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    === {{subst:Article|選考対象記事名}} ===
    選考終了日時:'''{{subst:#time:Y年Fj日 (D) H:i|+14 days}} (UTC)'''
    *(推薦)推薦理由を記述。--~~~~
    *{{賛成}}:--~~~~
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    書式:{{良質な記事候補|選考サブページ=○○○_yyyymmdd|よみがな=△△△}}
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選考中の記事

現在時刻: 7月 20日 金曜日 21:59 (UTC) (キャッシュ破棄

選考終了日時:2018年7月11日 (水) 13:47 (UTC)2018年7月25日 (水) 13:47 (UTC)

  • (推薦)現行版の大半を書いたので自選になるかと存じます。主題はアメリカの地方空港です。日本では、ユナイテッド航空232便が不時着した空港としてご存知の方もいるかと思います。事故のことはもちろんですが、歴史・設備・就航路線と空港について一定の説明をできたと考えております。皆様からご意見やご助言をいただけますと幸いです。--Mogumin会話) 2018年6月27日 (水) 13:47 (UTC)
  • コメント 空港の記事としてはかなり優れたものになっていると思います。ただ、まだいくつか疑問点があります。以下のことについて、全部とは言わずとも、いくらかでも補う必要があるかと思います。--Tam0031会話) 2018年6月28日 (木) 15:13 (UTC)
    • 冒頭定義節、「空港の旅客輸送量(搭乗者数)は2015年が26,104人、2016年が36,413人である」とありますが、この文章だとまるで、2016年の1年間で36,413人しか搭乗者がいないように読めてしまいます。1日平均の搭乗者数ですよね? 何らかの補足が必要だと思います。
    • 開港時点で3本の滑走路があったとあり、1944年時点の陸軍飛行場の図面でも3本描かれています。しかし今は2本のようであり、そうであればどこかの時点で滑走路の改修などが行われているはずですが、解説にはないようです。
    • 第二次世界大戦前の開港時、ミッドコンチネント航空が就航していたそうですが、大戦中の陸軍航空基地として使われていた時代にも、引き続き民間路線が就航していたのでしょうか。アメリカの航空史を考えると、第二次世界大戦中は民間航空は休航になっていたのではないかと思うのですが、今の記事だと大戦後にもそのままミッドコンチネント航空の話が出てくるので、そのまま就航していたかのように見えます。
    • 「スーシティ空軍州兵基地」の節と「州兵部隊の再編」の節を読めば、簡潔ではあるものの、ここに駐留する州兵空軍の装備が改変されていく様子はある程度伺えます。これに対して、民間航空の動きの説明はあまりに少ないのではないでしょうか。ブラニフ航空がこの空港でジェット機を初めて運用した話が出た後は、事故の話を除くと、急にサーブ340を使っている話、つまりジェット機がいなくなった話になっており、また航空会社もノースウエストとトランスワールドにいつの間にか変わっているようです。これ以降は一応、トランスワールドがアメリカンコネクションになっていったん撤退、ノースウエストがデルタになって撤退、アメリカンイーグルが就航、と説明されているので、現行の就航路線がアメリカンイーグルだけになっていることにうまくつながっていると思うのですが。
  • コメント Tam0031さん、早速のコメントありがとうございます。若干ですが本文を修正し(差分)、以下の通りご回答いたします。
    • 旅客輸送量---出典を再確認しましたが、年間でこの人数ですね。日本の多良間空港と同程度紋別空港種子島空港に近いですね。リージョナル機が1日2便の「搭乗者数=利用者の約半分)なので、妥当な数字かなと思います。日本の地方空港の感覚だとだいぶ少なく感じますので、「年間旅客輸送量」と明記してみました。(すみません、統計の撮り方の違いを勘違いしていたので訂正--Mogumin会話) 2018年6月29日 (金) 14:52 (UTC))
    • 滑走路の閉鎖時期---滑走路22/04の閉鎖時期ですが、なかなか情報を見つけられず、ユナイテッド航空232便の事故調査報告書に閉鎖年があったので最低限の記載だけできました。本当は閉鎖月日やその理由も分かると良いのですけどね。
    • 第二次世界大戦中の運航---確認できた文献では大戦中の運航状況が書かれていないですね。平時のような運航はできなかったとは思いますので、資料が見つかれば記載したいと思いますが、見込みは立たないです。
    • 民間航空の動き---実は私も同じように感じていて、戦後から2000年ごろの動きを調べました。しかし、入手できる文献に限界があり、どうにか今の形に収めたという状況です。こちらも適切な資料があれば追記したいですが、手がかりがない状況です。
以上です。アメリカの小さい空港のことを日本から調べるのは、このぐらいが限界かなと感じます。現地の図書館でも行けば分かることはあると思いますが、そこまで行動するのは難しいです。ときどき英語版も覗いて、加筆されていれば翻訳したいです。--Mogumin会話) 2018年6月29日 (金) 14:24 (UTC)
      • 賛成 対応ありがとうございます。民間航空の動きは、本当にもう少し何とかしたいところですね。--Tam0031会話) 2018年6月29日 (金) 15:19 (UTC)
  • 賛成 外国の空港についてよく書かれていると思います。--TEN会話) 2018年7月3日 (火) 15:30 (UTC)
  • コメントまだいろいろと書くべきことがあるように思います。特に歴史節に関してはもう少し整理および加筆が必要だと思います。また、歴史節では、旅客空港としての話題と空軍基地として話題が交互に出てきますが、正直言ってこういうスタイルは読みにくいです。旅客空港の話題と空軍基地の話題は、管理・運営などでどうしても両者について同時に触れなけばならないような話題は別として、できれば別の節として分けた方がわかりやすいと思います。
管理・運営団体について
空港を管理・運営している組織はどこなのでしょうか。冒頭のinfoboxに、「所有者 Sioux Gateway Airport Authority」とありますが、これは公営(州または国)による管理財団のようなものでしょうか。現在はこの団体が管理・運営しているのでしょうか。それとも、昨今ではよくあるように、当団体は所有しているだけで、管理・運営はどこかの民間団体や法人に委託しているのでしょうか。現在の管理・運営組織だけでなく、歴史的な管理・所有者の移り変わりについても、歴史節に書くか、あるいは小節にまとめて欲しいと思います。特に、次に述べるように所有権や管理・運営権に関する空軍との関係がよくわからないので、軍との関係がわかりやすくまとめてあると良いと思います。以下の具体的な文章に関するコメントでも「1.2 スーシティ空軍州兵基地」での疑問点はこのあたりのことに関連する疑問です。
軍との関係
Tam0031さんの疑問ともかぶりますが、1941年には軍へリースされた、とありますが、これは敷地や設備を含めて全面的に軍にリースしたということでしょうか。つまり旅客空港や貨物空港としての機能は完全に閉鎖され、路線も廃止され、戦後再開されるまでは空軍基地としてのみ使用されていた、ということでしょうか。§1.2「スーシティ空軍州兵基地」節を読む限り、戦時中と戦後しばらくの間、当空港は軍事基地としてのみ使用されていたような印象を受けます。そうだとすれば、旅客空港として再開したのはいつなのでしょうか(事故の記録を見ると少なくとも1951年には再開していたようですが)。もしそうでないのであれば、戦時中や終戦直後の時代に就航していた民間航空路線についての解説も欲しいところです。
空港アクセスについて
スーシティの中心部(もしくは周辺の主要都市)からの空港アクセス手段は何があるのでしょうか。バスや鉄道路線などの公共交通機関があるのでしょう。あるいはアクセス手段としては自家用車もしくはタクシーを利用するしかないのでしょうか。
利用圏について
利用者の圏域はどのあたりまで広がっているのでしょうか。利用するのはほとんどスーシティ市民(およびスーシティ周辺に用のある外来客)だけなのか、スーシティの属するウッドベリー郡を含む周辺の数郡あたりまでか(さすがにアイオワ州西部全体とまではいかないと思いますが)。
土地リースについて
ユナイテッド航空232便不時着事故の救助活動節には「トウモロコシ畑として空港の土地をリースしていた」とありますが、当記事にはまったく記載がありません。これについても例えば、いつ頃、なぜ、誰にリースを始めたのか、などの解説が欲しいと思います。また、そういうことをやっているのなら、空いている他の土地や施設等についても同じようなことをやっているのではないかと想像しますがどうでしょうか。
§ 1.2 スーシティ空軍州兵基地
  • 「1945年12月、任務完了に伴いスーシティ陸軍航空基地は閉鎖されたものの、」
スーシティ陸軍航空基地の「任務」とは何だったのでしょうか。前節には、真珠湾攻撃から数か月後に基地の建設が始まった、とあるので、太平洋戦争のための出撃基地の一つ、と解釈できますが、前節の最後に「スーシティ陸軍航空基地は、B-24やB-17爆撃機の乗員養成拠点の1つとなった」とあるので、出撃基地というよりパイロットの訓練施設だったのかな、とも思います。
  • 「空軍予備役の基地」
軍人軍用機軍用車両軍艦などに関しては「予備役」も普通に聞く言葉ですが、軍事基地の予備役とは初耳です。軍事基地に対しても「予備役」という言葉および実際に予備役としての運用があるのでしょうか。軍事関連は詳しくないので、軍事関係では常識のことであればすみません。
  • 「1948年、スーシティは戦時資産管理事務局(英語版)から飛行場の権利放棄証書を受領した」
唐突に出てきた「戦時資産管理事務局」なる団体は、どこが運営している(たぶん連邦政府のどこかの省庁と思われますが)何のための団体なのでしょうか。名前からすると、少なくとも第二次世界大戦以降に創立されたものだと思われますが、この団体が戦争中に、当時の管理団体から当空港に関する権利を譲渡された(あるいは半ば強制的に譲渡させた)ということでしょうか。また、この「権利」というのは所有権のことでしょうか。それとも管理・運営権のことでしょうか。あるいはそれらを含めたすべての権利でしょうか。
§1.5 "SUX" 論争
この節の内容は、歴史節に含めるよりも、単独の節にすべきものだと思います。歴史節の中でもこの小節だけ浮いている感じがします。
§1.6 州兵部隊の再編
  • 「しかし、世界情勢の変化に伴い、スーシティの基地に求められる役割も変化した」
前の「任務」と同様、以前の「求められる役割」とはどんなものだったのか、また、それがどんなものに変化したのか、本節の記述では具体的なことがわかりません。
§2 設備
駐車場はあるのでしょうか(アメリカの空港なら当然あると思いますが)。あるとすれば、場所や収容台数などは?
以上、全体的なことと細かい部分についてコメントいたしました。たしかに日本にいてアメリカの地方空港のことを詳しく調べるのは困難だと思いますが、アメリカは公文書のオンライン公開なども日本より進んでいるはずなので、そういったものを参照すれば、運営組織や空港としての機能の変遷についてはもう少し詳細な情報が得られるのではないでしょうか。--Loasa会話) 2018年7月8日 (日) 10:48 (UTC)
コメント Loasaさん、細かく見てくださりありがとうございました。対応できたことはごくわずかですが、以下の通り回答します。
  • 管理・運営団体について–Sioux Gateway Airport Authority は英語版をそのまま持ってきましたが、正直よくわからないです。アイオワ州法 Chapter 330A に基づき設置された組織ということまでは分かりました。しかし、市との関係(業務や責任の切り分け)がいまいちよく分かりません。アイオワ州スーシティの条例[1]を見たのですが、空港の理事会 (Board) の規定はありますが、Authorityが全く出てきません。現存するのかも分からなくなってしまったのと、別文献でも市がownerと書かれていたので、そう修正しました。
  • 軍との関係–書きたいのは山々ですが、入手できたわずかな資料でも書いてあることが食い違っているように見えるのですが、これは資料が間違っているのか、あるいは短期間で色々な変化があって各資料がその一部分を書いているのかすら分かりません。申し訳ありませんが私の力不足です。
  • 空港アクセスについて–文献で高速道路に触れていたので追記しました。それ以外は情報が見つかっておりません。
  • 利用圏について–出典として使えるような情報は見つけられておりません。
  • 土地リースについて–いつ頃、なぜ、誰にリースを始めたのでしょうね。。。初版投稿前から探しているのですけどね。私も知りたいです。
  • スーシティ空軍州兵基地
    • 「任務」:出典の表現をそのまま用いたので、現段階でそれ以上具体的には分かりません。
    • 「空軍予備役の基地」:出典を直訳したものです。内部リンクを追加しました。
    • 「1948年、スーシティは戦時資産管理事務局(英語版)から飛行場の権利放棄証書を受領した」:出典の表現をそのまま用いました。「戦時資産管理事務局」が関わった時期、および「権利放棄証書」の内容は現段階で分かりません。権利放棄の内容を補うため、続く文にて別文献で確認できた「アメリカ軍所有の施設や設備の所有権が市に移った」を書きましたが、誤解を招くようでしたら「1948年、…受領した」の文を削除します。
  • "SUX" 論争–セクションを改めました。
  • 州兵部隊の再編–出典の表現をそのまま用い、かつ出典にはそれ以上の説明がないので「求められる役割」の詳細までは分かりません。
  • 設備–駐車場があることは分かったので追記しました。信頼できる情報源で台数を確認できなかったので、存在することのみ記載しました。
オンライン公開されている公文書というのが具体的にどういう内容か分からないので、この先は資料を見つけたり読み解いたりできる方に改稿をお願いしたく思います。歴史節が読みにくいという点につきましても、今持っている材料で私が読みやすいと考えた流れにしましたが、これにこだわるつもりはありません。ただ、どう変えると良いのか分からなくので、この先はLoasaさんの読みやすいように改めていただければと思います。百科事典の空港の項目というのは、考えていたよりもかなり色々と解説しないといけないことが分かりました。記事の改善は不十分ですが、様々なご意見・ご助言いただくことができ、私としては大変有意義でしたのでとても感謝しております。--

選考終了日時:2018年7月15日 (日) 02:39 (UTC)2018年7月29日 (日) 02:39 (UTC)

(自薦)英語版FA en:War of the Fifth Coalitionより翻訳致しました。元の記事は歴史的背景、戦争の経過、結果などが詳細に記載されているため、良質な記事の目安を満たすと考え、自薦させて頂きます。なお強化記事には既に選出されています。

  • 賛成Arisen会話) 2018年7月1日 (日) 02:39 (UTC)
  • コメント 全般に、今の良質な記事の基準からすると、脚注による出典明記が手薄かな、と感じます。また、もう少し文章にも推敲が必要です。たとえば「第四次対仏大同盟」の節、イエナの戦いでナポレオンが勝ち、続いてアウエルシュタットの戦いでダヴーが勝った、と説明しているのに、この間を逆接でつないでいる意味が分かりません。同じフランスが勝ったのなら順接で良いのでは。この節の最後、「ポーランドは1795年にプロイセン、オーストリア、ロシアによって分割された。」と突然出てきますが、ポーランド分割は第四次対仏大同盟と何の関係があるのでしょう。そもそも、第五次対仏大同盟の背景として、ここまで詳しくナポレオン戦争の流れを説明する必要があるのかもわかりません。もう少し簡潔にして良かったのでは。全体的にも、まだ説明の改良が必要ではないかと感じました。--Tam0031会話) 2018年7月11日 (水) 15:15 (UTC)
    • コメント Tam0031さん、コメントありがとうございます。上記の指摘事項ですがそもそも元の英語版の記事で、そのように記載されています。翻訳している上で確かに気になっていたのですが、この状態でも英語版ではFA記事に選ばれている事からあえてそのまま翻訳しております。個人的にはFA記事の翻訳はできるだけ原文の状態で記事を作成したいと考えているのですが、やはり修正を行ったほうがよろしいでしょうか。もし修正が必要であれば、できる範囲で英語版の記事も合わせて修正したいと考えています。以上ご確認お願いします。--Arisen会話) 2018年7月11日 (水) 15:55 (UTC)
      • コメント 必要なのは、良い翻訳ではなく、良い記事だと思います。元の記事が駄目なら、忠実に翻訳しても駄目な記事になりますから。変だと思ったら、自分で出典を補充するなりして直した方が良いと思います。--Tam0031会話) 2018年7月12日 (木) 15:41 (UTC)
  • コメント 迷うのですがとりあえずコメントとします。ちょっと記事名と内容の対応が気になります。元になっている英語版の記事名は「War of the Fifth Coalition」となっていて戦争の記事であることが明確ですが、日本語版の記事名が「第五次対仏大同盟」であるため、記事内容と記事名の間に乖離を感じます。記事内容自体は完全にナポレオン戦争の一部分を書いていますが、「対仏大同盟」と言う記事名からはむしろ同盟の構造や政治的役割についての記述を期待するためです。確かにこの戦役を取り扱う日本語書籍の節名も「第五次対仏大同盟」であるものは存在するのですが、百科事典記事としては日本語版の記事名に合わせた記事の(特に冒頭文の)アレンジが必要だと思います。また、第五回対仏大同盟自体がどの段階で瓦解したのかもはっきり書かれていないですが必要な情報だと思います。
あと、ごく一部しか確認していませんが、日本語文が不自然な箇所や意味がとりづらい箇所があり、原文とも微妙に異なるように見えるので確認していただければと思います。
  • §第三次対仏大同盟:ナポレオンはマックの軍が北へ行き来した所をフランス軍が迂回して、オーストリア軍の後方に回り込む事を望んだ。
原文はNapoleon hoped to swing his forces northward and perform a wheeling movement that would find the French at the Austrian rear. なので、北側から回り込みたいと考えたのはナポレオンの方ではないでしょうか。マックの軍が北へ行き来した所、という翻訳はおかしいのではないかと思います。以前見たウルム戦役の記事でもマック将軍は当初より「ウルムを防衛戦略の中心に据えることにした」とあり、要塞に集結させたオーストリア軍を北へ移動させたような記述はありませんし、フランス軍は北側からウルムを包囲しています。
  • §オーストリア単独の抵抗:フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の政府の一部は当初オーストリアを助けたがっていたが、ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタインのオーストリアとの文通はフランスによって妨害され、1808年9月の大会に調印せざるを得なくなった[18]。この文通にはプロイセンがオーストリアを支援する計画が書かれていた。
原文にあるフリードリヒ・ヴィルヘルム3世がプロイセンの人物であるという点は省略せずに訳文に反映させた方が良いと思います。また、「1808年9月の大会に調印」という文章に単純に違和感を感じます。日本語文で大会は通常調印されるものではないですし、この大会自体が何なのか前後の文章から読み取れないです。これは別箇所にあるエアフルト会議のことでしょうか?また、文通がフランスによって妨害されるとなぜ大会に調印しなければならないのかがよくわかりません。
  • §ドイツ:チロルではアンドレアス・ホーファー(英語版)がバイエルンの規則とフランスの支配に対して反乱を主導し~
多分この「規則」というのはruleだと思うので「統治」となるのではないかと思います。
  • §結果:しかしナポレオンは最初のフランスの危機的な状況を打倒したように、通例通りの明敏さで指揮を取ったにも関わらず、彼の軍の規模の増大はナポレオンの印象的な精神的能力でさえ緊張させた。
これも日本語の文章としてはかなり不自然であるように思います。
なお、明確に英語版の記述に問題がある場合には、それを固守する必要はないと思います。--

選考終了日時:2018年7月24日 (火) 23:48 (UTC)

  • (自動推薦)2018年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話) 2018年7月10日 (火) 23:48 (UTC)
  • (コメント)相当に長い翻訳記事であり、まずは翻訳者の努力に感謝したいと思います。ただ、翻訳の怪しい部分や混乱した記述が多く、良質な記事としては修正は必要かと思われます。私のほうでも訳文のチェックをしていきたいと思っているのですが、(通常の編集のように)問題のありそうな箇所をいきなり書き換えていってしまって良いのか、それともいったんこの場で提案するような形にすべきなのか(選考のようすを見ている限りそうするケースが多そうですが、いかんせん長い記事ですので、このページに大量に文章を書いて長くするのも気が引けます)、選考プロセスにお詳しい方にご判断いただければと思います。
その他、翻訳以外で全体的な部分として、
・“dry” “sweet”をそのまま「ドライ」「スウィート」としていますが、対応する「辛口」「甘口」というより一般的な日本語があるので、カタカナ語のままにしない方が自然なのでは、と思います(たとえば『2017日本ソムリエ協会教本』では後者の表記になっています)。
・(元の英語版記事からの問題ですが)「3.ブドウ品種」の項で例示されている品種が恣意的に思われます。適当に「白ワイン用ブドウ品種」で検索して[1][2][3]必ず出てくるシャルドネ・ソーヴィニヨンブラン・リースリングあたりと、まず出てこないプティ・タルヴァンを並列にするのは無理があるような。「有色の皮を持つ」といって紹介されている品種も、果皮が薄紫色とはいえ白ワイン用品種であるピノグリやゲヴェルツトラミネールと、普通は赤ワイン用品種であるピノノワールを区別していない記述もどうなのか。何らかの形で(きちんとした文献を元に)すっきりまとめたいです。
・「5.ワイン製造」と「6.パッケージング前のワインの準備』の項が分かれてるのはどうなんでしょう?普通「ワイン製造」と言ったら、ブドウを育てて収穫するところから始まって、最後に瓶詰して出荷、という全体をイメージすると思うのですが。本記事のように発酵まででいったん区切る必然性が無いように思います(上で挙げた教本でも連続的に書かれています)。
その他、細かく見ていくと色々出てくるかもしれませんが、現状での私のコメントは以上です。--Capsellanaut会話) 2018年7月13日 (金) 10:08 (UTC)
  • コメント 内容的にはとても充実していて、いろいろな角度から白ワインについて取り上げており、かなりのところまでできてきているように思います。一方、特に歴史節など、翻訳にまだ微妙なところがあるように思われます。また消費のところ、全ワインに占める白ワインの比率を国ごとに挙げているのはとても興味深いですが、やはり白ワインの生産絶対量がまず必要ではないでしょうか。スパークリングワインの節に、スパークリングワインの生産量の統計自体は示されていますが。--Tam0031会話) 2018年7月13日 (金) 15:01 (UTC)
  • コメント 初期翻訳者です。新記事賞を取ると自動推薦される事を知りませんでした。ありがたいです。また、記事レベル向上へのご意見ありがとうございます。
・ドライ→辛口、スイート→甘口については単純なので、辛口、甘口に表現を統一しました。
・ブドウ品種についてはあまり知識がなく、何がメジャーで何がマイナーなのか判断が出来ません。有識の方に是非加筆、修正をお願いしたいです。
・5.ワイン製造と6.パッケージ前のワインの準備については、翻訳時から分けている意味合いが良く理解できず、疑問なまま原典通り翻訳していたので繋げてみました。
その他、翻訳レベルについて、素人レベルで一生懸命コツコツ翻訳させて頂きましたが、全く自信がございませんので是非得意な方に修正頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。--

選考終了日時:2018年7月24日 (火) 23:49 (UTC)

  • (自動推薦)2018年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話) 2018年7月10日 (火) 23:49 (UTC)
  • 賛成 良質な記事として申し分のない記事だと思います。以下は例によって細かい部分。
§1.2 女学校時代〜苦悩から思想へ
  • 「後に黎子の弟は、彼女に兄や姉が同誌を読んでいた影響で、黎子も読み始めていたと証言している」
意味不明。「彼女は」の間違い?
§ 1.7 定輔との同居〜結婚
  • 「一方では黎子の月給で事務所を運営することに対し、「組織に基盤をおかない運営」との批判もあった」
誰が批判したのでしょうか。
  • 「 2人はそうした考えは断固として反対であった」
「そうした考え」というのが何を示しているのかよくわかりません。次の節にある「当時、社会主義運動の男女の同志が、警察の監視から逃れるために夫婦のように生活すること」を指しているのでしょうか。だとすればこの2節は統合して書き直した方がよいと思います。
  • 「結婚に際し、名を「黎子」と改名した。」
これは単に通り名を改名しただけということなのでしょうか。それともちゃんと役場に届けを出して戸籍名自体を改名したということでしょうか。
  • 「定輔が1930年6月に提出した「私の生活費及び運動費に就ての報告書」」
誰に対して何のために提出したのでしょうか。
§1.8 埼玉県での農民運動
渋谷定輔の実家はどんな暮らしをしていたのか(何を生産していたか、生活レベルはどれくらいだったか)気になります。もちろん富農と言うレベルではなかったでしょうが、産婆学校に入学した黎子に経済的援助をしているくらいですから、食うや食わずやの小作農だったとも思えません。本節においては渋谷定輔の実家が大きく関わって来るので、実家の状況について、数行程度の解説があれば良いと思います。
  • 「農業家野情勢の参加が多いことも特徴であった」
何かのミスタイプか誤変換と思われますが、正しい文が推測できず意味不明です。
§1.9 吉見事件
  • 「雪の降る荒川に腰まで浸かって川を渡った。」
これは、橋のある道を行ったのでは遠回りになるので、署までの最短距離のコース(そのかわり川を渡渉することになる)を選んで走ったということでしょうか。
§1.10 事件からの釈放後
  • 「定輔が吉見事件での長期留置中」
定輔の方はいつ釈放されたのでしょうか。
§ 3 略年譜
年譜を二列にするレイアウトはあまり見ない気がしますが、このレイアウトは時系列を追う上で非常に不便です。年譜を記載することの意義は、本文だけではわかりにくい各出来ごとの時系列を確認するための資料として、であると私は思っていますので、時系列を追い辛いレイアウトでは意味がありません。長くなっても一列で表示する方がよいでしょう。
--Loasa会話) 2018年7月12日 (木) 13:45 (UTC)
  • 初版投稿者です。細かなご査読をありがとうございます。「後に黎子の弟は……」は、黎子氏の兄・姉が読んでいたので、黎子氏も読み始めた、とのことです。差当り「彼女の」に訂正させていただきます。
その他、「誰が批判したか」「改名は役場に届けを出したか」「橋を渡らず川を渡った理由」辺りは出典にも記述が無かったと記憶しておりますが、渋谷定輔氏の実家の生活、吉見事件からの釈放時期などは確か記述があったはずですので、再調査してみます。大方の出典は図書館頼りですので、少々お時間を頂きたく思います。
略年譜は、私が人物伝を書くにあたり初めて導入したのですが、同様の立場のある女性の某記事が二列表示でしたので、倣った次第です(責任転嫁のようで気が咎めますので、記事名の名指しは控えます)。できましたら他の皆様にも意見を伺い、やはり一列表示が好ましいとのことでしたら、本記事および略年譜を導入した他記事も修正します。
今年度の始まり以来、非常に多忙で資料探しにも難儀しました。時間がとれ次第、国会図書館や、本記事にも記述しております「渋谷定輔文庫」にて、先述の情報不足分を補いたく思う次第です。よろしくお願いいたします。--逃亡者会話) 2018年7月12日 (木) 19:20 (UTC)
  • 図書館資料のコピーなど、手元の資料で一部追記・修正可能でした。以下、2018年7月14日 (土) 09:19‎(UTC)差分)での追記・修正内容の報告です。
    • 渋谷定輔氏の実家の生活 → 『季刊世界政経』第63号収録、蒲池紀生著「愛とたたかいの光芒 渋谷黎子覚え書き」(NAID 40004163584)p160に、定輔氏の実家の職業が「自作兼小農業」とありました。生活レベルといっていいかわかりませんが、目安として同記事同頁に「所有地が家の敷地と田畑合わせて約1.1ヘクタール、これに約1ヘクタールの小作を加えて生計を立てていた」とありました。
    • 「私の生活費及び運動費に就ての報告書 → 何のために提出したかはまだ不明ですが、『農民文学』第206号(NCID AN00202465)収録、杉山武子著「寂莫を超えて 渋谷黎子の生と死(中)」によれば、提出先は全国農民組合埼玉県連合会でした。
    • 農業家野情勢のミスタイプ → 埼玉新聞1955年8月8日付p1「近世埼玉故人伝 農民運動に半生を捧げた渋谷黎子」からの記述ですが、×「農業家野情勢」→○「農業家の女性」でした。
    • 定輔氏の事件からの釈放時期 → 「いつ」とは明記されていませんが、遺稿集『この風の音を聞かないか』(NCID BN05871019)p317に「定輔の方は(中略)勾留は1か月以上におよび」、「愛とたたかいの光芒 渋谷黎子覚え書き」p162に「定輔の勾留は(中略)1か月にもおよび」とありました。
引き続き、再調査を続行いたします。--逃亡者会話) 2018年7月14日 (土) 09:26 (UTC)
  • 再調査分の残りです。以下、2018年7月19日 (木) 17:50‎ (UTC)差分)の修正報告です。
    • 組織に基盤をおかない運営との批判 → 安田常雄著『出会いの思想史 渋谷定輔論『農民哀史』の世界』(ISBN 978-4-326-15107-3)p263によれば、全国農民組合埼玉県連合会の、主に青年部からの批判とのことでした。
    • 「そうした考えは断固として反対」の「そうした考え」とは → ご推察通り、次の節にある「当時、社会主義運動の男女の同志が~」を指すものです。これは単に私の書く順序の誤りでした。渋谷定輔著『農民哀史から六十年』(ISBN ISBN 978-4-00-420340-7)p170で再確認の上、ご助言の通り統合いたしました。
    • 略年譜 → 未だ他の皆様からのご意見はありませんが、他のFA記事、GA記事の人物伝を拝見したところ、確かに2列表示は見かけませんでした。ご助言に基き、1列に改めました。本記事の後に投稿した斎藤智恵子#略年譜も、これから他箇所の修正と共に、1列に改める予定でおります。
  • 続いて、現時点で出典が確認できず、修正できなかった分です。追加調査のために国会図書館か、富士見市立中央図書館の渋谷定輔文庫に行く必要有りと痛感します。特に後者へは記事執筆当時から、月刊記事賞を受賞しようとしまいと、GA選考があろうと無かろうと、いずれ行きたく思っていた次第です。よろしくお願いいたします。
    • 改名は通り名のみか、戸籍名自体の改名か → 改名についての記述として、前掲『この風の音を聞かないか』p290、前掲『農民哀史から六十年』p171、新藤謙著『女性史としての自伝』(ISBN 978-4-623-01810-9)p112など調査しましたが、単に「改名した」「名を改めた」といった記述のみで、「役場への届け」「戸籍名」に関する記述はありませんでした。
    • 「私の生活費及び運動費に就ての報告書」は何のための提出か → 前掲『出会いの思想史 渋谷定輔論『農民哀史』の世界』p264から要約しますと「渋谷定輔は『私の生活費及び運動費に就ての報告書』を提出した。渋谷は生活費、運動費の明細を次のように明らかにした」とあり、続けて現記事のような生活費の詳細があります。この記述から「生活費や運動費の明細を明らかにするために報告書を提出した」とも読めるのですが、「そのために提出した」と明言されているわけではありませんでしたので、記述を控えました。
    • 吉見事件でなぜ橋を渡らなかったか → 事件についての記述として、前掲『この風の音を聞かないか』p295、前掲「愛とたたかいの光芒 渋谷黎子覚え書き」p161、前掲『女性史としての自伝』p121に加え、『桜の聖母短期大学紀要』第38号収録・二瓶由美子著「社会変革に生きた福島の女性 渋谷黎子の生涯」(NAID 40020055958)p147を再調査しましたが、橋をわたらなかった理由は記述なしです。強いて申しますと、『農民文学』第207号収録・杉山武子著「寂莫を超えて 渋谷黎子の生と死(下)」p76-77では現記事での渋谷定輔氏の主張通り、黎子氏は署に差し入れに行って逮捕されたとあるのですが、要約すると「組合員たちが荒川を水に漬かりながら渡り、署に押しかけた。一方では別の農民たちが、荒川大橋を挟んで警察隊と睨み合った。翌朝に黎子が署に差し入れに行き……」とあります。定輔氏を救援に行った人々は二手に分かれ、片方は橋、片方は川を渡って署を挟み撃ちする作戦だったのかもしれません。--逃亡者会話) 2018年7月19日 (木) 18:08 (UTC)
  • 賛成 読んでいて面白い、よく書かれた内容になっているものと思います。1点、「渋谷定輔との出逢い」の節で、1928年11月に渋谷が会いに来た場所を梁川駅としていて、梁川駅 (福島県)にリンクしています。しかし、リンク先の記事を見ていただければわかる通り、この駅は1988年開業であって、1928年当時にはありません。1928年当時でこの付近にある梁川駅は、福島電気鉄道梁川線の梁川駅だと思われます。福島交通飯坂東線の記事に、梁川線の梁川駅の記述がありますが、独立記事にはなっていません。現在の梁川駅へのリンクは外した方が良さそうです。--Tam0031会話) 2018年7月17日 (火) 15:39 (UTC)
    • 細かなご指摘をありがとうございます。ご推察の通り、前掲『この風の音を聞かないか』p287に間違いなく「福島電鉄の駅」とありました(この本は図書館ではなく自前で購入しました)。

      選考終了日時:2018年7月24日 (火) 23:50 (UTC)

      • (自動推薦)2018年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話) 2018年7月10日 (火) 23:50 (UTC)
      • 選考終了日時:2018年7月24日 (火) 23:51 (UTC)

        • (自動推薦)2018年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話) 2018年7月10日 (火) 23:51 (UTC)
        • 賛成 非常に分かりやすくまとまっていると思います。集落の位置関係や植生の分布などが理解できる地図があればベストだと思いますが、外国の地方に存在する離島の記事として十分な品質ではないでしょうか。--TEN会話) 2018年7月12日 (木) 13:09 (UTC)
        返信 ご推薦ありがとうございます。「民族芸術」の節にて一部ソースのよく分からない部分がありましたので、少し削りました。
        作成者として取り下げたいわけではないのですが、歴史の情報などがソースによって錯綜しているうえ、リンク切れも多いため、情報の質は保証できかねます。地図に関しては、そのまま使えそうなものは見当たらないため、掲載するとなれば新たに作る必要がありそうですね。 --Louveteau sfm会話) 2018年7月13日 (金) 21:44 (UTC)
        • 選考終了日時:2018年7月24日 (火) 23:52 (UTC)

          • (自動推薦)2018年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話) 2018年7月10日 (火) 23:52 (UTC)
          • 賛成 記事主題について綺麗にまとまった記事だと思います。--TEN会話) 2018年7月15日 (日) 13:07 (UTC)
          • 選考終了日時:2018年7月24日 (火) 23:53 (UTC)

            • (自動推薦)2018年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話) 2018年7月10日 (火) 23:53 (UTC)
            • 賛成 一部ちょっとわかりづらい文章があります。例えば「ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーは、彼が「史上最高の勝利」と呼んだフランス侵攻に大勝利した」と言う文章は正直少し変な気はします。ただ、全体としては作戦の経過が綺麗にまとめられたものであると思うので賛成します。--TEN会話) 2018年7月18日 (水) 16:36 (UTC)
            • 選考終了日時:2018年7月25日 (水) 00:04 (UTC)

              • (自動推薦)2018年6月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話) 2018年7月11日 (水) 00:04 (UTC)
              • 選考終了日時:2018年7月25日 (水) 00:04 (UTC)

                • (自動推薦)2018年6月の月間強化記事賞受賞記事。--

                  選考終了日時:2018年7月25日 (水) 00:04 (UTC)

                  • (自動推薦)2018年6月の月間強化記事賞受賞記事。--

                    選考終了日時:2018年7月25日 (水) 00:04 (UTC)

                    • (自動推薦)2018年6月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話) 2018年7月11日 (水) 00:04 (UTC)
                    • 選考終了日時:2018年7月25日 (水) 00:04 (UTC)

                      • (自動推薦)2018年6月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話) 2018年7月11日 (水) 00:04 (UTC)
                      • 賛成 とても重要性の高い記事で、全体としても良く書かれていると思います。この記事を翻訳していただいたのは本当にありがたいことだと思います。ちょっと気になる点はあるのですが、良質な記事と言っていいと思います。以下気になる点です
                      • 単純に知識不足なので判別がつかないのですが、「太陽系は約46億年前、星間分子雲の重力崩壊によって形成されたとされている。」と言う冒頭部分の文章の「重力崩壊」と言う用語は正しいのでしょうか?私の理解としては恒星の収縮について使う用語だと思っているのですが、星間分子雲の収縮にも使う用語なのでしょうか?
                      • 注が英語のままのものがあるので、できればこれも翻訳が為されればと思います。--

                        選考終了日時:2018年7月25日 (水) 00:02 (UTC)

                        • (推薦)僭越ながら主執筆者の立場から自薦させていただきます。記事主題は現在の名古屋鉄道(名鉄)において、その後20年近くにわたって車両設計の基本となった鉄道車両であり、その解説に必要な情報は出典を伴って過不足なく盛り込めたものと考え、他の鉄道分野における良質な記事と比較して質・量の観点から遜色ない程度には仕上げることができたかと思います。ご審議いただければ幸いです。--

                          選考終了日時:2018年7月29日 (日) 10:38 (UTC)