里の三平等(みひら)は、の連合組織となる真和志の平等(ひら)・南風の平等・西の平等の三つを指し、真和志・道端・鳥小堀・赤平など約20の町が含まれていた。

首里市

首里市
廃止日 1954年9月1日
廃止理由 編入合併
首里市那覇市
現在の自治体 那覇市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
面積 6.7km2.
総人口 20,014
(昭和25年国勢調査、1950年)
隣接自治体 真和志市浦添村
西原村南風原村
首里市役所
所在地 沖縄県首里市大中町
座標 北緯26度13分16秒
東経127度43分3秒
特記事項 廃止当時は琉球政府アメリカ軍施政権下)。合併後、1957年12月17日まで飛地だった。
旧市役所は中城御殿跡に存在し、合併後に首里支所、首里バス会社として一時利用された後、1966年に琉球政府立博物館(旧沖縄県立博物館)が建設された。
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首里市(しゅりし)は、かつて存在した日本。1954年9月1日、那覇市への編入合併により消滅した。

首里市の歴史